口は禍の門

9月20日から27日まで中国黒竜江省三江平原、28日から10月2日までインドネシアのボゴール、ジャカルタ、10月8日から13日まで中国北京、河北省の問題の現場に行ってきました。まさに問題は現場で起こっているのです(「踊る大捜査線」の名セリフのまね)。問題は地域における自然のシステムと人間のシステムの間の齟齬から生じています。現場を離れた環境問題研究はあり得ません。やはり、現場の問題の理解をひとつずつ積み重ねる方式の研究が、問題解決への最短経路だと思います。思いを新たにしたところで、ページも新たにすることにしました。

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2007年を終えるに際して

この一年は実にいろいろなことを考えました。教育のこと、大学運営や評価のこと、リーダーシップについて、そして人生のこと、等々。今まで信頼していたものが実に取るに足らないものだということを実感した一年、二年でもありました。屈辱を味わったのもいい経験でしたが、我慢したことは失敗だったかも知れません。今月に入ってから体重も戻ってきました。いよいよ変わらなければいかんな、と考えているこの頃です。
 いいこともありました。9月、10月の中国、インドネシアの出張は実は体調が悪くきつかったのですが、卒業生との絆を深めることができたいい機会でした。来年につなげるつもりです。卒業生といえば、夏頃、近藤研は卒業生のコミュニティーがないではないか、といわれたことがありました。そんなこと気にしたことは無かったのですが、それは子どもの論理を主張する学生は通りすぎていくだけですが、大人の論理で付き合いができる学生は長い付き合いになる、それでいいと考えているからです。
 もちろん学生には生き方を伝えたい。とはいえ、子どもの論理から大人の論理に切り替えるためには、壁を乗り越えなければならない。そこには努力も必要ですし、苦しみもある。ここに親が出てくるのは成人でもある子どものためになるのか。親の役割、教員の役割の意識が誤った方向に向いているように思う。もちろん私の経験は特殊事例ですが、讒言などをされると迷いが生じてしまいます。自分が弱いということも再認識した一年でした。こういう議論で陥ってならないのは教育言説です。きれい事は何も考えていない、あるいは個別の問題に向き合っていないことと同じ。常に現場の個別性に深く関わる、こういう態度は社会学や地理学、そして環境学(体系はできあがっていませんが)といった現場学では当たり前の態度ですが、そうではない分野もあり、それが人生観にも影響し、リーダーシップにも関わっているのではないかとも今では感じています。
 こういう議論は、これまでもに書いていますが、“ふたつの科学”の議論とも関連しているようにも感じます。また、グローバリズム、と反グローバリズムの議論とも関連し、世界が直面している紛争の危機とも関連しているように思う。今、何かを変えなければならない時期であるという予感があります。アジア的な世界観によるリーダーシップが未来の地球に必要なのではないか。(2007年12月31日)

来年の目標

朝はテレビで星占いをよく見ますが、今日は水瓶座が最悪でした。ただし、来年の目標をひとつ決めると幸運が舞い込むとのこと。そこで、目標のドラフトを考えることにしました。
●リモートセンシング、地理情報システムの演習コンテンツを作成すること
 前からやろうと思っていましたが、来年は後期に学部のカリキュラムとして演習を担当することになりましたので、否応なしにやることになります。これで、学部の時に基礎知識を得ることができるようになりますし、卒論の能率向上にも繋がると思います。
●リモートセンシング、地理情報システムによる海外地域研究の指針を作ること
 海外で調査を始めるときに、どのようなデータがあり、そのような処理をすることによって情報を得ることができるのか。海外調査に先立ちフィージビリティースタディーとしてやるべきことの手順の確立を図りたいと思っていました。今がやるときです。
●アジアの地域研究を推進すること
 すでに中国における研究を強化し、来月はインドネシアにおける研究を進めるために卒業生をボゴールから招聘することにしています。衛星画像を使った地域研究は積極的に推進し、様々な地域の問題の理解に取り組みます。成果は書籍や地図帳、データベースとして纏めたい。
●地域、すなわち千葉県における人と自然の関係に関する研究の推進
 人と自然の分断の修復のために、千葉を対象とした研究に取り組みたい。既に始めているのが水域の硝酸汚染。水循環機構と絡めた研究も重要ですが、硝酸汚染はある程度必然。人と自然の関係を考える絶好の課題だと思います。
 目標を書き始めると後から後から出てきますが、今日の星占いの指示は一つ目標を決めることでした。たくさん書いてアンラッキーなことが起きなければ良いが。この2年ほどは馬鹿と悪人に翻弄された最低の時期でしたが、ようやくトンネルから抜け出した気分で、研究にも意欲が湧いてきました。こんなことを書いてばかりいないで来年はもっと向上せねばと思います。(2007年12月29日)

ブット元首相暗殺に想う

驚きました。20年ほど前にパキスタン経由でアフリカに通っていたときに若い女性が首相になったので、政治は別として、何となく親しみを持っていました。ブットさんが首相になった1988年はフィリピンでもクーデターがあり、たまたまトランジットでカラチにいたときにマニラ経由便がキャンセルになり、数日ホテルで過ごすことになりました。海外に出て2年目で、カラチ空港には銃を背負った兵士がたくさんおり、世界は物騒なものだなと思った経験があります。世の中には悔しさが満ちあふれている。悔しさは限界を超えると憎しみになります。憎しみは心身を蝕み、反動で憎しみが外部に向かう。どうすればよいか。既に思想界では十分議論は尽くされていると思います。結局、考え方を政策、施策の段階まで高めることができないことが一番の問題。地位や権力、お金に対する欲望が根源なのですけど、ディシプリン学者にありがちな自分が正しいから人は正しくない、という考え方もだめ。大学経営でも同じようなことが起こっているように思う。最後にはつまらない憎しみが組織全体を弱体化させる。実につまらないことだと思います。カラチで足止めをくったお陰で北回りの便に乗ることができ、窓から見たK2峰、カラコルムの氷河を抱いた山々の光景は忘れることができません。悔しさとか憎しみを超越したいですね。それは人と自然との関係を修復するところから始まるのではないだろうか。(2007年12月28日)

