隠者の随想録

2023年3月末に定年を迎えてしばらくは呆けていましたが、またホームページを再開することにしました。世の中の外側に身を置き、その有り様を観察しながら、徒然なるままに駄文を書き連ねていこうと思います。エッセイの練習でもあるので、時々推敲があるかもしれません。(2023年7月吉日)



 日本の研究開発力低下の現状について想う

 このところ日本の研究開発力の低下に関するニュースを耳にすることが多くなった。現場の体験からはさもありなんと思うのだが、状況を嘆くだけではなにも変わらない。根本的な要因がどこにあり、なにをどう変えなければいけないのか、熟考する必要がある。

 根本的な理由は、ひとの幸せ、国の豊かさについて思想を持ち、研究開発の場を含む社会全体を俯瞰できる人材がトップサイドにいなくなってしまったことではないか。人の意識世界(人が関係性を持ち、考え方を醸成していく範囲)が狭くなり、小さな世界を共有する小さな集団が権力を持つようになる。その閉じた世界の中の議論では、あらゆる事象、事情が絡まり合う現実を前にして、目的の達成や成功がおぼつかなくなっている現状があろう。

 人や集団の意識世界が狭くなってしまったのは、一転びアウト、他者依存の風潮の中で、失敗したら再起しにくい風潮になり、意識世界の外側に踏み出すことを忌避する精神的習慣が日本人のなかで強化されてしまったからだ。低成長下で新自由主義的政策をとり、トップダウンの統治を強めたものの、リーダー足り得る人材を育てることができなかったことがこの精神的習慣を定着させた。

 学術の世界ではどうか。まずは学術の社会に対する位置づけをはっきりさせておきたい。学術を、①ノーマルサイエンス、②課題解決型科学、③問題解決型科学に分ける。そして①~③の三角形の頂点に連結する④社会を加え、これらを頂点とする四面体を考える。すると、学術の世界は各頂点と頂点間の結びつきで表すことができる。日本は①~③の弱体化に加え、④社会を加えた4つの頂点を結ぶ関係性が弱いと考えることができる。

 ここで、①ノーマルサイエンスは人文社会科学も含む基礎科学全般であり、学術と呼んでも良い。「プロトタイプ」の科学(村上陽一郎)でも良いだろう。アカデミアの中で完結する科学である。なお、ノーマルサイエンスを応用科学と同義とする考え方もあるが、ここでは好奇心に駆動される真理の探求に関わる営みとする。

 ②の課題解決型科学はMission-oriented Scienceである。19世紀以降の歴史の中で科学の主要なパトロンは貴族から国民国家に変わり、研究の原資が税金となったことによって、現代の科学は政治との関わりを意識せざるを得なくなった。この状況で重視されるようになった科学である。

 ③の問題解決型科学はSolution-oriented Scienceであり、20世紀末以降に重視されるようになった科学である。モード2サイエンス、Transdisciplinaryーscience(超学際科学、学際共創)と考え方は近い。ただし、ここでは問題を”地域におけるひと、自然、社会の関係性に関わる問題”とする。ある事象が問題と意識されるのは地域においてだからである。

 人を”ひと”と表記したが、ひとは大和言葉であり、顔が見え、名前がわかり、暮らしがある”ひと”である。規範的な人は数字と属性で表され、科学の言葉で記述できる。地球規模の問題は②課題解決型科学で扱うことができ、そこでは人を扱うことになるが、③で扱う問題のステークホルダーとしてはひとを考えたい。

 ①~③の科学は単独で存在するのではなく、強い結びつきがなければならない。さらに、④社会と結びつき、四面体を構成する。つながってはいるが、①、②と③では科学の目的が異なる。①は真理の探求、②は特定の課題の解決(経済や軍事とも係わるだろう)、③は先の定義による問題の解決、となる。また、④が頂点として存在するためには社会のあり方に対する考え方が合意されていなければならない。

