口は禍の門

さて、2013年もいよいよ終わり。今年、ますます嫌いになった言葉に“外形的”がある。これは文科省用語で、評価資料を作成するときに、素人さんでもわかるように、、目に見える形で成果を書いてくれ、という要請、あるいは目に見える成果じゃないと評価しないよ、という態度。この“外形的”という習慣は縦社会、縦のヒエラルキーの論理で、上下ばかり見て、現場が忘れられるという態度でもある。この態度は文科省だけでなく様々な省庁にあることを体験もしたし、聞きもした。日本人は皆さんそれぞれ交流のないムラ社会で暮らしているようだ。新たな年は横のつながりを強化する年にしたい。そのためには少々わがままになって主張、行動を続けたいと思う。(2013年12月31日)

金木犀の香りと曼珠沙華の赤い花が秋の始まりを告げる。私にとって心機一転の季節は春というより秋です。あの大地震、原発事故から2年と半年。大きな課題を背負ってきましたが、関係性を大切にせにゃあかんという信念に基づき、これからも関わっていきたいと思う。寄る年波には勝てず、身体は疲れるのですが、心はまだ大丈夫。自分の心の中には幼い頃見た宮沢賢治の童話の挿絵が残っている。阿武隈や北上に代表される東北日本のなだらかな山容と落葉広葉樹林。原体験、原記憶の影響は大きいと思う。今年も福島の里山の紅葉が楽しみです。(2013年10月1日)

今年の桜はあっという間に満開になった後、その後の天候が良くなかったこともあり、心の準備が整わないうちに葉桜になってしまいそうです。桜の花びらとともに2012年度の締めくくりとし、2013年度に望みたいと思います。今年度は科学というもの、科学と社会の関係について思索を深めざるを得ない状況になりそうです。福島が3年目に入り、勝手にやっている調査、研究の段階を越えなければならないステージに入ります。5月には地球惑星科学連合で若者に対してスペシャル・レクチャーなるものをやらねばなりません。夢や、知の探求者としての名誉を追求する若きサイエンティストに対して伝えられるものがあるだろうか。“サイエンス”と“現実”との関係をあと二ヶ月でうまく纏めることが当面の課題です。(2013年4月1日)

2013年が始まりました。今年の春には東日本大震災後2年目を迎えますが、暮らしが突然断たれたきりのコミュニティーがまだたくさん存在しているという事実に日本人はあまりにも鈍感になっていないだろうか。変化の兆しも見えていますが、それが良い変化なのか、まだ見極めがつきません。それは日本が犠牲のシステムによって成り立ってきた社会であることが明らかなのに、そのシステムが変わる気配がどうもない。だから明るい展望を持つことができないのです。犠牲を他人や地域に押しつける社会のあり方を正すこと、多様な考え方を尊重し、奪い合うのではなく分け合う社会になれば、人の心に安心が還ってくるのだろうなと思う。“強い世界”と“安心な世界”が共存し、その間を自由に行き来できる精神的習慣を身につければ日本は良くなる。その習慣を醸成する方法のひとつとして教育がある。だから、大学はもっとしっかりしなければあかん。地位と名誉のためだけの研究であってはいかんと思う。(2013年1月1日)

2012年12月までの書き込み


御用納

今日は御用納なのですが、仕事は終わりそうにありません。明日も明後日も出勤するでしょう。とはいっても夕方になると集中力は途切れる。そこで、今年、といってもしばらく書き込みが途絶えていた最近の出来事を振り返っています。○ジム・ホール逝去。ピアノはビル・エバンスですが、ギターはジム・ホールが好きだった。また、青春時代を彩ってくれたアーティストが逝ってしまった。老いを感じる時です。○南水北調中央ルート完成。中国もすごい工事を完成させたものだ。昔、北京から取水口の丹江口ダムまで緯度差8度を車で旅したことがある。その後、工事の進捗状況を時々眺めてきたが、いよいよ完成。すごいことですが、命の水をこのようなハードウエアに依存する社会はかえって脆弱なのではないか。中国は今のところ“緊張のシステム”を目指している。日本は成熟社会における“共貧のシステム”も視野に入れたらどうだろうか(緊張、共貧のシステムは故栗原康「有限の生態学」より)。○崔斐斐さん、日中科学技術交流協会研究奨励賞受賞。私の推薦による受賞者は崔さんで5人目になった。この協会にはお世話になりっぱなしで、貢献ができていない。環境面の活動のてこ入れを依頼されているところなので、来年はまた中国に行かねばならないだろう。○デリヌルさん来日決定。帰国留学生支援事業でデリヌルさんが1月から3月まで滞在する。ちょうど石家荘の沈君からもクリスマスカードが届いた。二人とも教授になった。これからも交流を続けていきたいと思うが、日本から中国に伝えることができるものを持たないとあかんなと思う。また、中国からも学びたい。さて、年末年始のめりはりがなくなって数十年たつが、歳をとり、老いを感じながらも、とにかく生きていくことにしたい。(2013年12月27日)

外形より中身

私は「外形的」という言葉が大嫌いである。文科省や大学幹部からの書類作成指示の時によく言われることなのであるが、この態度は上に立つものの評価力がない、下位のものが“上”ばかり気にして、ことの本質を見失っている状況をよく表している。これはまた縦のヒエラルキーの中で、現場が置き去りにされる要因にもなっている。福島でこんな状況をたくさん見てきた。だから、形を整えてやり過ごす、ということに終始する態度には抵抗を感じてしまうのである。センター長選挙に立候補せよという指令を受けた。センター長候補が1名では全学会議への説明上よろしくない、立候補するのが教授の職責だからということですが、腑に落ちないものを感じてしまい、抵抗してしまいました。人は一日に何度も菩薩になり、悪魔にもなるという。一日に何度でも賢者になり、愚者にもなるといってもよい。私は愚者だっただろうか。(2013年12月25日)

宮沢賢治の森

3年ぶりの人間ドックで、待ち時間に宮沢賢治の童話を読んだ。谷川徹三編、童話集「風の又三郎」(岩波文庫)。やっぱり北上の山はいいなぁ、と思う。もちろん、阿武隈も同じ。風景描写が何と言っても良い。北上、阿武隈の落葉広葉樹林帯が好きだ。「カイロ団長」では“とのさまがえる”が“あまがえる”から搾取するが、王様のご命令で改心する。現代を考えると、こんな王様はいない。“とのさまがえる”の上には“大とのさまがえる”がいて、“とのさまがえる”をこき使う。“あまがえる”の下にも何かいるのかも知れない。こんな縦のヒエラルキーの中で、世界を見渡せる王様がいない。「狼森と笊森、盗森」もいい。人と自然の関係が無事であった時代の話。森に挨拶をしてから開墾を始め、森に感謝しながら時を経て、村が栄えていくところが良い。もちろん、ヤマセに苦しむ夏もあったろう。でも、そこには家族と地域のコミュニティーが皆を支えていた。人、自然、村の無事があった。こんな世界を原発事故は壊してしまったわけだ。この森を私は取り戻したいと思っているわけだが、今のところ私にできることは、失われた世界の存在を伝え続けること。そして、大学の教育力によって都会、農山村、両方を自由に行き来できる精神的態度を醸成することだと考えている。(2013年12月4日)

体験によって生まれる能力を、体験の少ない若者に求めるという無理難題

ちょっと古いSankeiBizで見つけました。これが現在の求人企業の方針でもある。若者なんだから経験知が少ないのは当たり前、...でも、それに甘んじてしまってはいかんと思う。大学でも様々な体験ができる。それが大学の価値であり、教育力の問われるところである。体験から社会の有り様を学び取ることができるはず。私は学生には現場を見せることを方針としている。実に理不尽な世界、市井の民の思いとがんばっている姿、高度な専門性を持ちがんばる市民、などなど。ただし、それぞれの人々の置かれた立場、問題、希望、夢をわがこと化できているか。学生に聞いてみたいが、感じ取っているはずと信じているところです。(2013年12月2日)

就活解禁に思う

今日は大学3年生の就活解禁日であった。企業にとっても学生にとっても長い試練の時が始まるわけだ。もう30年近く学生を見ているが、確実に変わった点がある。それは自分の判断の規範が自分の中で閉じてしまっていること。自分が良ければ、それでいいんです、と。自分が判断したことが、自分を取り巻く広い“世界”の中でどのように位置づけられるか、確認することをしない。だから、自分の規範と、企業や社会の規範が異なったときに苦しくなってしまう。広い視野を持ち、自分が関わりを持とうとしている世界の規範を知り、その上で自分の規範をきちんと位置づけ、必要に応じて見直すことができれば、就活も苦しくなくなるのではないかな。自分探しの必要もなくなります。このことと関連していると思うが、最近は“芋づる”がなくなった。何かを得たら、そこから芋づる式に関係性をたどり、自分の世界を広げていくこと。何かを与えられたら、その中だけで解決しようとする。そんな受け身の態度でも暮らして行ける社会はとても良い社会ではあるのですが、現実は大分違うと思います。まずは現実を受け入れないと始まらないわけです。(2013年12月1日)

プチ健康感

今日は大腸内視鏡検査の結果を10日ぶりに聞きにいきました。人騒がせなポリープで、いろいろ騒いでしまいましたが、とりあえずは癌(Group5)ではありませんでした。とはいえGroup3ということで、また半年後に検査をします。結局下血は痔ということだったのか。これを治療しないとあかんのではないでしょうか。来週は3年ぶりの人間ドックですが、腎膿胞がどれだけ育っているだろうか。検査の時に頂いた7月の血液検査によると(検査は結果を聞かないと意味がない)、血糖値が高い。これも気になる。尿酸値は相変わらず高値で推移しており、肝臓も弱っている。もう身体はがたがたですが、とりあえず命は繋がったということで、このプチ健康感を維持していかねばならぬな。(2013年11月30日)