オスカー・ピーターソンを悼む

今朝、ラジオで聞きました。享年82歳、ご冥福を祈ります。1976年に千葉大学に入った春に、これからはジャズを聴こうと思い、生協で最初に購入したのがオスカー・ピーターソンのLPでした。その後、順調にジャズに入門し、購入したLPも積むと高さ1mくらいになるかな。今ではプレーヤーが無くなりLPも聞けなくなりましたが、CDで買い直したものもだいぶあります。古い録音のものは廉価版CDで購入できるものが多いので、これからも楽しみは尽きません。しかし、知っているプレーヤーがいなくなるのも少し寂しい。(2007年12月25日)

学生中心主義

学内意向調査で破れたにもかかわらず学長に選出された結城・山形大学長の、『山形大学は「学生中心主義」を目指す』という記事が朝日にありました。山形大学は教養教育で勝負するということですが、これは地方大学を教育型にするという文科省の意向に沿うことになります。「学生中心主義」とわざわざ言うのは「研究中心主義」がもう一方にあるからだと思いますが、地方大学独自の研究を行うためには「学生中心主義」も結構と思います。というのは、「研究中心主義」は競争型科学の分野で顕著なのではないかと思いますし、競争型科学は真理探究型科学で、一つのテーマに向かって大勢が挑んでいる分野。こんな分野は予算の重点配分がありがちな旧帝大に任せてしまって良いのではないか。真理探究型とは違うもう一つの研究のあり方には関係性探求型科学がありますが、これは様々な分野と協働で問題の解決を共有する分野(問題自体を共有して同床異夢となるのではなく)。まさに環境がその分野のひとつ。私は地方大学は関係性探求型科学を追求すべきと常々思っています。地域の問題に深く関わり、その解決に貢献することは決して単なる事例研究にはなりません。常に包括的な視点から問題に取り組めば、地域の研究は、地域の理解を深め、地域に役立つ成果を出すとともに、地域間の違いを認識し、事例を積み重ねることにより、そこから普遍性が見えてくることもある。予算より時間が必要な科学であり、学生に“問題”の見方を伝える講義はまた楽しくなります。これが私の考える環境学ですが、これは旧帝大には任せられない学問分野です(別に旧帝大が敵というわけでなく、地方大学のアイデンティティーの確立が目的ですので念のため)。とはいえ、地方大学筆頭の我が千葉大学は旧帝大が恋しくてたまらない方々が多いように感じます。なお、真理探究型・関係性探求型科学は新潟大の大熊孝先生の著作からの拝借。 (2007年12月24日)

大学教員の懲戒について思う

東京海洋大学の教授がセクハラで懲戒免職という記事がありました。もちろんセクハラはとんでもないことですが、大学において正当かつ公正な手段で調査した結果としてそうなったのだろうか、とても気になります。法人化後の大学は指導者としての資質のない方でも、押しが強くて雑用ができるというだけで権力を得ることができ、その結果、じわじわと大学を弱体化させているような気がしています。そのような権力からの讒言により不条理、理不尽な思いをした経験が私にもありますが、それ以後、こんな事件が妙に気にかかるようになってしまったのはトラウマなのだろうか。以前はトラウマとかPTSD (Post Traumatic Stress Disorder)に関する記事からは日本人も弱くなったものだとしか思わなかった。今はひょっとしたら当事者は理不尽な思いに苦しんでいるのではないかと心配になります。報道は事実のみで真実までは伝えませんから。こんなことを感じるのは私もPTSDかもしれませんが、自分の人生を見直す良い機会になったとも思っています。権力に褒められるために安易に同調することは私はしません。しかし、権力からの圧力は心身ともに消耗させます。大学人として、そして自分にとって納得のいく生き方を再構築したいと思っていますが、給料をもらっている組織との関わりで自分の我を通すのも難しい場合もあります。(2007年12月23日)

不安な社会の要因

今年の漢字は“偽”だそうですが、今年の熟語ということでは、“不安”も上位に来ると思います。不安の要因は哲学者の内山節によると、結果に対する原因、経過がわからないことにあるという。BSEやテロなどはその典型例です。私は組織にもこのことは当てはまるのではないかと感じています。千葉大学では教員の人事計画が提示されましたが、大学の中で全国共同利用施設のみ削減率が高い。しかし、なぜかという理由は示されない。千葉大学はもう外向きのサービスはしないとか、共同利用研究は評価しない、といった理由があればまだましなのですが、何も無い。教員の再審査制も明確な理念、必要性が提示されればほとんどの教員は受け入れると思います。まだいろいろありますが、理由のないことが漠然とした不安に繋がってくるのだと思います。理由の説明が無く、指示命令のみがある組織は軍隊だけです。リーダーシップのあり方に勘違いがあるのではないだろうか。それとも人間は愚かなものだと割り切って受け入れる姿勢が必要だろうか。(2007年12月21日)