 そもそも、①、②と③は(ギボンズがいうところの)科学のモードが異なる。科学の方法論も異なることになる。③の目的である問題の解決に対しては、①のエビデンスと論理をより所とする科学では越えられない限界がある。②で得られた課題解決の方法を④社会に実装するためには人間の本質を理解する必要もある。

 このように様々な乗り越えなければならない壁も存在するが、①から④それぞれにおける方法論、哲学、思想、価値に関する考察を深め、各頂点を結ぶ関係性の強化をはかることによって人間社会と科学(学術)の調和を達成することができるだろう。

 ①~④の頂点間の関係性を強化するとともに、全体を俯瞰することがこれからの日本の課題であるが、各頂点を繋げる営みは社会とアカデミアの中に存在はしている。そのような営みを見つけ、育てていく必要があるが、日本が遅ればせながらもやるべきことである。

 現在の日本は高度成長は終わり、低成長時代に入った。政策は新自由主義的な色合いを帯び、様々な施策が試される中で科学者、研究者のマインドは変わってしまったようである。①は政治の支配力が強まるにつれ、エリート指向が顕著になってきた。②は高度成長の記憶にとらわれ、新たな方向性を見いだせない状況にある。③は地域における底流として存在するが、まだ奔流にはなっていない。ただし、SDGsは強力な追い風である。

 社会は民衆の力と行動によって変わっていくことは歴史が証明している。現在は様々な分野の専門家が定年により市井(ローカル)に放たれる時代である。それは環境分野では④においてローカル市民科学の役割が重要になる時代の到来でもある。地域を対象とするから包括的、総合的な視点、視野、そして異なる視座をもって問題に取り組むことができる。現在における科学のひとつの方向性である。時代は変わりつつあるのだ。(2023年9月某日)

 地球温暖化問題の解決とは

 酷暑が続いている。先月(2023年7月)は史上最も暑い7月だったそうだ。地球温暖化(気候変動というべきだが)は人類が直面する最大の危機だ、なんていわれるとえらいこっちゃとは思うが、脱温暖化を目指す行動の習慣化は案外難しい。大変ね、と言った次の瞬間にはエアコンの効いた部屋に入り、温暖化のことは忘れてしまう。世の中はそんなものだろう。

 地球温暖化のわがこと化が難しいのはなぜか。日本では安全・安心を行政に付託してしまった国民の精神的習慣があり、誰かが何とかしてくれるだろうという思いこみが背後にあるのかもしれない。また、個人が分断された近代社会の中で、自己を中心とする意識世界が狭くなり、外界との関係性が見えなくなったということもあろう。外界だけではなく、現在とつながる未来も意識しずらくなっている。

 地球温暖化を引き起こす近代文明のベネフィットを享受するには、気候システムの基礎的な物理の理解と、システムへ干渉することのリスクの諒解が前提である。しかし、現実には温暖化をもたらすことになる経済的なベネフィットが公平に社会に行き渡っておらず、リスクとベネフィットを包括的にとらえることができていない。地球温暖化がもたらすとされている危機についても、それを特定し、多様な要因(ハザード)の積分としてのディザスターの理解に基づき、危機を回避しようとする考え方も根付いていない。地球温暖化がスケープゴートになっている場合もある。こんなことが地球温暖化をわがこと化できず、地球温暖化問題を乗り越えた未来を構想することをも困難にしている。

 こんなことを書くと悲観的すぎるという意見もあろうが、未来を考えることができるということは、その人の暮らしが無事(事も無し)ということだ。目を凝らしてみると、この世界には様々な問題を抱えた人々がいて、目の前にあるリアルな問題の解決こそが最優先課題である人々もたくさんいる。地球温暖化は様々な問題のなかのひとつに過ぎないのである。