背負っている時代

だいぶ時間がかかったがアマゾンから「メリー・ホプキンベスト」のCDが届いた。LPは持っているのだが、プレーヤーが無いために何十年も再生できなかった。早速聞く。懐かしい。かつてあったはずの青春の甘い想いがよみがえる。Those were the days(あの頃は良かった)。メリーさんは私の唄のお姉さんって感じだろうか。あこがれのお姉さんはマリー・トラバース。あれっ。どちらもMaryだけれど、メリーさんはメリーだし、マリーさんはやっぱりマリーだな。人にはそれぞれ背負っている時代がある。それぞれの時代にヒーローやスターがいるものだ。先日は「松任谷由美○ギター・ソロ集」を手に入れた。アレンジは平倉伸行さんで、この人のアレンジは私好みである。今の時代を動かしているのは私の世代。青春時代の懐かしいいろいろなものがどんどん出てくる。今のうちに買っておかないと、次の世代のものに移ってしまう。老後のために今のうちにたくさん手に入れておいた方がよい。(2013年11月29日)

プレッシャーと安心

舞の海曰く、プレッシャーが無いときの稀勢の里は強い。綱を狙う稀勢の里の課題は精神力とのこと。これからは稀勢の里を応援しようと思う。強い精神力は角界だけでなく現代を生き抜くためにも必要なものだが、世の中、強い人間ばかりではない。皆さん、プレッシャーのもとでがんばっておられるが、プレッシャー がなかったら(少なかったら)、世の中もっともっと効率が良くなるのではないかな。もちろん、プレッシャーが悪というわけではない。競争社会の中で自己実現していく世界もあって良い。一方、横のつながりの中で安心を目指す社会もあって良い。この二つの世界を共存させることが私の理想なのだが、やはり強 いもの勝ちになってしまうのが世の常なのだろうか。(2013年11月29日)

縦のヒエラルキーから横のつながりへ

今日は私が代表を務める(といっても名ばかりだが)ある事業の視察があった。 来ていただいた担当の某機構の皆さんは良い人ばかりなのだが、中には高飛車な方もおられる。我々は誇り高き技術者(今回は研究者というよりも)であり、指導を受ける“業者”ではないのだが...。縦のヒエラルキーの中で、上ばかり気にして末端が見えなくなっている。それが長年の習慣になってしまっているのだろうか。原発事故でそんな時代は終わったのだよ。今は横のつながりが大切な時代になった。と言いたいところだが、それはまだ夢かも知れない。しかし、夢は実現させるもの。残念ながら”今でしょ” とはならないので未来を想定 し、バックスキャッターして、今やるべきことをまずやることが大切なのだなと思う。 (2013年11月27日)

新しい里山観

太田猛彦先生の「森林飽和」を読んだ。この本は様々なことに気づかせてくれた。その一つは里山。里山には何となく人と自然がうまく共生し、良好な関係性を保っているというイメージがあるが、実は人による資源の収奪の場であり、森林荒廃の場でもあった。森林を失うことにより斜面は侵食され、川から海に流れ出た土砂が日本の砂浜海岸を形成し、飛砂が人を苦しめた時代もあった。森林が使われなくなり、日本は森林飽和の時代に入ったが、現代を生きる我々は新しい人と自然の関係性として新里山を作り上げなければならないのだろう。資源だけでなく、生態系サービスを里山から引き出し、人と自然の良好な関係性を作り上げなければならない。恐らくそれが充実した人生、安心と無事を生み出すことになるのだと思う。(2013年11月24日)

大学人の機能、価値とは何だろうか

職場は研究センターであるが、95年に発足以来、このご時世にも関わらず、ずいぶん長く続けてこられたものである(普通は改組がある)。環境+リモートセンシングということで環境にも軸足を置き、その部分の強化に励んできたつもりである。しかし、いよいよ変革の時がやってきたようである。大学としては外形的な成果がはっきり見えるようにしたい、そうでなければ存続の価値なし、といったところであろうか。ここは良く考えたい。大学人は研究者であり、人間でもある。永きにわたり環境、すなわち人と自然の関係性、を見てきた。そして問題にも関わってきた。この経験の中で視野が拡大する度に、自然観、世界観、社会観も変わってきた。それは今何をやるべきかという意志を生み出した。この方向性が組織の方向性と異なってしまったらどうすべきか。現状では大学執行部の視線の先にあるものは上級官庁であろう。大学の意志に従うということは文科省のために仕事をするということでもある。地位と名誉が得られればそれで良いという考え方もあるかも知れないが、ここは大学である。それは大学人の目指す方向なのか。大学人は社会の中で生きる人としてその知識、経験、技術を活かすべきではないか。Scientist in the Society.そうでなければ大学などいらない。国の研究所で十分である。来月には執行部と話し合いが行われることになっている。厳しいものになるとの話も伺っているが、組織論だけに終始することが無いように願いたい。こういう議論では“そもそも”に関する議論がいつもとばされる。そもそも大学や大学人の機能、価値は何なのか。大学人の力は何に発揮すべきなのか。そもそも大学執行部はどうしたいと考えているのか。実はここが一番曖昧なのだ。ご意見を伺うことを楽しみにしている。(2013年11月24日)

見まいとする力

朝日朝刊から。難民問題に取り組む「難民ナウ!」代表の宗田さんは難民の存在が知られていない理由として「見まいとする力」の存在に気がついていた。3・11以降福島で原発事故、特に子どもの被曝を扱ってきたが、そこでも「見まいとする力」が見えてきたという。問題は私たち自身の問題であり、見ないですませられるはずはないのに。まず知ることが大切と主張されているが、これは関係性に気づくことに他ならない。関係性を重視しない国民は極めて統治しやすい。愚民政策の成果といって良い。どこかに書いてあった。我々はもっと賢くならなければならないのではないか。いずれ我が身に降り懸かってくることかも知れないのだから。(2013年11月23日)

強さを身につけるには

土曜出勤で本棚を整理していたら大熊孝先生の印刷物がでてきた。読みふけっていて下記の文章に出会ったので備忘録で書き留めておきます。マザーテレサの言葉:
 
「人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても、おそらくつぎの日には忘れられるでしょう
気にすることなく、しつづけなさい
あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
けり返されることもあるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」

私はここまで強くなる自信はありません。でも、その強さを何とかして身につけたいと思う。誹謗中傷嫌がらせは気にするなといっても心に重くのしかかり、心身にダメージを与える。こういう強さはどうしたら身につけることができるのだろうか。(2013年11月23日)

下も向いて歩こう

今日は大変な苦労話を聞きました。東日本大震災、原子力災害により暮らしを奪われた現場のために尽力している人がいる。しかし、組織は上ばっかり見ていて、下には向いていない。実はこんな状況があちこちに見えている。日本は縦社会。みんな上司や上級官庁から責められることを恐れ、下を責め立てながら、失敗しない仕事をやることに汲々としている。こんな上下関係が何段も存在している。これでは誰も幸福にならない。苦しんでいる現場はおいてけぼりにされるだけ。時には下を向いて歩こう。誇り高き下を。(2013年11月20日)

命の有限性

久しぶりの腸の内視鏡検査でした。腸洗浄剤(下剤ともいう)2リットルは相変わらずの苦行でしたが、検査自体はだいぶ楽になった感じがします。さて、検査ではたくさん見つかりました。ポリープと憩室。最近の腹痛は憩室が原因かも知れません。最終結果は8日後ですが、何となく命の有限性を意識しているところです。元気なうちはこのことは忘れがちですが、毎日一度は死を想うということは悪いことではない。仏教の教えにあります。命の有限性を再確認し、これまでとは違う人生を目指す、なんてこともあって良いのではないかな。(2013年11月19日)

強い存在、弱い存在

今日の箴言カレンダーは「ひとの生命を愛せない者に自分の生命を愛せるわけはない」。生命とは機械論的科学における生命ではなく、安穏な人の暮らしも含む、と考えると、ちょっと違うかなという気もする。ひとの生命を愛するが故に、自分の生命を犠牲にするということが確実にあり得る。平和の中でこの箴言を主張することには何の問題もない。しかし、困難の前では自分の生命より大切なものは“ある”と考えざるを得ない。昨日の102歳の老人はそういう思いだったのではないか。それほど現代は生きにくい社会になってしまった。相次ぐ食材偽装にしても、その背景には利益を出さなければならない現場の苦悩があるのではないか。銀行の不適切融資もとんでもないことではあるが、何かあったら徹底的に叩かれ潰されるかも知れないという不安が人を駆り立てているのではないか。叩く人も現代を生きるために“いい人”であることを演じ続けなければならない。そんな不幸の連鎖もありそうだ。こんなことを書いていると世の中に希望が持てなくなってしまいますが、こういうことを言ってみることも時には必要なのではないかな。人というのは強くなければだめなわけではなく、弱い存在だと認めることも必要だと思います。自分の生命より大事なものを守ろうとした老人は強い人だったのだと思います。(2013年11月18日)

出発点

昨年に引き続きIISORA福島シンポジウム2013に参加した。放射能汚染で暮らしが奪われたままの地域で調査をやらせて頂いている身としては、様々な話を伺い、現場の状況を“わがこと化”する良い機会でもある。計画j的避難が決まり、息子や孫たちが避難について話し合っているのを聞いた102歳の祖父がひっそり命を絶った話。仮設に移ってから元気がなくなった両親を相次いで亡くした話。避難してから痴呆が急速に進み、逝ってしまった親の話。原発事故がなければ穏やかな最期を迎えることができたに違いない方々である。科学的に証明できない、因果関係は不明である、といった主張自体ばかばかしい話であり、それならば新しい科学が必要なのである。原発事故は計り知れない不幸を生み出した。このことをしっかり受け止めることが望むべく新しい社会への出発点であるのだが、日本は出発点にさえ立てない状況にある。(2013年11月17日)

上機嫌力

箴言日めくりカレンダーが書斎の前に何年もほかしてあったのですが、思い立ってめくったところ13日の今日はこれがでてきました。「仕事をやるときは上機嫌でやれ」。常に上機嫌でことにあたれば、うまくいくものだ。上機嫌力は訓練によって向上させることができると言ったのは書道家の武田双雲(上機嫌のすすめ、平凡社新書)。常日頃から心がけているつもりですが、なかなかうまくいかず、愚痴や文句ばかり。改めて上機嫌力を心がけたい。双雲さんの心が開けたのはストリート体験を通してだという。大学というところは業績やそれに伴う自尊心、といったものばかり気になるところ。ストリート体験は大学の教員にも必要。まずは蛸壺からでるところから始まるが、自分が蛸壺にいることに気づいてない方々も多いのが現実ですね。また愚痴ですかね。(2013年11月13日)