博士課程授業料ただ

東大に続いて、東工大も博士課程の授業料をただにする施策を打ち出したようです。とはいっても他大学のやることに口を挟む筋合いは全くなく、千葉大学はどうすべきかを考えれば良い。私は千葉大学でしかなしえないことがあれば、学生は千葉大学に来ると楽観しています。千葉大でも修士課程で東大に移る学生はたくさんいるのですが、博士課程はそうは簡単ではありません。他大学に移るということは学位研究を一から始めることになるからです。なぜなら、修士課程におけるアイデアと成果(これは指導教員との共有財産です)を持って他大学に移るということは研究を行う上での信義、ルールに関わってきます。もっとも教員同士の良好な人間関係があれば双方にとって良い結果を生むことはできますが、千葉大学はエリートにあこがれる方が多いので旧帝大の子分格になってしまう方々がいるのでは、という懸念もあります。私は千葉大学では奨学金を充実させるのが良いと思います。博士課程ではある程度の競争的環境は必要です。定員充足のため、モラトリアム学生を安易に受け入れて、すべてを与えて研究という行為を支援しても、達成できずに文句だけが残ってしまう、こんな事態は私は避けたい。博士課程の学生が小さな壁を少しずつ乗り越えて成長していく仕組みを大学として持つことが千葉大学の競争力強化に繋がると思います。ただし、奨学金の審査は論文数にはよらないこと。あくまで学生個人のプレゼンテーション、説明能力によって選考しなければ一部の分野のみに益することになってしまいます。(2007年12月21日)

「やるしかない」のはなぜか

今日は環境リモートセンシング研究センター(CEReS)で学んでいる修士課程1年生を対象とした報告会を開催しました。千葉大学は学問の細分化の方向を目指して自然科学研究科を分割してしまいましたので、普段から異なる研究科の学生が一同に介する貴重な場を提供できるのはCEReSだけになってしまいました。午後一杯をかけて18件のおもしろい話を聞くことができましたが、その中で樋口研の学生は、「やれるか、やれないかではない。やるしかない。」を発表の最後の合い言葉にしていました。私の場合は、「やれるか、やれないかではない。重要であるか、重要でないか、が問題だ。重要ならばやるしかない。」となります。まず、重要かを見極める。これは問題を発見することでもあります。他分野と違って環境分野は問題は最初からわかっているとは限りません。一見、何ともないような中に問題が隠されていることがある、これが環境問題です。重要性を認識したらあらゆる知識を総動員して解決を目指さなければなりません。“問題”は多数の要因が関連しあって出現している。環境問題は結果から原因、それも複数の原因を見極めなければならない逆問題です。そのためには幅広い知識と経験が前提となりますので、学生には厳しいかも知れません。ここをうまく導くのが教員の勤めでもありますが、ほとんどの学生(残念ながらすべてではなかった)はここを乗り越えることができました。それが社会に出てから生き残る力に繋がっていると私は思います。(2007年12月20日)

「里」からの発想

内山節『「里」という思想』を読んでいます(新潮選書)。「里」という言葉は極めて良い響きを持っています。そこから発想されるのは共同体、人と人の良好な関係があった。豊かな自然、人と自然の関係がまた良好であった。人は自然から恵みを受けると同時に、自然にうまく手を入れ(管理という言葉は使いたくない気分)、里山が成立した。また知性により運営される社会だけではなく、霊的な関係による社会が存在した。私は霊の存在は信じると言うより、あって欲しいと思います。草木や石ころにも精霊の存在を感じる感性は持っています。この霊的な世界を感じることが「里」が安心な社会として人々に受け入れられる大きな理由ではないだろうか。そこは生も死も自然に受け入れられる社会で、人と自然が無事のまま持続できる社会がイメージできます。しかし、私が暮らす社会は知性により運営される社会、人と自然が分断された社会、そこではなかなか安心を得ることは困難であり、死は恐怖でしかない。そろそろ年末で来年のことを考えなければなりませんが、来年は人と自然の分断についてもっと深く考えていきたいと思っています。(2007年12月19日)

外環道試験建設現場視察

市川市国分にある外環道の試験建設現場の視察をしました。沖積低地の中に遮水壁を入れて地下水位低下工法で掘削している現場、巨大なケーソンを少しずつ埋設している現場、驚くべきものでした。しかしルートに沿って国道6号線から京葉道路までの区間を走ると、北部では工事が進展する中にぽつんと残された古い住宅、南部では住宅地の中に予定地が点在し、人の生活が残っている現場を見ることができます。圏央道は私にとって便利な道路になるはずで、私は将来の受益者といえましょう。しかし、移転を余儀なくされている方々、工事中・完成後の渋滞や騒音等に不安を覚えている方々は受苦者といえます。そして受益圏と受苦圏が離れている典型的な社会問題です。アンケートによると市川市では85%の住民が早期完成を望んでいるということで、残り15%は道路により何らかの不安を感じている方々だと思われます。同じ市内でも考え方は分かれています。受益圏・受苦圏問題にはスマートな解決方法は無いのですが、それは受苦者である個人の生き方と社会の方向性が齟齬をきしているから。都市の機能を高め、経済発展を目指す社会にするか、経済発展はある程度あきらめて個人の生活を重視する社会にするか、あるいは都市と郊外を峻別し、多様な生き方を選べる社会にするか。いくつかの解決策が考えられますが、まず環境社会学の分野で議論されているように所有権に対する深い検討が必要でしょう。また、故郷権も考えられないだろうか。一定期間同じとことに住むと生じる権利。これは個人の生き方を重視する社会に繋がるかも知れません。まだうまく考えはまとまりませんが、最近こんなことをよく考えます。(2007年12月18日)

日本の衛星リモートセンシングのあり方一考

今日は日曜日でたまった学会誌の整理をしています。日本リモートセンシング学会誌の4号でJAXAの堀川理事が「地球観測の連携の推進」という巻頭言を書いていました。日本の宇宙開発の歴史の中でリモートセンシング分野を推進してきた苦労がわかるのですが、今後に向けての日本の大きな問題点もあるように思います。一部を引用します。

「...国民が具体的に享受できる成果が何であり、政策決定者が政策を提示できる課題解決につながる解析研究を誰がどのように行うかを明示する必要がある。そのためにはさまざまな関係機関、研究者が連携して、統一的かつ統合された進め方をする必要があり、...」