 だからこそ、地球温暖化は複数の視座から検討する必要があると思う。そのひとつに都市的世界と農村的世界がある。都市的世界ではベネフィットを得るために、高度管理型社会、故栗原康流にいうと緊張のシステムで都市が運営されている。それは社会のあり方の選択でもあり、コストをかけた高度な技術でカーボンニュートラルを目指すこともひとつの選択である。

 すでに、発電や製鉄といったCO2を排出する産業分野では生き残りをかけた技術開発が始まっている。国際的なハブ空港ではSAF(持続可能な航空燃料)を提供できなければ海外の航空機はやってこない。この課題に私たちが関わることは困難であるが、行政は企業が目的を達成できるような施策で支援ができ、それは私たちの税金でもあるので間接的な支援は可能である(政治には目を光らせなければならないが)。

 一方、世界は都市的世界だけで成り立っているわけではない。農村的世界は低負荷社会としてその存在価値を高めている。水と緑と土地を活かすことによって温暖化を緩和することができるからだ。水と緑は気候を緩和する。樹木の緑陰は冷気を供給し、広い庭は風の道となり、周辺に水田が広がっていれば蒸発が熱を奪ってくれる。なによりゆったり流れる時間が人に安寧をもたらす。

 とはいえ、都市的世界と農村的世界のどちらが良いかということではない。重要なことは人が都市的世界と農村的世界を自由に行き来できる精神的習慣をもつことなのだ。鴨長明も方丈記に都は地方によって支えられていると書いている。互いの尊重と交流が重要なのだ。大事なことは全体をみること、様々な関係性をみつけること、そして感性を大切にすることである。感性を大切にするとは、現実にきちんと対峙するということでもある。

 そんなこといったって、最近の酷暑はそんな呑気なこといってる状況ではないといわれるかもしれないが、地球温暖化問題の解決は社会の変革でもある。短期的な対策も必要であるが、長期的な観点から人類の精神的習慣を変革し、最終的に人為による地球温暖化を止めようとする展望をもつことも大切ではなかろうか。

 世界は低成長時代に入った。問題をひとつだけ取り上げ、重点的に投資することにより対策する時代ではなくなった。人、自然、社会の調和をはかり持続可能な社会を構築することの先に、問題の解決がある。そのときは地球温暖化を含め、生物多様性や水問題、複数の問題の解決が同時に達成できるだろう。

 その達成において最大のネックになるのは蔓延する貨幣主義ではないだろうか。貨幣を必要以上に蓄積したいという欲望が持続可能な社会の達成を阻害する。日本は明治維新で富国強兵か、豊かな小国か選択を迫られた。当時は富国強兵を目指したのだが、その結果は周知の通りである。今、日本は再び選択を迫られているのではないか。私は心豊かな小国を目指してもよいと思う。徳によって統治し、世界から尊敬される国こそあらゆる問題を解決できる力を持つ。それはけっして経済力ではなく、こころの力である。日本社会のなかにはすでに底流はある。それを育てていく努力が必要だ。(2023年8月某日)

 信と支配

 定年を機に地元の図書館デビューを果たした。ストレスフルな現代社会の習慣から抜け出すには読書がいい。「読書は、ストレスに正面から対抗することのできる唯一のといっても良いくらいの武器」(山田智彦)だからである。

 若い頃はあまり小説を読まなかったので、今さらながらではあるが、小説を読もうと思った。科学は事実を明らかにするが、小説は真実を想像する。実証的な科学の到達できない領域を扱っているので、小説は単なるフィクションとは言えないのではないか。

 先日、以前から読みたいと思っていた遠藤周作の「沈黙」を読んだ。なぜポルトガルの宣教師が壮絶な苦難を乗り越えて日本までやってきたのか、なぜ”転んで”(棄教)しまったのか、そこにある深い意味を知りたいと思った。宗教は世界を理解するために必須の知識であり、特にキリスト教の精神を知ることが世界で今起きていること(戦争)を理解することにつながるからである。