お湯に入れる幸せ

秋から冬に入ろうとするこの時期が一番好きだ。風呂無精の私も湯船にゆったりとつかると実に心地よい。ただし、湯に浸かりながら眠る癖がついてしまった。私の最期は湯船の中で溺死という可能性が高くなってきた。それにしても毎日暖かい風呂に入ることができるということは何と幸せなことだろうか。昔、大河ドラマで山内一豊が仲間に風呂を振る舞ったときの仲間のうれしそうな様子(もちろん演技ですが)がやけに印象に残っている。ガスをふんだんに使えるこの状況が人類の歴史の中ではごく最近、それも先進国のみの状況であること、そして未来永劫に続くものではないことを意識しなければならないと思う。(2013年11月12日)

国力とは何か

今日、宇宙に旅立つ若田さんが昨日のインタビューで“技術は国力”と言っていた。私もずっとそう思っていた。技術だけでなく、科学においても、それがどんなに基礎的な課題であっても日本人として議論の輪に入っていることが国力の一つの条件だと思っていた。海外調査で日本の衛星画像を持って行くときには誇りを感じたものだ。しかし、この国力とは経済力であり、経済力がもたらす科学の成果が国力の指標になるということではないか。年老いた現在、別の国力もあるのではないかと感じている。それは自然と人の関係性が良好、無事である社会。科学技術の恩恵を受けながら、自然とうまくやっていける社会を維持できる力こそ、本当の国力であり、経済指標だけでなく、人の幸福度といった主観的な指標も十分国力を表せると考える。(2013年11月7日)

健康のありがたさ

いろいろネットで調べ、医者にかかる戦略を考えた末、大学近くの町医者に行くことにする。検診の結果を見て次のアクションを考えようとのことで。こちらは出血したことにかなり動揺しており、いろいろお話を伺いたかったのですが、医者としては大したことではないようで、“先日来た患者さんが大出血してね”などと宣い、こちらは拍子抜けし、不安が増すばかり。まあ、親身に話を聞いて頂き、いろいろな可能性を聞くとかえって不安が増してしまうかも知れません。こんな程度で良いのでしょう。医者としても確実なこと以外は言えないでしょうから。内視鏡検査を予約し、後は運を天に任せることにする。なお、半年も受け取りをさぼっていた血液検査の結果によると、尿酸値はなんと正常(といっても上限値だが)。最近、痛風発作がないことに合点。ただし、肝臓がだめだめ。まあ、しばらく断酒することになるので、こちらは回復するでしょう。こんなことがないと健康のありがたさがわからなくなってしまう。(2013年11月5日)

情報システム弱者

最近の自分は新しい情報システムに疎くなってしまった。Skypeも使っておらず、いざというときに困るのではないかという懸念も持っているのですが、最近は文明の利器にあまり興味がなくなってしまった。今日は息子が帰ってきており、Skypeでブダペストにいる娘と話せるということで、久しぶりに家族四人と二匹が画面を通じて顔を合わせることができた。文明の利器は使いこなしながら、使われないようにする、この案配をうまくつけながら使っていく必要があるなと再認識。使えるようにしておこう。(2013年11月4日)

地域のための研究

今日は富里で谷津保全、ホタル再生の活動を行っているNPOの方々と水文観測に関する学習会を実施した。地下水の流れの計測方法、硝酸性窒素の計測、などなど。皆さん実に楽しそうにやっておられる。こういう和気藹々とした雰囲気は良いもんだ。大学では競争、評価の流れの中で研究者が個に分断され、高ストレスな雰囲気の中で日々を過ごしている。もちろん、そうではない研究室もあるで、自分がそういう研究室を作れなかったということに過ぎないのだが。研究という行為は本来楽しいものである。しかし、競争的研究、受託研究の中で本来の目的を失い、本当は地域のためでなければならないのに、いつの間にか地域を離れた組織のための研究になってしまっている仕事もある。来年は国の仕事はすべて整理して、地域のための仕事に勢力を注ぎたいものだ。(2013年11月4日)

滔々たる命の流れ

朝トイレでびっくり。便器が真っ赤。とうとう不摂生がたたって来るべきものが来たか。これ以上、放置、先延ばしはできないな。腸の調子は数年来すこぶる悪い。健康診断、人間ドックも三年間さぼっている。最悪の事態も頭をよぎる。ただし、あわてない。自分は死について一日に一回は考えることにしている。命は有限である。しかし、無限であるとも言える。先祖から子孫へ続く無限の流れの中にある。昔の人は死というものをそんなに恐れていなかったのではないか。それはこの命の流れを意識していたからと言えないだろうか。近代文明が死を一巻の終わりにしてから人々は死を恐れるようになった。死後の(楽しい)世界、輪廻転生はないと考えるメリットはほとんどない。それより、死んでも命の流れに合流する、先祖とともに現世の子孫を見守る世界に入る、生まれ変わると考えた方が遙かに楽しい。昭和の頃までの山村にはそんな世界があったそうだ(内山節の著作から)。手塚治虫の「火の鳥」に描かれた世界にも通じると思う。改めて今日を精一杯生きねばならぬ、と思うが、それは流されるのではなく、よりよい生き方、社会につながるものでなくてはならないなと思う。(2013年11月4日)

「存在意義ある?」疑問感じる地震研究者ら・・・社会貢献進まず

産経デジタルで見つけました。地震学会会員の中で防災教育や講演に携わったことが「ない」と答えた会員が全体の3分の2にのぼったそうだ。研究者の社会貢献はどうあうるべきか。もちろん貢献したほうが良いとは思う。しかし、地震学者は地震の物理の研究者であり、災害の研究者ではない。災害科学は総合科学である。地震“災害”に対処するために骨身を削って尽力している災害研究者、技術者、行政の方々はたくさんいる。地震(物理)学者が災害に責任を負うと考えるのは筋違いではないかと思う。地震は必ず来る。そのときどう対応するかは物理の問題ではない。予知できれば災害が防げるわけでもなく、技術によって完璧に対応できるわけでもない。予想される巨大災害に対応するためには人と自然の関係に対する考え方がまず必要になる。その上で、政治、行政、ご町内、様々なセクターの協働を可能にする社会の構築が必要になってくるのであり、この協働の中で地震学者の役割は相対化されるということに気づかなければならない。(2013年11月3日)

順番が違う

「この地域住めない、という時期くる」、「原発避難 石破氏が発言」という朝日朝刊の記事。帰還困難区域に対する発言だが、そんなこと誰でも頭の中にはある。それを口に出さないのは避難されている方々の未来が見えないから。政治が何もやっていないから、それを口にできないだけ。政治家の発言としては順番が違っている。まず、すべてを捨てて避難せざるを得なかった人々の未来に対する施策を明らかにし、その上で発言して欲しい。石破氏も福島を”わがこと化”できていない幸せな都会人に過ぎないのではないか。私は数十年後の帰還を目指したロードマップを考えても良いのではないかと思う。その為の施策、人が放射能に汚染されてしまった土地に関わり続けるための施策を提示しなければならない。それを実現できる社会を構築することが、日本を変えることにもなると思う。(2013年11月3日)

自己矛盾の危機

ある学会連合の代議員になることになった。大先生によるアンダーコントロールの状況で、推薦しておいたぞ、と言われたまま、いつの間にか当選。不思議なことは得票数が悪くなかったこと。確かに最近露出が多くなっていることは確かだが、 主張していることはその学会連合が目指すところのサイエンスとはだいぶ異なることは自覚している。まあネガティブにとらえることの意味はないので、とりあ えずポジティブにとらえることとするが、調子に乗りすぎ ると批判されてしまいそう。それはサイエンスじゃないね、サイエンスは真理の探究だ、などと。しかし、それで怯むと自己矛盾に陥ってしまうので、ここは踏ん張ってがんばるしかないのだろうと思う。(2013年11月1日)

足を引っ張る社会と責任をとらない社会

山本太郎議員がバッシングを受けていますが、懐を広くして暖かく見守ってやることはできないのだろうか。その心意気やよし、として育てるくらいの気持ちがあってもよい。日本は足を引っ張る社会になってしまった。それは責任をとらない社会と裏腹ではないだろうか。誰だって責められればつらい。責任なんか問われないように、ややこしいことに関わらず、信念など捨ててこっそり生きる。そんな人が増えているのではないか。どんなにバッシングされても、見守ってくれている人もいる。そんな人々を信じて行動していくしかないと思う よ。足を引っ張る人、見守ってくれる人、どちらがメジャーかマイノリティーか。それはわからんぞ。がんばれや。(2013年10月31日)

<政府・与党>福島「全員帰還」断念・・・困難区域「移住を」

ニュースで見つけました。現実を眼前にして「帰還困難区域」では「近い将来に帰還することが困難であること」は認めざるを得ない。しかし、この決定がどういう背景の元で決定され、避難されている方々にどのように伝えられたか、文面からはわからない。まず、国および東電は心からお詫びするという態度が必要であり、そして避難者の将来に対する明確な施策(お金であったり様々なセーフティーネットであったりする)を示した上で、移住を勧奨すべきではなかったか。何より、長い間戻ることができなくなった土地とどのように関わっていくのか。管理の考え方も示しても良いではないか。あの時からもう十分長い時間が経った。(2013年10月30日)

誰のため、何のため

環境省の除染技術実証事業の中間報告会がありました。取りまとめは原研(日本原子力研究開発機構)ですが、彼らがどこを見ているのか、会議におけるやりとりの中でどうしても気になってしまう。視線の先にあるものは、現場ではなく、上級官庁にある。このことが否応なく伝わってきてしまう。でも、それは現在の日本社会の仕組みの中ではしょうがない面もある。彼らを責めることはできず、日本のシステムを変えることを考えなければならない。日本では人は組織の一員としてあり、その組織の規範からはみ出すことは至難の業である。飛び出してもその先に待っているのは苦難でしかない。だから、組織ごとに課題に無難に対応するためのムラができてしまう。そんなムラを飛び出して、包括的な視点から日本を眺めると、いかにおかしなことが進行しているのか、よく見えるのですが。とはいえ、まずは一業者としてやるべきことをやってから、吠えようと思う。受託業務の中では大学も一業者として扱われますが、誇り高き一業者として発信を続け、変えなければならんことは変えなければあかんなと思っています。がんばっておられる民間の方々に申し訳ないですからね。(2013年10月29日)