 たとえば、表計算ソフトで何ができるか一々明示しなければ、そのソフトの価値はわからないだろうか。個々人が個別の問題に対してソフトを使って解決をしており、個々の成果に大小はあるだろうが、このソフトウエアが我々の生活にもたらした恩恵は計り知れない。表計算ソフトの利用について統一的かつ統合された進め方をしようとするひとはいないと思われます。本当に評価されるべきは、そのようなソフトを生み出した開発者であり、開発者はソフトが使われることが評価につながる。リモートセンシングデータも使われることにより評価が高まるはずですが、日本はそういう認識をしてこなかった。上記の考え方はリモセンを実に矮小化していると思います。

「...このようなモデルで、このデータを取得することにより、この現象が理解できて、それに対し、このような政策をとることにより問題解決ができるというプロセスに必ずしもいたっていない」

 まさに、知性に基づき問題を解決するという近代社会のパラダイムがここに書かれていると思います。しかし、環境問題は人間と自然の関係として個々に個性を持って存在している。これを見なければリモートセンシングが個人の生活に役立つことは難しい。リモセンはもっと評価されて良い。リモセンプロパーの方々は衛星画像がすでに十分使われていることに気がついていないのではないか。様々なフィールド科学の分野で衛星画像は必須の情報になっています。ただし、利用するのは公開されている欧米のデータ。これに気がつくためには科学のもう一つのパラダイムにシフトしなければなりませんが(ギボンズ流ではモード2科学、大熊流では関係性探求型科学)、日本はしばらくはだめかもしれません。日本におけるリモセンデータの最初の利用は故大矢雅彦先生ではないだろうか。70年代にバングラディシュで橋を建設する際の渡河地点の決定にランドサット1号の画像を用いた。一枚の写真でしたが河川地形学の知識を注ぎ込むことにより、建設適地を見つけることができました。画像だけでもフィールド科学の知を注ぎ込むことによって画像は生きてきます。衛星画像には情報が詰まっており、人がそれを知識や知恵に変えることができます。専門家は貴重なのですが、日本ではあまりそれが認識されてませんね。(2007年12月16日)

ヘリコバクター・ピロリ菌はいませんでした

おめでとうございます、と自分に言います。ピロリ菌検査をしましたが、検出されませんでした。実は去年から慢性胃炎で胃の中は荒漠化していますが、これでピロリ菌がいたら今頃はどうなっていたか。菌がいなくても胃炎というのは人にいえん理由もあるのですが、いろいろな不具合が出てきてもおかしくない歳です。年が明けると50歳になりますが、日本人の人生はほんの数十年前まで50歳でした。戦後、急激に寿命が延びて今は男子で79歳。この長寿化が様々な問題を生んでいます。環境問題もそうですが、問題を解決しようとしたらきれい事は言ってられません。環境と教育指導はよく似た面があり、それは個別に深く関わらないと理解できないという点です。きれい事は問題の解決を難しくします。さて、50以降の人生をどのようにしたらよいのだろうか。きれい事の人生に決別し、問題の解決を阻んでいるものと対決しなければならないか。(2007年12月10日)

変わるアフリカ−脱貧困へ食糧増産

ケニアの話ですが、朝日の記事のなかに、「...化学肥料と高収量のトウモロコシの種が無料で配布され、普及員が指導に回った。...」とありました。食糧増産の成果は目覚ましかったとありますので、これは良かったと思います。しかし、従来の「緑の革命の功罪」という観点から想像するとこんなことも考えられます。化学肥料とHYV(High Yield Varieties)の種はお金を出して買わなければならない。グローバル経済に取り込まれたことになり、農業が先進国の企業に支配されたともいえます。また、単一種ですと虫害や病気も心配。農民はより現金が必要になり、年々の収穫の程度によっては破産もあり得る。これもステレオタイプかもしれませんが、多様な在来種の種を残しておき、HYVと組み合わせて用いれば旱魃や病気に強くなる。昔、タンザニアで見た種はいろいろな種類が混ざっているように見えた。その年の雨の状態に最も適した種が芽を出すのだそうです。豊かになることは人々の願いであるが、農業資源を外国企業に過度に依存せず、土地の環境に適応した農業を残しておくことが、いざというときのセーフティーネットになるのではないだろうか。(2007年12月9日)

心が豊かな社会

12月3日に「心が豊かな社会」という表現を使いましたが、どうも心の中で引っかかっていました。それは知性の領域で「心の豊かさ」を語ろうとしていた点にあるのではないか。都市住民は知性を介してしか「心の豊かさ」を捉えることができない世界に暮らしていますが、実は生命性、歴史性、風土性(まだ表現が足りない...)の領域で豊かさを語ることができる世界があった。それが自然と人が良好な関係を持っていた時代の社会。人と自然が分断されていない社会にこそ「心の豊かさ」があるのではないか。内山節「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」を読んでいて気づいたことです。やはり、この分断の修復こそが日本あるいは世界の将来にとって重要なことではないだろうか。(2007年12月9日)

12月8日に想う

今日は太平洋戦争が始まった日です。巷ではジョンレノンの命日に関する報道の方が多いように思うのですがどうだろうか。私にとっても両方が大事です。朝日朝刊では上海ではまだ日本バッシングを気にしなければならない現状に関するコラムがありました。太平洋戦争はいつになったら歴史になるのか、それは戦争の体験を記憶する人、戦争により人生が変わったことを意識する人がいなくなるまでですので、まだ時間はかかると思います。ところで、アヘン戦争は歴史になっているのだろうか。中国ではイギリス、フランスバッシングはあまり聞かないので既に歴史になっているのかも知れませんが、第二次アヘン戦争でフランス軍によって破壊された跡が保存されている場所を頤和園で見たことがあります。我々は太平洋戦争を忘れてはいけませんが、中国とはそれを乗り越えて友好、協働を推進しなければなりません。我々の研究者コミュニティーでは十分達成されているように思いますがいかがでしょう。とにかく日本に留学したいという学生を大切にすること。これが私ができることです。もちろん中国に限らず。(2007年12月8日)