 「沈黙」の主人公のロドリゴは使命感に燃えて、ポルトガルから見たら地の果てにある日本にやってきた。その使命感はなにに起因するのか。役人に捕らえられた後、神の教えは普遍的だとロドリゴは述べている。それこそヨーロッパ思想の根幹であり、普遍的なるものを進歩が後れている人々、地域に広めることが使命だということだ。しかし、長崎奉行イノウエは日本には日本の精神があるという。先に棄教したフェレイラ神父も日本にはキリスト教を受け入れない何かがあるのだ、という。それは多くの論考があるように、厳しい砂漠で生まれた宗教と豊かな森の宗教の根底にある違いだろう。仏教の背後にはアジアの風土がある。

 小説の中では日本人キリシタンがロドリゴの前で拷問の苦悶に耐え、死んでいく。それは神が天国の扉を開けて待っているという「信」があったからだろう。その背後にあったのは貧困だろうか。いや、当時の農山漁村でも自然の恵みを受けた農の世界、手仕事の世界、共同社会があったに違いない。幸せや豊かさは相対的なものである。島原の乱のあと、キリシタンにとっては厳しい時代を迎えた。支配、搾取が貧困をもたらした。「支配」が神に対する絶対的な「信」を生んだのではないか。

 人間が人間である所以は自立し、自律的に行動する欲求を内在する点にある。人を「信」の道に進ませるのは、不条理な「支配」であるように思う。それが日本人キリシタンの信仰の強さにつながったのだろう。

 一方、当時の仏教はどうだったのだろうか。死後の世界を用意してくれるのは仏教もキリスト教も同じである。仏教は長い時間をかけてお釈迦様の教えに加上しながら変わってきた。それは苦しみを乗り越えて生きるための哲学である。キリスト教では「正しい」ことは聖書にすべてかかれているが、仏教の教えは方便であり、便法であるので、絶対的な「普遍性」はない。「信」に到達するには「行」が必要だ。人々がキリスト教に帰依したのは、キリスト教が「正しさ」を明示しているからではないだろうか。

 では、ロドリゴはなぜ”転んだ”か。ロドリゴは形の上では棄教したが、なおも棄教していないと自身に言い聞かせている。それは、大江健三郎いうところの”あいまいな日本”にからめ取られていくヨーロッパ、に敷衍できる。日本は明治以降、ヨーロッパを進んだもの、優れたものとしてその科学技術や習慣を取り入れることに注力してきた。そのかわり、日本の地域性が培った伝統的な思想を忘れてしまった。これは日本にとって大きな損失であった。今こそ日本の伝統的な考え方を取り戻すときである。こんな風に遠藤周作は考えたのだろうか。

 今、宗教は岐路にさしかかっている。神も仏も実体はなく、人の些末な願いなど叶えてくれないことがわかってしまった。しかし、「信」があれば、どうしようもない危機に陥ったときに、信仰は人に諒解を与えてくれる。それがかつての救いであった。いろいろな宗教が興った時代からみると、遙かな未来に我々はいる。文明は発達し、便利にはなったが、失敗すると復帰が難しい、生きづらい社会になった。宗教を哲学としてとらえ、学ぶ姿勢が大切だ。信じる宗教から学ぶ宗教、それが生きる力にもなるのではないか。

 人は誰も支配などされたくない。しかし、振り返って日本の政治の今を見ると、国民を支配する力が強くなりつつあることに不安を感じる。政治は共治であるはずなのに。政治も背後にある思想を明らかにし、わかりやすく説明する必要がある。人も学ぶ必要がある。思想、哲学の時代がやってきたのではないだろうか。(2023年7月某日)