火星移住

朝日のbeに「火星移住へ、ロケット開発中」という記事があった。地球惑星科学連合の夢ロードマップにも火星移住が載っていた。私も若い頃であったら胸にわくわくする思いを抱くことができたと思う。しかし、歳をとった今、待てよ、と思うのである。人類が火星に移住するという選択肢をとる場合は二つある。@非常に豊かな社会になり、あらゆる問題が解決され、宇宙開発に十分予算をつぎ込むことができるようになった場合。もう一つは、A地球に生存の可能性がなくなり、移住せざるを得なくなった場合。地球で現在進行中の様々な問題を前にすると、前者の場合は考えにくい。地球に幸せがあったら移住のモチベーションは下がるが、それでもフロンティアスピリッツのみでコストをかけて移住を試みるだろうか。後者は想像することさえ恐ろしい。人類はそうなる前にやるべきことがたくさんある。そのやるべきことをまずやること。それをやって、解決できたら火星に移住する必要はなくなる。結局、火星に移住することはない。私も老いましたかね。(2013年10月26日)

はじめにおわりがある。

抵抗するなら、最初に抵抗せよ。朝日天声人語より。反骨のジャーナリスト、むのたけじ氏の言葉とのこと。コンテクストは特定機密保護法案であるが、社会で起きている様々な問題、議論に対して我々が持たなければならない態度である。しかし、立ち向かえば立ちはだかるのが人。立ち向かわなければ...それはそれで楽な人生かもしれない。昔、水俣も阪神も遠くで起きていることだった。中越は現場には行ったが、暮らしとふれあうことはなかった。福島ではたくさんの方々とふれあうことができた。国の業務にも関わった。その中でたくさんのおかしなことも見つけてしまった。ただ、福島で起きているおかしいことは都会の“世界”の狭隘なこと、組織に縛られた人生、こんなことが根本的な原因ではなかろうか。様々な“世界”を包摂すると、抵抗だけでなく共感、協調、協働への可能性は残されているように思う。お人好しかも知れないが。(2013年10月26日)

地球環境問題とは

「今日われわれが直面している地球環境問題は、単なる自然災害のようなものではなく、むしろ経済危機や地域紛争などと同じく人類社会に原因があり、それゆえライフスタイルの見直しによって人間自身が解消していかなければならない」。ちょっと前に届いた地球研ニュースを読んでいて見つけました。著者の大西さんによると、これは地球研関係者にはコモンセンスとなっているだろうとのこと。心強く思います。私も10年以上にわたって講義や市民講座などで地球環境問題の真実について話してきたつもりです。しかし、時々この考え方が全く受け入れられない状況に直面するときがある。なぜだろうと考え、関係性の喪失なのかなと思う。人の“世界”(その人が関係性を持つ範囲で構成され、その人の考え方を形成する)が狭くなった。離れた地域で起きていることを“わがこと化”できない、テレビを消すと記憶から消えてしまう劇場型社会の中で生きている。これは現代社会の不幸増殖システムなのではないか。そこを乗り越えて真実を伝えるのが大学人の仕事でもあるのですが。(2013年10月25日)

理想と現実

「現実を言い訳に理想を退けていては、世界は変わらない」。今朝の天声人語(朝日朝刊)の中にありました。コンテクストは核兵器なのですが、あらゆることで同じことがいえます。世知辛い世の中で、理想を封印して現実に流される。それで幸せか、などと言っても組織の中では難しいのだろうなということもわかる。うちの職場は拠点中間評価でB評価を喰らい、昨日は文科省の視察がありました。評価に際して感じることは、評価できる力を持った人は滅多にいないこと。役人も研究内容については評価を避け、評価結果を組織の運営に帰結させていました。そこが研究は素人の組織人としての落としどころだったのだと思いますが、大学のあり方の理想を掲げ、それに基づいた主張と評価をして欲しかったと思います(“大学のミッション再定義”は評価合戦になってしまっている)。そうでないと納得が得られないままフラストレーションのみがたまっていくばかりなのですが、そんなことは気にせず思う道を歩むのが大学人のはず。わがままに生きよう。(2013年10月25日)

オーバー・クオリフィケーション

仕事に必要な学歴より、自分の学歴の方が高い状態にある人が日本では3割を超 えているそうな(朝日朝刊より)。OECDが発表した国際成人力調査 の結果。Qualificationは資格という意味ですから、資格が実力を現さなくなっているということ。この資格の一つとして学歴が意味をなさなくなっている。これはクオリフィケーションがオーバーなのではなく、学歴というクオリフィケーションがアンダーということではないか。これは大学にとってゆゆしき事態である。大学で学ぶ成人力、専門性が社会で必要とされていない、あるいは大学ではもはやそんなこと教育されていないということ。本来、学歴は大学による質の保証であった。もはや学歴は実力を計る尺度ではなくなった。それは大学が自滅を始めていることを意味する。哀しいことであるが、多くの教員がそう感じていると思う。その原因は、評価尺度の変化にあると思う。研究至上主義に陥り、論文の数、獲得予算が主要な評価のスタンダードになった。学問は細分化が進み、大学全体を顧みる余裕のある教員が少なくなった。これは社会の問題でもある。日本人が様々な判断について正しい評価の尺度を持つこと。あまりにも“外形的な”尺度にとらわれて、本質的な部分を評価できなくなった。足を引っ張られる社会の中で、皆さん、自己防衛で“外形的”な基準にすがっているのではないか。国民総“いい人”病になってしまったような気がする。なお、良い教育を行っている私立大学、地方大学もたくさんあることは記しておきたい。 (2013年10月24日)

「除染の意味、説明が不十分」だと?−顛末

昨日の朝日の記事では“だからどうなのだ”という点が不明確だったので、つい放射能忌避論と勘違いしてしまった。今日の記事によると、その趣旨は年間追加被曝量が1〜20mSvでも大丈夫だよ、ということであった。IAEAの方々は近代文明人なのだなと思う。しかし、問題がある。原子力のリスクとベネフィットが公平に分担されているのならばそれで良い。しかし、福島はリスクとベネフィットが分離された状況で、リスクだけを負わされていたところに問題がある。国のために犠牲はやむなし、ということを犠牲者が諒解できる時代ではない。リスクの代償を国、東電そして国民がどう払うのか。そこが明らかにされない限り福島の不幸は続く。(2013年10月23日)

「除染の意味、説明が不十分」だと?

IAEA調査団が21日、住民が放射線の危険性について現実的な受け止めができるようにコミュニケーションを進めるべきだ、などとする報告書をまとめたそうだ(朝日朝刊より)。追加被曝線量1mSv/yは「長期の目標であり、除染活動のみで短期間に達成できるものではない」という政府の見解をもっと説明せよと。調査団の方々は重要なことを見落としている。そんなことはみんなわかっている。避難されている方々は放射能についてはすでに十分理解している。暮らしが分断され、継続性が危機に瀕している現実の前でどう折り合いをつけるか。これが福島が抱えている問題なのである。命より大切なものもある、と考える方もいる。その意志は簡単に否定できるものではない。福島の市街地でもいまだ1μSv/hを越えるスポットもたくさんある。それでも逃げ出すわけにはいかないのである。暮らしていかなければならない、という現実が確実にあり、故郷以外で安心して暮らせる施策を行政が打ち出していない現在、故郷にこだわる思いは何人も否定できないはずである。都会人の価値観を押しつけて、いいことやったと納得するような人間にはなりたくない。納得できる施策も出さず危険性だけを吹聴するのはあまりにも無責任である。(2013年10月22日)

もう一つの想定外

台風一過ですが、公共交通機関が乱れており、自家用車の利用が多かったようで、大学まで1時間半もかかってしまった。昨日、想定外について述べたが、実は想定外は個々人の中にある。どんな小さな災害でも、自然との分断が進んでしまった人にとっては想定外である。自然をよく知り、様々な状況を想定することができること、その状況に対して適応できること。これが災害教育の目標だと思う。(2013年10月16日)

平和ぼけ

自民党一強と呼ばれる国会が始まった。以前新聞で読んだ“平和ぼけした鷹派ほど恐いものはない”、というセンテンスが気にかかる(誰の記事かは忘れてしまった)。欧米と日本では文化の基層が異なる。基層部分を理解した上で、日本独自の方向性をとることはできないものか。同様な言い方で、”平和ぼけした都会人ほど恐いものはない”とも言えそうである。世界を一つの市場にしようというアイデア、この考え方の基層にあるものは欧米思想ではないか。こういう視野が世界市場に向いた人をここでは都会人と呼んでいる。欧米思想の基軸である一神教の世界ではそれを信奉する強い集団の考え方が正義となる。人にとって過酷な沙漠を起源とする思想であり、世界は一つしか認めないのである。日本の精神は森から生まれ、様々なものに精霊が宿ると考える。様々な世界が存在し、そこに協調が生まれる。日本が自信を持ってその精神世界を語ることができるようになること、これが目指すべき未来への道筋ではないか。(2013年10月15日)

想定外と想定内

10年に一度という台風がやってくる。このハザードは十分“想定内”ということができると思うが、“想定外”という用語は流行語のようになっている。そこで想定外のハザードとはどういうことかと改めて問うてみたい。今まで想定していなかったが技術的な対応、行政による対応が可能というハザード、想定はできるが技術的、行政的対応は不可能という二つの場合が“想定”できるのではないか。この二つは厳密に区別しなければならない。前者の場合は可能な限りの対話と対応をしなければならない。災害は地域の問題でもあるから、地域コミュニティーと行政の対話も重要である。後者の場合は技術的、行政的対応ではなく教育的対応のみが唯一可能な対策になるのではないか。ハザードの性質を知り、それを地域計画や社会のあり方に関する議論と結びつけていくことが巨大ハザードに対応する方法である。応用地質学会誌54卷4号の中尾氏による巻頭言をヒントにしました。(2013年10月15日)

To Think is To Act

考えることは行動すること。研究の壁に突き当たった時は、まず“考える”必要があるが、実は考えていないということも多い。考えることは瞑想や祈りとは違う。答えを与えてもらえないといってくよくよするのは無駄以外のなにものでもない。突破できないことがあったら、可能性のあるあらゆることを組み合わせてみる。情報、材料がなければ発想は困難。Actしている間は落ち込んでなんかいられない。そのうち道が開ける。学生にはたくさんのこういう体験を経て、考えることの作法を学んでほしい(2013年10月11日)