ブラウンフィールド

届いたばかりの環境科学会誌の「理事が語る環境科学研究−土壌地下水汚染をどこまで浄化すべきか(片山新太氏)」より。汚染を起こしてしまった土地は浄化に多大なコストがかかるために塩漬けになってしまった土地がたくさんあるということは聞いていましたが、“ブラウンフィールド”と呼ぶそうです。都市域では浄化後の土地売却によりコストを回収することもできる場合もあるのですが、土地というものはその後の利用に計画性がないと将来に禍根を残すことになるかも知れません。近所の川鉄建材跡地で汚染処理が数年にわたり行われていましたが、高層アパート群の計画が持ち上がり、反対運動が行われていたにも関わらず、建設が始まっています。都心まで一時間以上かかる土地になぜ高層マンション群か。私は郊外は良質な低層住宅の供給地となり、高層アパートは都心に近い駅周辺に建設すべきだと考えています。もっとも、高層アパート群にしなければ浄化のコストを回収できないという事情は推察できます。しかし都市計画上の将来計画が見えないのはどうか。一方、近所にイオンのショッピングセンターがありますが、専門店街の入れ替えは非常に激しい。人口が増えれば商業を維持することができ、都市的な利便性は増加すると考えることもできます。狭い駅前通や駅は混雑しますが。一長一短はあるでしょうが、少なくとも習志野市の都市計画にどのような理念があるのか、暇見て調べたいと思います。なお、浄化には多大なエネルギーを消費するし(炭素の放出)、残土等の処分も問題、という指摘はもっとも。最後に環境科学を目指す学生に、自分の専門性に加えて他分野に飛び込み、分野横断的な研究で社会に役立てよ、という指摘は“御意!その通り!”です。(2007年12月7日)

COP13、バリの舞踊は何を語るか

朝日朝刊の一面に、バリで開催されているCOP13(国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議)にあわせたバリの舞踊の記事が写真付きでありました。踊り子さんたちは手に炎を形取った小道具を持っていますが、森林火災を表していると思われます。この記事の読者は何を思うだろうか。森林伐採、森林火災は温暖化を助長する“悪”だと思うだろうか。インドネシアは熱帯林の伐採が急速に進んでおり、衛星画像でも容易に現場を確認することができます。しかし、それは“絶対悪”だろうか。そもそも誰にとっての“悪”か。昔から森林に住む住人は自然から恵みを受け、自然を慈しんで共に生きてきました。焼き畑は本来持続可能な農業形態です。森林は誰のものではなく、コモンズであった。しかし、いつの間にか森林は国家のものとなり、ある日突然開発が始まり、貨幣経済に飲み込まれた住民と森林は分断された。お金が必要になった住民にはプランテーションや製材所は貴重な現金収入が得られる場となった。これは貧困からの解放といえるだろうか。現在、森林伐採、火入れはほとんどが開発目的で、それはパームオイル産業等のグローバル経済とも関連しています。このようなストーリーは社会学や林学系の研究でたくさん明らかにされています。だから、バリの舞踊はグローバル経済を批判していると捉えることもできます。また、COP13が地域の住民の現在の生活にとってははなはだ迂遠な議論にならないように警告していると捉えることができるかも知れません。(2007年12月6日)

いやな事件が多いこの頃ですが

同じ市内で殺人事件。通り魔事件かも知れません。実は少し前、自宅から100mのところで中学生が斬りつけられるという事件がありました。いやな事件が多いこの頃ですが、身の回りでも目立ちはじめ、世の中何となく悪い方向に向かっているなという感が強くなってきます。どうしてだろうか。ほとんどの方が世の中何となくおかしいと感じているようです。おそらく今年の忘年会はこういう話題で盛り上がるでしょう。昨日の朝日だったと思いますが、「象の戦略」、「虫の戦略」ということを誰かが書いていました。巨大化した象は現在ではアフリカ象とアジア象のみですが、小さな虫は世界で大繁栄しています。日本も「象の戦略」をとった反動が出ているのではないか。持続可能な「虫の戦略」に方向転換する時期かも知れない。しかし、「虫の戦略」をとるためにはあきらめなければならないことも出てきます。それは、豊かで便利な生活かも知れない。しかし、心が豊かな社会になれば、物質的な豊かさはさほど問題では無くなるでしょう。おそらく一番の問題は世界が足並みを揃えることができるか、という点。欧米追随の方々には耐えられないかも知れません。日本独自の生き方を構築することはできないだろうか。(2007年12月3日)

応用地質学と社会学

応用地質(応用地質学会の会誌)では「環境問題への挑戦」という連載特集を組んでいますが、その5回目は「再生可能エネルギーの利用と将来展望」というタイトルでした。その中で“社会学と応用地質学の融合”が必要というくだりは“御意”でした。応用地質学も“現場学”です。そこでは自然と人間の関わりを扱うことになる。自ずから社会学との融合が必要となってきます。私は水文学をベースとした地域研究をずっとやってきて、社会学との連携の必要性を強く感じており、そこに環境学成立の可能性を感じています。実は応用地質学会は私にとって会員歴が最も長い学会なのですが、端から見ていると応用地質学と地質学の間にはギャップがあるように思えてならない。地質学は大学で研究されていますが、サイエンス志向が強い、一方、応用地質学では地域の個別の問題の解決に責任があり、自然だけでなく人間との関わりを同時に扱わざるを得ない。春の地球惑星科学連合の評議会でサイエンス志向の演説がありましたが、実学としての現場を知らない幸せな大学人の感覚であるように思えてならない。(2007年12月2日)