 研究人生ふりかえり

 18歳で大学入学以来、大学には50年近く通い続け、今春、ようやく“卒業”することができた。世を知らぬ幸せな大学人としての数奇な研究人生をこの機会にふりかえっておくのもよかろうと思い、一筆したためることにした。若い頃の研究はおもしろいからやるものだったが、歳を重ねるにつれて単におもしろいからというよりも、重要だからやるという意識が強くなってきた。誰にとって重要か、という点が“自分”から“自分を取り巻く世界”に変わっていった。環境、すなわち人、自然、社会の関係性を見つめる研究者としては当然の成り行きだったのではないだろうか。

 自分は下総台地の縁、江戸時代には小金牧と呼ばれた草原と松林の広がる広大な台地の南縁で生まれ育った。子供時代には、近所の谷津田や湿地、斜面の落葉樹林、そこに集まるカブトムシやクワガタ、いろいろなモノ、コトにときめいた。谷津は自分の原風景だ。谷津にはたくさんのときめきを運んでくれる自然があったが、高度経済成長の進展とともに姿を変え、小学生の頃には開発により露出した台地崖端の赤土の崖が遊び場に加わった。そこには不思議な縞模様があった。後になってその模様は氷河時代の火山噴火によって放出された火山灰であることを知った。ふるさとである台地の歴史がそこに記録されていた。地学が好きになったのはそんなわけかもしれない。

 大学に進学し、地学を学ぶうちに水文学という学問分野を知った。粛々と循環を続ける水と人間の営みとの関わりに好奇心を揺さぶられ、博士課程まで進学することになった。大学院では地下水に関する研究を行ったが、地下水が循環する過程で万年の時間をかけて地形を造り、それが台地の谷津であることを確信した。台地地形の研究で学位をとりたかったが、まずは学位取得を優先させることになった。

 その後の研究人生はもともと好奇心が旺盛であったこともあり、様々な課題に手を出した。地下から地表、そして大気から宇宙、実験室から地域、アジア、そしてグローバルと、自分の関心領域は拡大していった。自分は好奇心駆動型の科学を十分堪能することができたと思う。研究者のキャリア後半では世の中の状況が変わり、大学では成果、それも数字で表現できる成果が求められるようになり、研究という行為にしんどさも感じるようになった。研究の世界が研究のための研究、地位や名誉のための研究を行う場に変わってきた。生業としての研究を重視しなければ暮らしが成り立たないからである。

 もちろん研究という営みのおもしろさに変わりはなかったが、申請書の段階で成果の価値をアピールしなければならないという状況は成果が重要かどうかではなく、重要ということになるかどうか、という思考に流されがちになる。それよりも気ままに環境を観察し、感じ、自分が重要だと確信したことを発信する営みを継続したいと思い、実際そうしてきた。世間から見ればわがままな大学人ということになろう。

 そうした中、福島で原発事故が起きた。阿武隈の山村の暮らしが強制的に奪われ、人と自然の関係性が絶たれる事態が生じた。私の原風景でもある落葉広葉樹の森が放射能で汚染された。いてもたってもいられず、阿武隈山地を訪れた。縁を紡ぐことができたのが川俣町山木屋地区。こんなすばらしい場所が日本にあることにそれまで気が付かなかったのは迂闊であった。

 山木屋の方々に話を伺うと、みなさん“山がないと暮らせない”という。そこで、山の中を歩き回り、放射能を計っているうちに、放射能汚染の様子がだんだんわかってきた。それを地域に伝えることで帰還への希望をつなぎ止めることができたと思う。

 阿武隈山地の広葉樹林は里山として機能していた生きた林であった。その中にいるときはこころが満たされる感じがした。でも、人々のこころの中には苦しみややりきれなさがあった。問題の解決には科学的合理性の向こうにあるこころの領域に踏み込む必要を感じた。起きてしまった問題の解決は諒解にすぎないからである。山木屋地区が避難解除されるまでの6年間は自分にとっては充実した期間であった。なだらかな丘陵と落葉樹の森、人々との交流は自分のこころに落ち着きを与えてくれた。森の四季の装いの変化は美しく、かつて濃密な人と自然の交流があったことの記憶は切なさを呼び起こした。