ひとに優しく、関係性を意識して

最近東電福島第一原発における人為的ミスの報道が多い。テレビを見ていると皆さん東電の対応を非難なさっておられますが、それだけでよいのだろうか。元請け・下請け関係に問題はないか、東電社員の士気はどういう状況なのか、見えてない真実があるのではないか。それはそれで明らかにすべきだが、なれより今は非難合戦などしている場合ではない。日本の力を結集して壊れた原発にあたらなければならない。まず、自分に厳しく、人に優しくなければ解決はほど遠い。そして関係性を常に意識すること。原発事故への対応は、自分とは関係のない東電や国がやること、ではない。事故収束に関わっている方々をもっと応援しなければならない。(2013年10月10日)

水俣から考える日本のありかた

昨日、石原さんのことを批判してしまいましたが、台風が近づいているため洋上風力発電の完成式典が中止になり、水俣における追悼式典に出席することになったという。ぜひとも水俣病について学び、水俣病を“わがこと化”したうえで、日本の歴史の流れの中における意味をしっかり考えてほしい。そのうえで、政治が何をやるべきか、石原さんの考え方を示してほしい。国にとってほんとうに大切なものは何か、なぜそう思うのか、語ってほしいと思います。(2013年10月8日)

若手研究者の幸せとは

テニュアトラックの若手教員が新たな制度に応募するための面接リハーサルに出てきた。今日は2名の発表があったのだが、よくがんばっておられる。来週行われる面接の本番を切り抜け、採択されれば千葉大学としては名誉なことなのであろう。しかし、若者自身はそれで幸せになれるのだろうか。心の声を聞いてみたい。もし、この制度、というか評価の習慣、すなわち論文をたくさん、それも英語で書いて、予算をたくさんとって、外国人の仲間がたくさんいるということで評価される習慣に慣れきっていたら、それも怖い。研究者の精神的態度がだんだんおかしくなってきはしないだろうか。実はすでにおかしくなっているのではないか。最近の私はますます異分野、異領域、様々なステークホルダーと関わる機会が増えてきており(それが環境研究者として重要だから)、そのため研究者の世界を外側から見ることができるようになってきたように思う。その視点から見た研究者の世界はちょっとおかしいと思う点がたくさんある。若者にはくれぐれも優秀病に罹患せずに、人生における幸せについて考えてほしいと思う。よけいなお世話かもしれないが。(2013年10月8日)

大人の行動

それは意思を示すことになる。社会人になれば究極の選択に迫られることもままある。それでも一つを選択し、それが意思と見なされることを受け入れなければならない。もし、不本意であるなら、事後に自分の信頼を取り戻す行為に全力を注がねばならない。石原環境相は政府主催の水俣病犠牲者追悼行事を欠席し、洋上風力発電の完成式典に出席するそうだ。石原環境相は水俣病よりも風力発電を重要と考えたということ。石原氏の中において、日本の歴史における水俣病の位置づけはその程度のものであるのだろうか。日本という国の執行部である大臣、それも環境大臣が歴史のコンテクストの中で、水俣病を理解し、国民の犠牲を悼む心がないということは、福島で近代文明の犠牲になっている方々を思いやる心がないということと同じではないか。これでは国に対する誇りが失われるばかりである。それとも、優秀な金持ちが生き残れば、国としてはそれでいいというのであろうか。はなはだ疑問である。(2013年10月7日)

赤魚煮付け弁当

最近の昼食は松屋、日高屋、すき家、時々ラーメンかうどん+スーパーの弁当の繰り返しなのですが、今日発見したペリエの弁当店「みよかわ」の赤魚煮付け弁当がうまかったので記録しておきます。歳をとって肉は嫌いになった訳ではないのですが、最近はことに野菜、魚がおいしいと感じるようになりました。国産の素材を使った手作りの料理なんて聞くと思わず食指が動きます。こういう生業は大切にしたい。(2013年10月4日)

寂しさ募る書店の閉店

明日は静岡に行くので電車の中で読む新書を買いに近所の本屋に寄ったら、閉店のお知らせ。何と寂しいこと。アマゾンに頼りすぎた付けが回ってきたのでしょう。なくなるとわかって書店の価値を身に染みて感じる。もっと利用しておけば良かった。近所には巨大マンションもできて、人口は増えているのですが、それでも経営が成り立たない。これはネット購入が増えていることが理由に違いありません。ネットが便利なことは認めざるを得ないが、何とも寂しさが募る。何か大切なものを失ったような感覚。(2013年10月3日)

地理学会巡検を終えて

伊達市小国、飯舘村、川俣町山木屋そして福島市のあぶくま茶屋を巡る地理学会の巡検を終えました。途中で待って頂いている方がおりますので時間調整には苦労しました。大人の引率は大変(笑)。参加者にとっては様々な気付きがあった巡検だったと思います。帰宅して改めて「までいの力」をパラパラとめくっていたら、幸せそうなとみ子さんの笑顔が飛び込んできました。今は避難なさっているかーちゃんたちのリーダーとしてがんばっているとみ子さん。話の途中で涙ぐんでいましたが、なんと現実は酷なものだろうか。あの笑顔のまま時間が止まっていればよかったのに。近代文明の災禍によって普通の暮らしができなくなっている人々がいる中で、我々はどう動いたら良いのか。様々な関係性を断って、自分の暮らしだけを大切にしている人々は自分に災禍が訪れた時にどうするというのか。とはいえ、放射能汚染地域に対して自分に何ができるのか。この問いの解はしばらく見つかりそうにないが、とにかく“までい”に通い続けるかなと思う。(2013年9月30日)

学を極める場所

福島大学にいる。地理学会の講演は午後から始まるので、午前中は校内を散策できた。学内に見事な落葉広葉樹林、赤松林に覆われた公園がある。もう少したつと紅葉が見事であろう。思索、瞑想に最適である。ベンチに座ってこの文章を書いているが、これが大学の本来の姿ではないだろうか。しかし、首都圏では大学の都心回帰が進んでいる。学問が都市空間を必要とするようになったのか。いや、遊びたい学生を引きつけるための商業政策か。電子化が進んだ昨今、地方にいても十分学問はできる。むしろ地方でしかできない学問もある。都心回帰はやはり国民の意識の劣化ではないか。(2013年9月28日)

世界の笑いものからの脱却

福島第一原発の地下水対策については専門家が活かされていないのではないかと感じていたのですが、ほぼ確信となりました。まず、委員会に地下水関係の専門家が少ない。専門的意見を述べても採り入れられない。事実に基づいた論理的推論ではなく、スペキュレーションに基づいて議論が進む。どういうことだろうか。素人が外形的な基準で委員を選び、委員は選ばれたことを権威と勘違いして、とにかく何か意見を述べることで権威を取り繕っている。こんな感じではないだろうか。一方で、蚊帳の外にいる専門家である技術者、研究者が世界の笑いものになっている。こういう状況はそろそろ限界だろう。専門家からの声をあげなくてはと思う。(2013年9月27日)

汚染水対策で見えてしまう日本

東電福島第一原発の汚染水問題に関して、グレゴリー・ヤッコ米原子力規制委前委員長が重要な発言をしている(朝日朝刊)。ひとつは「水漏れという初歩的なことを監視する装置が設置されていない」ことに対する驚き。もちろん歩いて確認することも大切なのだが、確立した技術で実装できる監視システムは近代文明人であれば直ちに採用すべきだろう。日本人はアメリカ人に比べるとまだまだ近代文明人にはほど遠い(近代文明人が良いというわけではないが)。もう一つは「地質学や水文学の専門家が足りないのなら、新たに雇うべきだろう」という発言。なぜ専門家を投入しないのか、アメリカ人には不可解に違いない。それは日本では専門家は業者。正確な現状認識に基づく専門性による対策ではなく、そうあってほしいと発注者が思うことが結論として先にあるから(ぜひとも反論してほしい)。専門家が誇りを持って業務に望むことができる社会。これが日本が目指すべき社会のあり方のひとつ。それにしても大学の研究者はもっと自由に発言できるはず。大学人からの発信が不足しているか、声を届ける仕組みがないのか。(2013年9月26日)

災害休日で被害減

朝日のオピニオン欄で東大の沖さんが良いことを言っていました。その通り。ハザードが来ることがわかっていたら仕事を休めば良い。それができないのが競争社会、評価社会、格差社会の宿命。利害が絡み合った複雑なシステムの中で、身動きがとれなくなっている。恐らく皆がそう思っているはず。だから、時代の雰囲気が変われば一気に新しい社会がやってくる可能性がある。とはいえ、一番のネックは金に絡まる人の欲なんだろうな。堅固な人間観、自然観、社会観、文明観を持つ必要性を強く感じる。そこを伝えるのが大学人の役割。(2013年9月25日)

目的達成のためのセオリー

先の週末は山木屋に行っていたのだが、福島民友で気になる記事を見つけた。塙町の木質バイオマス発電事業が中止されたとのこと。これからは再生可能エネルギーをどんどん活用していきたいのだが、塙町の計画中止は極めて残念なことの様に思われる。反対していた町民グループによると「木材の焼却で放射性物質の拡散や、風評被害を招く恐れがある」からという。日本が近代文明社会ならば、そうならないようにしたうえで、事業が推進できると思うのだが、こういう市民の感覚も受け入れなくてはならないのだろう。どうも町と住民のコミュニケーションがうまく行ってなかったようだ。まず対話と理解、そして参画と協働による事業推進が目的達成のためのセオリーなのでしょう。(2013年9月24日)

アンダーコントロール

新しいポメラを手に入れた。これまでより快適に、いつでもどこでもメモが取れるようになったので、早速最近思っていることを書き留めておこうと思う。私は基本的にはノンポリ、お人好しで、政治に対して燃えるという人生を送ってこなかったのだが、安部首相のアンダーコントロール発言には初めて怒りを覚えた。公になっている事実からすると、福島第一原発の状況がアンダーコントロールとはとても考えられない。アンダーコントロールは政権にとって都合の良い状況であり、現実と関わりなく、アンダーコントロールと発言し、そうなっているということになったかどうかという小細工に権力を使う。震災後、日本は全く変わっていないではないか。事実に基づいて発言する。こんな当たり前のことが日本の政治では通用しない。これは政治ばかりではないのだが、日本は「ということになったかどうか社会」から脱却しなければ未来はないと思う。(2013年9月24日)