「ちゃん」付け山梨大学教授を懲戒処分

こんな記事がありました。報道は事実を伝えるはずですので、これだけを事実として捉えると注意程度でよかったのではないか、という気もします。ただし、報道は真実は伝えないので、背後にどんなことがあったのかはわかりません。傍で聞いているだけの者はすぐ忘れてしまいますが、当事者は不条理に苦しんでいるのかもしれませんし、懲戒が適当なのかもしれません。この記事の中で、山梨大学では、「本学では基本的に受け手が不利益と感じた場合は、たとえ教授が親しみを込めたつもりでもハラスメントと判断する」そうです(Yahooニュース、スポーツ報知から)。こちらのほうが問題で、これは大学は真実を見極め、正当に評価することを放棄していると言わざるをえません。教育機関として危機的な状況ではないだろうか。法人化後、管理能力の欠如にも関わらず権力を持ってしまったものが、重大な判断を下す必要に迫られても思考がストップしてしまっている状況が思い浮かびます。とはいえ、これは山梨大学だけに限ったことではありません。大学教授の大半は10人の将になれても、100人、1000人の将になれない人材です。狭い専門にこもって研究をしていればそれで済んでいたから。今は過渡期であり、今の状況が将来千人、万人の将になれる人材を輩出することになるのではないかと思います。私はもうだめですが。(2007年12月1日)

二通りの科学

科学には二通りある。これはモード論(ギボンズ)もそうですし、ニュートン・デカルト科学とそれに対するもの、真理探究型科学と関係性探求型科学(大熊孝)、一般性の科学と個別性の科学(これは私が名付けてみた)、等々いろいろな方々がいろいろなコンテクストの中で述べていますが、もうひとつ見つけました。環境社会学会誌の中で宮内泰介さんが故宇井純さんの文章を引用した部分にありましたが、「公害問題を見る限り、(中略)拡散の微分方程式などを使って住民を煙に巻く科学と、(中略)漁民や現地住民被害者の実感を取り入れていく科学と、どうも二通りの科学があるように思えてなりません」(宇井、1980)。衛生工学の技術者と自称する宇井さんが、現場と関わる中で気づいたものです。現場と関わらないとわからないことがあります。机上科学者や実験室科学者には環境は理解できないでしょう。フィールドサイエンスの立場をもっともっと主張する必要があります。(2007年11月24日)

“研究者の卵を無償の労働力としている現状”は本当にあるのか

朝日の紙面審議会記事の中から。研究者の卵は博士課程の学生のこと。この表題のような現状は本当に存在するのだろうか。具体的事実に基づかないでステレオタイプに依存した発言ではないのか。現実には大学の教員は学生の研究を支援するために予算を獲得しなければならず、そのために様々な責任や雑務を抱えることになる。学生の研究経費は大学からは支給されないので(今年は博士課程で年間5万円ほど支給がありましたが、これで研究はできない)、通常、教員はがんばって競争的資金を獲得し、その中で共同研究者として学生と一緒に研究を行い、論文を書くときは教員の名前は学生の後に連ねる、こういうやり方で学生とWIN-WINの関係を築いていきます。これが無償の労働力としていることになるのだろうか。論文の筆頭著者は業績になり、連名者は研究グループの存在をアピールするという意味があります。ただ働きとは論文に名前が入らないということですが、そんな分野は存在するのだろうか。もしあるとすれば、それは深みにはまったディシプリン科学の分野で、かつ時流に乗った分野、親分がいる分野、なんて想像することは不可能ではないが、これもステレオタイプでしょう。発言は常に事実に基づいているかを確認すること、これが研究の世界でも報道の世界でも最も重要な態度であるのだが。私が知らないだけか...ただし、記事のその他の文章ではよくぞ言ってくれた、という部分もありますので念のため。(2007年11月24日)

世界の犬がワンとほえた

万能細胞を作った山中さんに関する朝日の記事から。全部を引用すると、「『世界の犬がワンとほえた。調べたら日本の犬もワンとほえた』。そんな後追い研究はするな」。これは正しい。でもちょっとひねってみよう。新しい成果を生み出すためにはまず同じことをやってみる必要があるので、よく調べてみたら世界の犬はワンとほえていなかった。アメリカはバゥワゥ、日本の犬も江戸時代はボゥボゥ。実は各国で犬の鳴き声は違っていた。犬はワンとほえる、という仮定から出発して、ほかの国でもワンとほえるはずと考えるのは演繹的な考え方で、ニュートン・デカルトタイプの思考法。仮定が崩れれば後はすべて崩れる。後追い研究というのはここがわかっていない研究。出発点を間違えないよう、またステレオタイプに惑わされないように注意。でもよく調べて多様な結果が得られても一般性はわからないではないか、という意見もあるかもしれない。でも、それでよいのです。中国の犬のほえ方がわかれば、中国の一面が理解できる。インドネシアでは違うほえ方をするかもしれない。なぜ違うかと考えると、新しい発見が生まれる可能性があるし、一般性がわからなくても地域に役立つ知見が生まれるかもしれない。また、事例の集積の中から普遍的な知識が見えてくることがあるかもしれない。これが環境学の考え方です。こう考えると後追い研究にはならないし、ある結果を他の地域に適用することはまた意味を持ってくる。環境問題は現場で起きているから、現場を理解する科学のパラダイムもまた必要。(2007年11月23日)