 その後、復興のフェーズに入り、自分の専門性は主役の座から降りるとともに、原子力災害を俯瞰的な立場で理解したいと思うようになった。同時に、科学と社会のあり方に関心が傾いていった。日本学術会議の連携会員の席を頂いたが、二期目に入るところで任命拒否事件が起き、その後、コロナ禍が始まり、社会全体の有様に関心が向くようになった。

 こんなとき、思考の手助けをしてくれるのは読書である。哲学、思想、文学、宗教、科学論、様々な分野の本を読みあさった。読書は自分の世界を広げてくれたと思うが、自分の所属するアカデミアとの距離は大きくなってしまったように感じた。一方で、近づいた分野もあったが、自分の立ち位置があやふやになったような気もした。

 どうも自分は大きく変わってしまったようだ。問題解決型科学の立場からは、現場から離れた場所で“正しいこと”を主張して満足してしまうのはかっこわるいと思った。現場の方が科学に先行しているようにも思える。とはいえ、自分は世の中を引っ張っていけるリーダーシップなどない。悶々とする日々が過ぎていく。

 こんな状況の中で定年を迎えたが、これからはアカデミア、すなわち職業研究者の世界からは距離を置こうと思う。そんな自分にぴったりの言葉が隠者であった。世の中からは距離をとりながら、世の中を眺め、いろいろ批評するのが隠者。研究者のように業績を求めたりはしない。問題解決型科学では解決こそが目的だから。目の前に見える自然やひとを相手にして、現場で実践を心がける。そんな隠者になりたいものだ。

 二年ほど前に加曽利貝塚を発掘調査している方から声をかけていただいた。南貝塚は閉じた凹地の縁に沿って貝が盛られているが、この凹地は縄文人が掘ったものか、自然にできたものか、どっちだろうという。これこそ、若い頃から考え続けていた科学的課題であった。私は自然成因説をとる。台地はわき水の源でもある。わき水を調査しているNPOからも声をかけていただいた。台地の地形形成と水循環には相互作用があると確信しているが、頭の中に仮説はある。それを何とかストーリーにまとめたい。わくわくする課題を頂いたが、若い頃にもった志に回帰したわけである。

 あと何年健康でいられるか、生きられるか。そんなことわからないが、安穏、無事こそが幸せである。"楽しさ"を大切にして一日を粛々と暮らしたいと思う。(2023年7月某日)

 老人の生き様10ヶ条

 65歳以降が老年期であるので、定年に際して「老人の生き様10ヶ条」をここに制定することにした。

○怒らない、謙虚を旨とせよ
○身体を鍛えておけ
○家事は分担し、自分のことは自分でやれ
○好きを見つけ、自分の楽しさを追求せよ
○稼ぎと仕事は別、稼ぎは何とかなる
○思ったこと、感じたことは文章にしておけ、ボケ封じにもなる
○世の中の有様、いろいろな生き様を知っておけ
○怠け者でよい、努力は人を裏切ると心得よ
○ひとりを恐れるな、他人を気にせず、ゆっくり生きよ
○ひとにはやさしく

最初は“誠実であれ”が入っていたのだが、定年前後でやるべき仕事を大分放ってしまった。誠実どころではない。怠け者に徹するしかないのである。歳をとると“ひと”にはやさしくしたいという気持ちが強くなる。エンパシーを意識するようになったのは成長か。世の中の有り様を眺めるのが趣味になった。鴨長明は文句は言うが、実践はしない。鴨長明の域に達して文章に残したいと思うのである。私は鴨長明とは違い、実践もしたいと思う。しかし、身体は急速に劣化している。何とかせねばと思うが、老いの方が進行が早い。やりたいことはたくさんある。少しずつはじめているが、なかなか心に安心が生じないのはなぜだろう。(2023年春)