評価者こそ努力を

私の職場は共同利用・共同研究拠点機能が認められた研究センターですが、3年目の中間評価が行われました。その結果は、SABCの中のB。つまり、あまりよろしくないということ。その評価について下記の文言が返ってきました

拠点としての活動は行われているものの拠点の規模等と比較して低調であ り、今後、作業部会からの助言や関連コミュニティからの意見等を踏まえ事業計画の適切な変更が期待される。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/026/siryo/__icsFiles/afieldfile/2012/07/12/1323451_02.pdfより)

何が低調なのか、規模(現在常勤10名)の標準的活動とは、どう変更したら良いのか、いろいろ議論していたのですが、よくよく見るとこの文言は最初から文科省の評価要項に書かれているものと同じではないか。評価者は何を議論したというのだろうか。現場に対して極めて失礼な態度と言わざるを得ません。評価者は評価者になることによって地位と名誉を得たと勘違いして、仕事がなおざりになっていないか。評価というのは大変な仕事です。評価される方も大変ですが、評価者が一番大変なはずです。ところが日本のシステムは評価者が楽をする仕組みになっている。これでは大学はよくならない。日本もよくならない。評価者のための評価に甘んじてはいけない。(2013年8月26日)

草木国土悉皆成仏

これは天台本覚思想を表現したもので、京都の地球研でも使っていた記憶があります。梅原猛の「人類哲学序説」(岩波新書)を読みました。梅原さんも東日本大震災が起こったことにより、西洋文明を批判し、原子力を主なエネルギー源とする現代文明を見直さなければならないと考え、本書を執筆したとのこと。「草木国土悉皆成仏」という偉大な日本の思想の中に、新たな未来への可能性を見いだす。もう一度、読み返して理解を深めようと思いますが、梅原さんの主張はけっして新しいものではなく、日本の思想の潮流に既になっているように思う。それは、哲学、思想、地域計画、などいろいろな分野の、いろいろな著者の本を読んでいると良くわかる。もちろん、学者の役目というのは人の思いの大きな流れをきちんと論理的に記述することですので、私が感じること自体はたいしたことではない。梅原さんはきちんと学者の仕事をなさっていると思います。それにしても、近所の本屋にこんな本が積まれて、それが売れているということは日本の底力ではないだろうか。我々大学人もこの大きな流れをしっかり受け止め、研究者としての役割を果たさなければいかんと思っています。(2013年8月25日)

地域への思いを大切にしたい

昼に弁当を買いに外に出たら南門で子供らがチラシを配っている。“西千葉のホームパーティー−第三土曜市”を開催しているそうだ。そこで、西千葉駅下ペリエ(スーパーです)に向かう途中にちょっと立ち寄ったところ、パレスチナのビールを発見。いつ買うか、今でしょ、というわけで三種類を一本ずつ購入。今晩が楽しみ。子供も大人も楽しそうにやっていたが、地域への思いは確実に高まっているのではないだろうか。これは広井さんも言っていた(4月2日)。一昨日は「富里のホタル」のグループの案内で保全活動を行っている“天神谷津”を訪れ、勉強会の後、芝山の農家レストラン(というか郊外の隠れ家型レストラン)でおいしい野菜とワインに舌鼓を打った。ある方が、定年になって初めて近くにすばらしい場所があることを発見したのですよ、とおっしゃっていた。地域における“あるもの探し”、“集い”、“協働作業”、こんなものを大切にしながら、地域ごとの交流を深めることができれば“暮らし”の場として千葉は良くなっていくだろうなと思う。(2013年8月24日)

技術者が誇りをもてる社会へ

久しぶりに尊敬すべき技術者達が集まる会合に参加してきた。このところ気になってしょうがないことは、東電福島第一原発回りの対策に日本の知識、技術、経験は結集されているのか、ということ。国は東電に丸投げで、東電は内部で処理しようとして必要な対策が後手に回っているのではないか。国の関与が不十分だったことは先日の安部さんの発言(8月7日、“これからは東電に任せるのではなく...”)で明らかになりましたが、東電が行ってきた対策に日本の技術が活かされてきたか。技術者達に話を伺っても口は重い。それは日本の習慣では技術者が“業者”でしかないから。知識、経験のない役人(昔の役人はそうでもなかったと思う)が“業者”を使って、様々な施策を実施してきたが、予算があった時代は“うまくいったということになったかどうか”ということに労力を注げば、それで済んでいた。しかし、今は違う。国の威信をかけて、日本の知識、技術、経験を結集すべきだと思う。うまくやるにはどうすれば良いか、を本気で考えなければならない(従来の慣性に基づく役人寄りの結論が先にあってはだめ)。安部さんはよく勇ましいことを言うが、日本の威信が何なのか、ということがわかっていないのではないか。原発の処理でもたもたしているうちに、世界の中における日本の威信は失墜を極めるだろう。これからの日本のあり方の一つは技術者が幸せな社会。技術者が誇りを持って国の一大事に関与できてこそ、日本の威信を維持することができる。(2013年8月23日)

無力ということ

思えば4月から長い間書き込みができなかった。これは心に大きな迷いが出ている時の症状なのだが、今回は大分長く続いてしまった。盆休みも最後で、明日からはまた日常が始まる。そこで、力づけに本でも読もうと思って書店に出かけた。前に書いた広井さんの新書を探したが在庫がなく、それでは曾野綾子の新刊でも買おうと思ってふと目についたのが五木寛之の「無力(むりき)」。最近は深まる無力(むりょく)感におぼれそうになっていましたが、“優柔不断の動的人生”(「無力」から)を楽しもうか。小心故、最近の自分は大学の研究者として、確立したレールからはずれているという思いが不安の原因にもなっていたのですが、人生の旅路において人の考え方は変わるもの。自分が所属している組織や分野の外では私が同意できる考え方もあることはわかっているではないか。大学人にとって大事なのは組織や分野か、それとも自分(個性といってもよい)か。大学の研究者はもっと我が儘になっていいと自分に言い聞かせながらしばらくやっていこうかと思う。(2013年8月18日)

若い世代の「ローカルなもの」や地域再生への志向

朝日の「ニッポン前へ委員会」のメンバーだったうちの大学の広井さんが書いている(朝日朝刊)。彼のゼミの学生や卒業生を見ていても確かなことだという。私自身がそうであり、世の中の流れとして確かに感じる。広井さんは「グローバル人材」ということが喧しいが、と書いているがこれは千葉大学の事業に対するちょっとした皮肉を含んでいることは同じ機関にいるものとしてよくわかる。昨今、グローバルと言っておれば安心というような風潮があるが(研究者は“優秀病”、“いい人病”の罹患率が高いので)、グローバルの理解とはローカルの理解が前提としてある。複雑で多様なローカルを理解する精神的態度を持ち、ローカルな問題に対応する力を持ち、ローカルをグローバルの中に位置づけることができる人がグローバル人材である。「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という発想は都市的な世界観に基づく発想であり、ステレオタイプとしてのグローバル人材の発想であるが、もう一方にある農的世界も尊重しながら、ふたつの世界を行き来できる精神的態度を持てることが幸せにつながる、そんな世界を作りたいと思う。(2013年4月2日)

国なるもの

心底まいりました。今年の校費と委任経理金をすべて失うことになりました。平成24年度の原子力機構受託研究で購入したソフトウエア(ArcGIS)のライセンス期間と業務期間が異なるため、支払いできないとのこと。大学のライセンス期間があったので、原研委託費でライセンス更新をしたのですが、それがだめとのこと。では、どうすれば正解だったのか。二重払いすれば問題はなかった訳です。しかし、それは税金の無駄遣いに相違ありません。一市民として抵抗があります。結局、“国なるもの”に対する理解が足りなかったということだろうか。今、日本には国など存在せず、責任をとりたくない役人の集合体としての“国なるもの”があるだけではないか。復興予算は原則立て替え払いですので(委託研究費も立て替え払い)、小さな自治体は財政負担に耐えられなくなっているということも聞いたばかりでした。この二年間、国に対する疑問が膨らみ続けていましたが、とうとう怒りに転化しそうです。でも、怒りは自分を苦しめるだけ。暮らしを失った方々が数万人もいるのに小さいこと。東日本大震災は国のあり方について大きな疑問を国民に投げかけた。これに対して国なるものはどういう対応をするのか、見つめていきたい。(2013年4月1日)

福島を忘れない

飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)の東京シンポジウムに出席してきました。東大の一条ホールが満席となる盛況ぶりで、福島に対する関心が決して薄れているわけではないことを感じ、安心したのですが、一方で、昨日の日本地理学会における東日本大震災セッションでは関心の低下が参加者数に如実に現れていました。IISORA東京シンポジウムの参加者は大半が何らかの形で福島に入っている方々が多かったのですが、研究者の世界における関心が目前の現実から離れてきていることを感じることは寂しいことでもあります。IISORAシンポジウムでは飯舘村の方々のお話も聞くことができ、現実に対する“わがこと化”感覚を維持するためのカンフル剤としての効用は抜群です。IISORAの方々にはお世話にもなっているのですが、放射能汚染地域の暮らしをどうするか、に対する考え方は山木屋におけるチーム千葉大とは少し異なっています。それは飯舘村と川俣町の様々な地域の事情の違いもあるのですが、我々は山木屋の方々に還って頂きたいと思っています。それは主張ではなく、我々の“思い”です。山木屋の方々が還りたいと思い続ける限り、必要な情報提供、助言等をしていきたい。目的の達成を共有した上で、それぞれの役割を果たすということに徹したいと考えています。帰還を決めるのは当事者なのです。もちろん全員が還れる、還るわけではないのですが、還りたいという意思を持つ方々には可能な限りのことをやりたい。私は還ることができると考えています。汚染された山林も、まず放射能の分布を自ら測る。必要なら除染し、その後の斜面対策は砂防、緑化、水文といった各分野の専門家が対策を提案する。放射能とうまくつきあい、管理しながらまず暮らしの安全・安心を確立させ、生業の再生、復興、創出に対しても大学の総合力を発揮する。震災後3年目にはいり、具体策を出すべき時期に来ました。(2013年3月30日)