環境問題における従来の科学知や自然科学者の役割

しばらく書き込みをさぼっていましたが、「環境社会学研究」(環境社会学会の学会誌)が届き、また刺激を受けました。特集の序の中で、環境問題に関して、「多様な主体の多様な利害を整合的に組み合わせるような形での問題解決が必要」、そして「環境問題における従来の科学知や自然科学者の役割は相対化され変化していくことになる」という部分が気になりました。環境研究と環境問題に対する取り組みは違うと思います。環境研究は極論すれば、まあ研究者が勝手にやって、論文を書けばよい。しかし、環境問題に対峙するには自然科学者のディシプリンだけではどうしようもない。ここを一歩踏み出すかどうかで今後の大学の役割は大きく変わってくるだろう。しかし、千葉大学の自然科学研究科は分割されることによって、環境問題解決能力を大きく損なうことになってしまった。分野間の協働は個人に任されることになり、組織としての環境問題解決能力は低下したと思います。後は個人やグループでがんばれば良いのですが。(2007年11月21日)

都市圏のコスト

今日はフィールド調査に出かける予定でしたが、雨のため取りやめ。研究室でいろいろ考え事をしています。実は今朝初めてETCを使いました。便利ですね。カーナビもVICSシステムがついて幹線の混雑状況がわかります。これも便利ですね。ということは、それだけ投資がされていると言うことでもあります。最近、調査でよく郊外に行きますが、カーナビももはや重要な調査用具のひとつ。次の観測地点に到達するために必須のツールになっています。調査といっても採水なのですが、幹線から外れていろいろなところに入り込むために、道すがら都市機能を維持するためにいろいろな施設があり、工事が行われていることがよく見えます。我々はもっとこのコストについて知らなければなりません。これからは国力が低下する時代、人口減少の時代です。今の生活が税金によるコストをかけることによって維持されていることに気がつかなければ、それは“文明社会の野蛮人”でしょう。持続性ある社会の構築はまず現在かけられているコストとそれによって達成されたものの機能を知ることからだと思います。(2007年11月10日)

上質コピー紙はインドネシア製

普段コピー用紙は再生紙ですが、時々上質紙が必要になるので、買ってある用紙にインドネシア製と書いてあるのに気がつきました。さて、インドネシアでは何が起こっているのか。それは決して熱帯林破壊といったものでは無いでしょう。昔はともかく林業の分野は早くから適切な森林管理に取り組んできたという話を聞いたことがあります。報道されるような森林破壊の現場は林業ではなく、別の開発目的のものがほとんどという話も。この用紙も原木輸出ではなく、製品化されていることからインドネシアの地域住民の現金収入源になっていることでしょう。衛星データで見ると特にスマトラ、そしてカリマンタンの森林の変化はすさまじいものがあります。しかし、それがすべて悪であるかどうかは現場にどっぷり浸かって調べなければわかりません。しかし、生活が脅かされている人々がいるとしたら、それは問題です。その本質を調べてどうしたらよいか、という問いに答えなければなりません。これが研究者の仕事なのですが、こういうベースの仕事は予算が取りにくい時代になりました。(2007年11月5日)

通勤車を換えました

通勤車をオデッセイからエアーウエイブに換えました。排気量は3000ccから1500ccに変わりましたが、燃費は2倍以上に向上しました。オデッセイでは電車通勤の方が安くなってしまいましたが、エアーウエイブではまた挽回しました。相変わらずCO2を排出し続けているではないか、とのご批判も頂きそうですが、これはアル・ゴア流の地球温暖化防止個人対策といえましょうか。しかし、これで良いではないかと思います。生活に必要であれば使わなければならない(たまたま個人的にそういう事情もあります)。生活が一番、生活環境主義、といった考え方が大事だと思います。安心して楽しく、少し豊かに、誇りを持って生きる(小田切先生の言葉)ことに通ずるならば。ガソリン価格が上がり、省燃費の車に乗り換えるモチベーションが高まるという方向はとても自然な方向だと思います。温暖化や環境問題のステレオタイプに囚われて、不自由な暮らしを強いられることほどつまらないことはありません。まず、本当の問題点はどこにあるかを理解すること、そのためには空間軸、時間軸を広くとった視点が必要なこと、特定のディシプリンに囚われないこと、が必要です。急に換えようとせずに近未来を見据えてゆっくり軟着陸できればよい。将来の社会をどうしたいかがわかれば、環境に対する施策にもインセンティブが働きます。(2007年11月5日)

国際ワークショップの連チャン

10月29日、30日がCEReS国際シンポジウム、31日が筑波のワークショップで、疲れましたが楽しかった。28日にインドネシアからパートナーを千葉で迎え、打ち合わせの後、天気が良かったので東京湾観音に行きました。予想通り、富士山、関東山地から横浜、東京が見事に遠望できて、よい思い出になったのではないかと思います。翌日はCEReS国際シンポジウムに参加していただき、30日は筑波へ移動、31日は筑波大で国際ワークショップを開催し、私は1日の朝に帰りました。今回の催しはJSPS二国間協力事業として行っているもので、千葉大、筑波大、京大の水文グループとそれぞれの博士課程の卒業生とが一緒に推進しているもので、私としてもようやく留学生を通じた交流が可能となり、ほんとうにうれしく楽しい一時を過ごしました。これからインドネシア出張も増えると思います。もちろん、中国も。(2007年11月2日)

一隅ヲ照ラス者、コレ国宝

インドネシアと中国に持って行って夜読んでいた司馬遼太郎の「峠」を読み終わりました。河井継之助、こんな男がいたのか。今まで知らなかったことはおやじとして恥ずかしい。司馬文学には所々に人生訓がちりばめられており、おやじ好みなのですが。表記は伝教大師の言葉で、「小史と大将とどちらが幸せか」という問いに対する継之助の返答で、「小史の才が幸せ」だということです。藩組織の片隅でこつこつと飽きもせずに小さな事務を執っていくとっていく、そういう小器量の男にうまれついた者は幸せであるという。自分の一生に疑いを持たず、冒険もせず、危険の淵に近づきもせず、ただ分をまもり、妻子を愛し、それなりで生涯を過ごす。こういう人生もいいですな。でも、激動の時代、継之助は長岡藩を背負って立つリーダーにならざるをえなかった。小史もバックオフィスとして組織の目的のために奮戦せねばならない。それでこそ組織。司馬は江戸時代の藩は組織ではなかったとどっかで書いているのですが、藩の最終段階で組織にならざるを得なかった。今の大学も激動の時代なのですが、一部のリーダーと教員、そしてバックオフィスが共通の目的の下で組織化できるか、そんなことが試されているのですかね。(2007年10月25日)

総合学習は減らしていいのか

中央教育審議会は総合学習の時間を減らす案を提示したそうです。以前にも書きましたが、小学校時代は自己中心性から抜け出して、事実を事実として見る目を養っていく時期だそうです。この時期の総合学習を減らして、各学科を強化しても、最後に大学で学ぶのはディシプリン、教員はディシプリン学者が多く、世界を包括的に見て、いろいろなことの関連性を探究する分野は全体の中では少数派です。大学に入っても、場合によっては大学院に入っても自分のやりたいことがわからないという学生が時たまいましたが、ディシプリン教育偏重が原因ではないだろうか。多様な事実を受け入れ、関連する問題を発見できる感覚を身に付けていれば、何をやりたいかわからない、すなわち、何が重要かわからない、という大学生はいなくなるのではないだろうか。総合学習を何とか維持したいものです。小学生が教員と一緒に問題を見つけ、追求し、考えることを通して成長していく過程を書いた「地域を教える−小学生が本音で語るとき−」(菅原康子著、農文協、人間選書112)は本当に参考になります。今、中教審ではいろいろ考えているようですが、“総合”ということの意義、この感覚を子どもたちに修得させることができたときの将来の社会がどうなるか、十分議論して欲しいと思います。とはいえ、ディシプリン学者の意識変革は難しい。やはり、学会から発信する必要があるのだろうな。また、大学はもっと初等・中等教育と連携しても良いと思う。総合学習のネタはたくさんあります。(2007年10月24日)

温室ガス7割減らせるか−「2050低炭素社会」

朝日の記事から。国環研の表記のプロジェクトが出した社会像で2050年までのCO2削減の二つのシナリオが載っていました。シナリオAは技術志向、都市集中型で集合住宅に居住する人が増加、シナリオBは自然志向で、戸建て住宅に居住する人が増加。実際は両シナリオが混在しながら進み、どちらでも低炭素で豊かな社会を実現できるという。極めて喜ばしい結果ですが、両シナリオは混在できるか。今後の日本の政策である国土形成計画はAを重視しているように思います。Bも謳ってはいるのですが、中身が乏しいようです。実際にシナリオBは実現できるのだろうか。極端な例ですが、同じ紙面には限界集落に関する記事もありました。多くの地方は疲弊している。シナリオの両立には人々が多様な生き方を選択できる社会、というよりシナリオBも現実に選択できる社会の構築が必要ですが、現在はそうなっていないように思う。まずは都市の維持が何と関連しているのかを知ることが必要。たとえば、羽田空港が広くなると千葉の山が無くなり、地元住民はダンプ公害に曝される、といったことがたくさんある。重要なキーワードは分断。人と自然、都市と地方、地方都市と中山間地域、生活と水源、生活とゴミの行き先との分断、等々。ここをなんとかせねば。都市の生活が地方のいろいろなことに影響を及ぼしていることを知ることによって、シナリオBへの意識改革はできないだろうか。教育が重要です。もう一つ考慮しなければならないことは災害ですが、まずこのプロジェクトを調べなければね。(2007年10月21日)

ゴア氏のノーベル平和賞

中国出張から帰るとこの報道がありました。ゴアさんは地球温暖化問題が存在することを広めることに貢献した点について十分な功績があり、平和賞受賞については私も異存がありません。ただし、現場で起きている問題の本質についてはまだまだ理解が進んでおらず、生活の立場から“地球温暖化問題”の現場検証を進めるべきであるというのが私の意見でした。中国に発つ前日(7日)の朝日の一面トップは「大地燃え大量CO2−インドネシア焼き畑で泥炭火災」でしたが、伝統的な焼き畑は持続可能な農業形態です。しかし、記事で取り上げられた焼き畑は地域の住民が生活のために行う伝統的な焼き畑かどうかはわかりません。そもそも熱帯湿地林で伝統的な焼き畑が行われていたのかどうか。パームオイル等のプランテーション開発が目的ではないか。疑問はたくさんあります。地球温暖化を地域の問題として捉える際には、人の“生活の立場”とグローバル経済と結びついた“産業の立場”を峻別する必要があると思います。先月末はインドネシアに出かけておりましたので、こういった問題への糸口を探し、今後の活動の一課題としたいと思っています。(2007年10月13日)

中国の水資源問題に関するOJT(実地職業訓練)

中国の大学院生を対象とする筑波大学田中正先生代表の表記の事業に参加してきました。最近は中国出張も北と南が多くて北京は一年半ぶりだったのですが、それでもこの間の変化は凄まじい。基地としている地理科学・資源研究所が北京オリンピックメインスタジアムの隣だからかも知れませんが。近代化が進むということは多くの水が必要ということでもあり、水資源に関しては北京は予断を許さない状況にあります。このOJTでは水資源に関する講義と、いくつかの現場視察を行いましたが、南水北調の巨大な工事現場を見て、改めて問題の大きさを実感しました。最終日には中国の大学院生に感想を述べてもらいましたが、英語で堂々と話す姿には感心。私は留学生には日本語の習得を強く勧めていますが、やはり国際的なつきあいの中では英語は避けざるを得ませんね。研究能力、教育能力、語学能力すべてが重要なのですが、日本語の文献を読んで欲しいために留学生に数カ国語を強いるよりも(母国籍語、民族語、英語、日本語)、日本の知識・経験を英語で広める努力もしなければいけないな、と思いました。さっそく何とかしなければ。(2007年10月13日)