ヘキサコプター初飛行

これからのリモートセンシングは衛星に頼らない近接リモートセンシングが一つの方向と考え、UAV(Unmanned Areal Vehicle)の一種の電動マルチコプターを導入しました。千葉大のグランドでおそるおそる上昇させましたが、数m上昇した後の抜群の安定性に感動しました。GPS、ジャイロ、高度計による姿勢制御システムは既にパッケージ化されており、組み立て式パソコンと同じ感覚で組み上げることができる時代が来ています。一気に10数mまで上昇し、プロポのスティックを離すと、その場でホバリング。今回はカメラは搭載していませんが、ジンバル(架台)の動作も確認し、次回は初撮影を試みる予定。実は小学生の頃はラジコンがやりたくて堪らなかったのですが、実機を購入することは叶わず、ラジコン技術という雑誌の購入だけ認められていました。あれから40年後の実機導入となったわけです。応用のアイデアは次から次への湧いてきますので、この春は忙しくなりそうなのですが、フィールドに出かける時間をどう作るか、それが最大の課題です。(2013年3月22日)

二年目の311

あの大地震から二年が過ぎたが、この間の原子力災害に対する施策がほとんど進んでいないことに失望を禁じ得ない。地域では実状に応じた様々な考え方があるのに、国に届かない。国はそれなりの施策は出すのだが、地域で使えない、使えないようになっている。国と地域の分断はいっこうに改善される兆しがない。役人は現場に行っているのだろうか。現場に行かず、霞ヶ関で徹夜で複雑な手続き、条件を考えて、仕事をした気になって、それで何とかなったのは日本の国力があった時代。金で何とかなった時代は過去のもの。東京と地方の分断を回復することが日本が変わることと考え、そうなることを期待してきたが、そうならない現実の前で無力感に苛まれる。(2013年3月11日)

研究者の論理、村の論理

内閣府宇宙戦略室に行ってきました。「平成25年度宇宙開発利用に関する戦略的予算配分方針のフォローアップ(案)」に対する学会意見のヒアリ ングです。事業見直しの対象となっている地球観測衛星に対して、何とか実現してほしい、というお願いでした。備忘録を兼ねて、聞いたことを書き留めておきます。/今、リストに挙がっているGCOM-C, GPM/DPR, EarthCARE/CPR はやる。ただ し、このままでは継続しない/ALOS−3はやらない。コストがかかりすぎる/GOSATは環境省の後押しがあったからやった。政策官庁が出てこないと難 しい。支える集団が見えること/研究をやりたいのならば文科省と話すべき/高コストの衛星開発を行う国力はない/社会インフラとして整備できること。日本で役立つ技術が必要。海外じゃだめ/日本の宇宙政策は失敗。継続性、実用性という面で。開発指向の強さは改善さ れていない/。これらのお話は個人的には同意できる点も多く、これからの地球観測のあり方を根本から考え直さなければならないなと感じています。内閣府宇宙戦略室=政府だとすると、政府は現状の宇宙関連組織のあり方、や り方がこのままで良いとは思っていない、という雰囲気を感じました。また、何と言っても彼らは研究者という種族をよくわかっている。研究者が大まじめで話す論理は“村”の論理に過ぎない。もっと広い“日本”という立場から、なぜ地球観測が必要か、について説明しなければならない。その際、政策官庁が後ろについており、国益を前面に出さないと国の予算を使う事業にはならない。非常に勉強になりました。(2013年3月7日)

異なる不条理

中通りの福島から阿武隈を越えて浜通りまでを横断しました。福島から川俣に向かう富岡街道は渡利を過ぎた辺りから高度を増し、最後は少し下って盆地底の川俣町市街地に達します。飯舘村あるいは山木屋には川俣町市街地からまた坂を一気に上ります。昨日と今日は時折曇って雪もちらつきましたが、全般的に良い天気。しかし、飯舘、山木屋では地吹雪が舞っていました。飯舘から南相馬に一気に下りると、風がないところでは穏やかで暖かい。帰りも飯舘を抜けて川俣町市街地まで下りると空気が穏やかになる。飯舘も山木屋も寒冷でヤマセに悩まされてきた地域。農業の近代化でようやく暮らし向きが良くなってきたところで、近代科学技術の粋を集めた原発の事故で暮らしを失った。なんて皮肉なことなのだろう。この不条理を都会に住む方々にも理解して頂きたい。もちろん、都会にも不条理はある。しかし、自然と分断された都会と、自然と共存してきた山村では少し違うような気がする。(2013年2月27日)

パラレルワールド

昨夜の報告会から一夜明けて今日は帰るだけ。そこで、まだ見ていない南相馬に行くことにしました。川俣から飯舘を抜けて南相馬に至り、海岸を目指す。そこには一昨年とあまり変わっていない光景がありました。南に進み、東電福島第一原発の20km圏に近づくとともに、手つかずの311の光景に変わって行きます。警戒区域の検問まで行き、元来た道を戻りました。道の駅「南相馬」で地域の産物を買った後、福島まで戻り、新幹線で帰宅。同じ時間が過ぎているのに全く異なる状況がそこにある。まるでパラレルワールドのよう。今朝、福島民報を買いましたが、そこはまだ災害の最中。自宅に帰り朝日を開くと同じ新聞なのに全く描かれている世界が違う。やはり、世の中はパラレルワールド。異なったたくさんの世界が時を刻んでいる。異なる世界がなかなか交わらないまま。(2013年2月17日)

原子力災害農業・自然環境調査に関する川俣町報告会

川俣町でチーム千葉大のやってきたことを報告しました。三回目になりますが、町長はじめ役場の方々、もちろん山木屋の方々の前で千葉大学および千葉大学と縁のある方々がそれぞれの結果を報告し、質問を受けました。千葉大学からは園芸学部、工学部そして私と複数の部局からの報告でしたが、解くべき問題の解決を共有した専門性の異なるメンバーが、それぞれの役割担当の成果を報告する。問題解決を目指す基本的な枠組みができつつあると感じます。ただし、目的の実現のためには国の行政との結びつきを強めなければ実現はほど遠い。今回は環境省の環境回復検討委員会委員の先生の参加を得て、国への発信も着実に進みつつあるという感触を得ることができました。千葉大学は“環境”が弱いと理事から指摘されたことがありますが、環境問題は地域における人と自然、そして社会の問題。山木屋において環境を考える集団ができつつあると感じています。(2013年2月16日)

閉じた関係性

しばらく評価用の資料作成で時間がとられる。特色は何だ、どんな成果が出たのか、論文のインパクトファクターは...等々。これは文科省と大学という関係性の中では有効な評価項目であるが、人の暮らし、Human's welfareとの関係性の中ではどうだろうか。文科省の役人、大学の教員は同じ世界を共有しているが、市井の人々の世界とはどれだけ重なっているだろうか。暮らしと大学は交わらなくて良いのか。そんなことはない。一方では大学に対する大きな批判のうねりもあるではないか。どうも教育行政の目指す方向と社会の求める方向のベクトルが交わっていないように思える。大学と文科省は閉じた関係性の中にいる。外の世界は広いのに。(2013年2月13日)

楽農報告

今日を逃すとしばらく休みはない。ジャガイモを急遽植え付けることにする。男爵芋を三列。これで一安心。寒い日が続くが、寒ければジャガイモは発芽しないだけ。暖かくなると成長を始めるだろう。(2013年2月10日)

安全・安心再考

残念な知らせが届いてしまった。第2次審査までいったセコム科学技術振興財団の助成金申請は不採択となりました。企業の助成はやはり企業のためであり、「優れた成果を挙げた」ということになるかどうか、という点が最初から示されていないとだめなのだろう。営利企業ですから。原子力災害を被った地域への支援、まなざしを向け続けること、こういったことは社会活動として、草の根の支援を受けながら進めていくのがまっとうなやり方なのだと思う。しかし、我々は大学の研究者であり、常に“外形的”な成果を求められている。研究事業としてシャープな達成目標を掲げながら、地域の支援(というのもおこがましく感じているのだが)の中にうまく位置づける、いわばダブルスタンダード的な考え方で最終目標を達成するというやり方が現実的なのだろう。しかし、地域の暮らしを取り戻すという目標達成には、格好いい事業、成果では不足である。安全・安心に対する考え方の転換が必要。科学技術主義に基づいて担保した安全が安心を作り出すのだという考え方を乗り越える必要がある。(2013年2月7日)

教訓は行動へ

神戸で開催された「災害看護グローバルリーダー養成プログラム国際セミナー」キックオフミーティングに参加した。基調講演のUNICEFの國井修さんの話は心に染みた。こういう人物が日本を支えているのだなとつくづく思う。さて、心しておかなければならないのは「教訓を得たら行動で活かせ」。東日本大震災以降、いろいろな教訓が唱えられているが、実行しなければ意味がない。肝に銘じておきたい。その他、國井さんが述べられたこと:「民間、専門家の力を組織力へ」、「官民連携、民民連携」、「連携、協力、調達の戦略化、具体化」、「世界に学び、世界に発信」。東日本大震災を経験した日本人にはまったく耳がいたい。特に、震災発災直後の状況は言い方は悪いが、途上国以下とのこと。これは多くの国民も何となく感じてはいたことだと思う。避難所や仮設住宅の状況、その他諸々。世界に学び、世界に発信できる実践を行わなければ日本は危うい。(2013年2月3日)

命を継承する

震災当時釜石市の防災担当だった方にお話を伺うことができた。広島県西条でおいしいお酒を頂くことができました。その方は地震からひと月は家にも帰らず不眠不休でがんばったそうだ。生まれ育った家は跡形もなく消えていた。釜石では死者、行方不明者が1000人に達し、防災対策は失敗だったとご自身を責められていた。人が亡くなったのはお前のせいだと非難もされているそうだ。しかし、巨大な防潮堤は確実に津波の勢いを削いでいる。防災教育で多くの命が助かっている。ご自身を責めることはない。人は自然の威力の前で、もっと謙虚になったほうが良い。科学技術主義に基づき、安全を担保することができる、なんて思わない方が良い。生き残った人がいれば、命をつなぐことができる。先祖から子孫につながる命の流れを意識することができる世界における死に対する感じ方は、命の継承が不安定になった都会とは異なるのではないかと思っている(非常に失礼な言い方になるかも知れないがご容赦願いたい)。震災では老若男女すべてが犠牲になったことが悲しみの根源である。「つなみてんでんこ」は、とにかく生き残りなさい、そして命を継承しなさい、という教えだと思う。また釜石に行きたい。(2013年2月1日)

お人好し国家として誇りを持つ

アルジェリアで亡くなった方々は本当にお気の毒でした。同じような多くの彼ら、彼女らが日本の土台を支えている。私の先輩、後輩、同級生にもたくさんおります。若く元気があった頃のアフリカ、アラブなどの調査ではそんな彼らのがんばりが身に染みて伝わってきました。お世話になりました。テロはいかん。そんなことは決まっている。しかし、なぜテロを起こさなければならなかったのか。贅沢したかったからか。気に入らないものを排除したいだけなのか。いやいやそうではないだろう。背後にある最も大きな要因は新自由主義的なグローバル市場経済ではないか。その流れの中で人としてのアイデンティティー、民族の歴史、誇りを取り戻したいという想いは確実にあるだろう。だからといって人を殺してはいかん。しかし、死に対する感覚は我々の想像を超えるものがある。近代文明国家(それが優れているという意味ではない)では死は一巻の終わりになった。しかし、そうではない社会が確実にある。ある国で災害対策がなかなか効果を出せないのは、死も神の意志であり、それを受け入れるのが人の務めという感覚があるからだという。来世があると思えば気持ちが楽になるだろう。そういうことを理解するのが国際感覚であると思う。日本は“お人好し国家”だった。海外ビジネスやODAの案件では日本は彼の地にとって最も良い提案をする。すると時の為政者には都合が悪く、欧米に事業をさらわれてしまう、という話を何回も聞いた。私も経験したことがある。しかし、国家が成熟してくれば日本の真意が理解される時がやってくる。日本は“お人好し国家”であることを誇りに思って、世界の中でやっていく。ここをうまくやるのが外交。これしか道はないのではないか、と思う。(2013年1月25日)

科学者が信頼されない国

「危機に先頭に出ず、責任感も不十分、社会にとって不幸」と続きます。朝日朝刊オピニオン欄の政策研究大学院大学、有本建男さんの意見。まさに科学者のあり方が問われているのが現在で、有本さんのおっしゃることはもっともだと思います。ただし、科学者の立場からすると、もう少し説明が必要。震災後に科学者のとった行動パターンは3つ。地域に寄りそった科学者、国に寄り添った科学者、震災など人ごとの科学者。震災後、科学者のあり方を真摯に考え、地域に入っていった科学者がたくさんいます。職場(旧国研)の意思と科学者個人の意思が交わらず、悩んだ科学者もたくさんいます。そこで起きた問題は科学者や科学者が寄り添った地域の意思と国の意思が乖離してしまったことでした。一方、国に寄り添った科学者は研究を推進することができましたが、地域とは距離を残したまま。そして、震災をわがこと化しなかった大多数の科学者。科学者も日常の暮らしの中におりますので、それはごく自然なことでもあります。有本さんの意見は「科学と社会をつなぐ仕組みと意識必要、市民と議論しよう」と続きます。そうありたい。しかし、評価社会の中で科学者だけでなく為政者の意識も変わってしまっている。論文数や地位と名誉を価値の頂点に置くと、科学者と国の利害が一致し、時として科学と社会とは乖離する。改革はそのような大勢の中で進めなければならない。もちろん、有本さんはこの点も指摘しているのですが、私はマイノリティーとして意識変革の困難さを感じるばかりのこの頃です。国はまず、科学者を信頼してみては。信頼されると責任が生じる。その責任は衆人が環視する。すると責任を通じて科学者も変わるのではないかな。科学行政も科学のための科学のプライオリティーを下げてみては。といっても地位と名誉が邪魔をするのですが。(2013年1月24日)

技術と現場

今日の会議で思ったこと。現場における問題に対処しようとする技術には3つある。一つは、現場で役に立つ技術。もう一つは現場における行為の後からやってくる技術。そして、現場とはベクトルが交わらない技術。環境や災害に関わる問題は個々の現場における人と自然に関する問題。現場では様々なステークホルダー間の調整が進行しているのに、それが見えない技術者による行為。また、現場のニーズとは全く関係なく、研究者が勝手にやっている技術。技術のための技術もあり得るという意見もあったが、それは“幸せな大学人”の甘えではないか。問題を協働のフレームで解決しようとすると、技術の役割は相対化される。これは受け入れざるを得ない。ここを評価できないから大学は研究のための研究、技術のための技術開発を行う場になってしまう。(2013年1月21日)

災害に対する備え

津田沼まで往復するのに3時間もかかってしまった。普段の6倍である。雪が本降りになったのだが、成人式で振り袖を着ている娘を迎えに行かなければならない。幸いチェーンがあったので装着し、出かけたが、菊田神社の手前でほとんど動かなくなった。坂の途中でバスが立ち往生していたことが原因であった。陸橋や地下道の手前ではスリップを恐れて一台づつ通過し、渋滞を招いていた。今日はやむにやまれぬ事情があったのだが、本来は雪が降ったら家にいるのが一番。休日なのだから。しかし、突然の本降りに多くの人々は自らの行動を修正することができなかったのではないか。画一的な都会の日常がもたらす正常化バイアス、利便性に対する慣れ、...。こういう都会人の習性を見直すことが減災につながるのかな、と思う。(2013年1月14日)

セコム科学技術財団面接にてー研究者は信頼されているか

セコム科学技術振興財団に応募したプロジェクトの第二次審査がありました。課題名は「統合知による広域放射能汚染地域における安全・安心な暮らしの再生・支援方法の確立」。目的の達成を共有した組織の中で、それぞれが役割を果たすことを理念として問題に対峙する考え方を示したつもりでしたが、やはり鋭い指摘がありました。研究期間内における達成目標が明確でない。計画的避難区域の復興という最終目的を共有すべき目的として掲げており、達成のストーリーを現時点で見極めることができなかったのですが、研究助成ですから当然の指摘だったと思います。自信を持って望んだつもりでしたが、砕けました。ひとつ哀しかったことは、「いつまでやるのか。おいしいところをつまみ食いしてやめてしまうのではないか」、という質問。避難されている方々とは深い交流があり、「原発事故があったから出会うことができたんだよな」なんて言ってくださる方々とのつながりを切ることは我々自身の人間としての誇りを捨て去ることと同義だと思っています。こんな質問が出るということは、そういう研究者がいるということで、哀しいことです。自分たちはそうならないように心したいと思います。ひとつ気になったこと。審査委員の中から地理学会でもやっているとの指摘。誰がやっているのだろうかと思いを巡らしましたが、それは私のことだったのでは。それは私です、と言ったら雰囲気が変わったかも知れないな、なんて思っています。(2013年1月10日)

教育に対する思いとリスク

また、大阪で高校生が自殺し、教諭の体罰が問題になっているが、ニュースの文面からは真実は読み取ることはできない。しかし、多くの教員が感じることがあるのではないか。教員には教育に対する思いがある。しかし、歳をとって自分が変わり、社会も変わり、学生(生徒)も変わった現在、その思いを実現させることは常に成功と失敗、賞賛と批判の間のギリギリのバランスを探らねばならない。個々の学生、生徒に対する解は異なり、普遍的な方法はない。教員にもそれなりの経験、資質が求められるが、特に大学の教員は研究者として評価される存在であり、教育者としての評価はない(そこが大問題なのではあるが)。無難に過ごすことが一番安全であるが、それでは世の中は良くならない。どんな批判にも耐えられる精神が求められる、なんと厳しい世の中になったものか。(2013年1月9日)

手抜き除染の背後にあるもの

福島の避難区域における“手抜き除染”が問題になっています。受託した業者は契約通りに作業を進めなければならないということは当然なのですが、手抜きをやらざるを得ない事情はないだろうか。下請け業者がプロトコル通りにやろうとするとコスト割れになるとか、汚染域外から来た労働者の放射能汚染に対する未理解(無理解とは言わない)、地域の方々も雇用されているとすると、故郷の除染作業に対する心のあり方、いろいろ想像できます。もちろん、心を込めて大変な作業に励んでいる方々がほとんどであると思います。あら探しに励んでいる報道機関もありますが、ぜひとも事実だけではなく、真実を明らかにして頂きたいと思います。手抜きに対するバッシングが激しくなると、除染作業の進行の妨げにならないか、心配です。除染は日本という国の誇りを保つために絶対必要な作業だと思っています。犠牲のシステムの上で発展してきた日本ですが(高度経済成長期の公害を思い出してほしい))、もうこのやり方はやめたい。文明の災禍に対しては、国は心を込めて(までいに)対処して頂きたいと思います。それにしても除染のコストは高すぎる。コストを下げながら地域に還元するやり方は確実にあったはず。除染現場を眺めながら、避難されている方々が、俺だったらこうやる、という話を何遍も聞きました。彼らは百姓ですから、百の技能を持っている技術者でもある。地域の力が放射能対策にあまり活かされていない。これが国の限界であり、これからは地域が中心となり、主体的に対処していける仕組みを作らなくてはならない。(2012年1月4日)

市民科学者として生きる

故高木仁三郎の著作はいつか読まねばならぬと思っていましたが、この年末に何冊か買い込んで読んでいます。なぜ、今まで読まなかったのか、恥ずかしさがこみ上げてきます。最近、科学の役割について思い煩うことも多かったのですが、市民科学者として生きることのつらさと尊さを改めて思います。自分にどこまでできるか全く自信はありませんが、高木先生が引用していた萩原恭次カの詩を引用して2013年の始まりとしたいと思います。

無言が胸の中を唸っている
行為で語れないならばその胸が張り裂けても黙ってゐろ
腐った勝利に鼻はまがる
(2012年1月1日)

ご無沙汰している方々ゑ

毎年、年賀状の準備が遅れ、今年も年が明けてから書いています。昨年は、福島の状況がまったく変わらないためどうも新年を祝う気がせず、礼を欠いたことをお詫びいたします。人、自然、社会の関係性の無事こそ安心。今年こそ、“無事”を取り戻したいものです。

写真の詳しい説明は省きましたが、すべて計画的避難区域です。現在、そこに暮らしはないということを感じ取って頂きたいと思います。(2013年1月1日)


2012年12月までの書き込み