口は禍の門

2012年も最後の日を迎えました。日本の将来、若者の将来が気になってしょうがないのだが、そんなことにお構いなく自分の“世界”を謳歌している方々も気になる存在。多様な考え方は尊重しなければならないのですが、閉じた世界が一杯あっても世の中は良くなっていかないのではないか。多様な世界はまず意識すること、次に尊重すること、そしてうまくいかなくなった世界のことを考えること。今年は「思いやり」という言葉を何度も聞きましたが、閉じた世界の中にいながら「思いやり」を実践することは難しいのだろうなと思う。(2012年12月31日)

しばらく書き込みを休んでしまい、再開のきっかけをつかめずにいましたが、今日は空がとても青いので、また再開することにします。「私の青空」はエノケンや高田渡の歌で有名ですが、青空とは家族の待つ暖かな家庭のこと。人の拠り所でもあり、これがないと元気が出ない。近代文明の災禍により故郷を失い、家族がばらばらになってしまった多くの人々がいるという現実を前に、どうすれば良いのか、ということを現場に立脚して真摯に考え、提案する姿勢が日本の社会にもっとほしい。(2012年10月1日)

2012年も後半となった。飛び込んできたニュースは大飯原発3号機の起動。電力を必要とする方々の事情もわかる。しかし、安全はハードだけではなく、ソフトも点検しなければ担保されない。原発事故で明らかになった人間システムの不備が是正されていない段階では少し早すぎると思う。“安全であるか”、が重要で、“安全である、ということになったかどうか”、ではない。“ということになったかどうか”に労力を注ぎ込む習慣は正さなければならない旧社会の悪習。日本の未来というよりも日本人の未来を考えるという姿勢が必要ではないか。個々の日本人が集まって日本になる。日本人同士の関係性に基づく議論を深める必要があると思う。(2012年7月1日)

2012年6月までの書き込み


人生の軌道修正

毎年参加しているOB会に出てきました。我々の世代ももう定年を視野に入れなければならない齢になっています。成果主義、競争社会の中で生きてきた先輩方ですが、それを認めているわけではなく、そこからの脱却、そして次の人生への軌道修正を考え始めていることがわかりました。いろいろな話を聞いていると、この社会もまだまだ捨てたものではないな、安心な暮らしに対する人の思いは生きていると感じることができました。一方で、これから社会へ出て行く若者のことも心配。もちろん、若者は肩肘張って社会に出て行かねばならない。そして社会のあり方を見極めて、自分の行く末を自分で決める力を持たなければならない。とはいえ、そのスタートラインに立てないという問題もある。(2012年12月30日)

日本の問題−人の世界の狭隘化

何となく忙しくて、書き込みも滞っている間に御用納めを迎えてしまった。この一年間を振り返り、思ったことは、国はなんて冷たいのか、ということ。福島に通い、そこで進行していることを見つづけ、そして地域の方々と話すと冷たさがひしひしと伝わってくる。とはいえ、国も地域のことを意識はしている。しかし、暮らしは見えていないのだと思う。国と被災した地域の暮らしの間に大きな分断がある。こんな国の冷たさは国民の冷たさでもある。断ち切られた福島の暮らしをわがこと化して考えることができない。それは人の世界(その人の持つ関係性の範囲)がどんどん狭くなっているから。世界が狭くなると、強い世界観を持つグループが闘争に勝つようになる。それが今の日本ではないか。メジャーが決してマジョリティーではない社会。こんな風潮の中で忘れられようとしている世界。それは都市的世界に対しては農山漁村的社会と呼べるかも知れない。それを守ることが人の幸せにつながるのではないか。(2012年12月28日)

倫理的・集団的補償原則

今まで習慣としてなんとなく受け入れていたことも、実はそうではなかった、思いっきり考え改めなければいけないということがあります。日本では災害からの復興において賠償は減価償却原則で行われています。腑に落ちないと感じつつも、国や企業の前ではその強大な力に屈して受け入れざるを得ないという状況が続いています。しかし、倫理的損害に対する賠償を行うという当たり前のことが、言われるとはっと気がつく。北大の家田先生のハンガリーの2010年赤泥流出事故に関する調査に基づき講演されたハンガリーにおける産業災害からの復興のあり方に関するPPT資料の一部を再掲しておきます。
・地域の消滅(集団的災害)と復興(新村建設)
・減価償却原則の損害賠償ではなく、倫理的・集団的補償原則
・補償(現状回復原則)の採用:苦痛の緩和
・公的支援と義捐金の透明的な運用と統一的運用

日本は近代文明国家であると自負してきたが、精神面の成熟ではまだまだ東欧にはかなわない。経済競争とは一線を画し、真に追い求めるべきものがあるということを日本人は自覚しなければならないのではないか。(2012年11月18日)

あきらめと希望の間

飯舘村放射能エコロジー研究会福島シンポジウム「福島原発事故が飯舘村にもたらしたもの」に参加してきました。地域の方々からの発信には心を打つものがありますが、飯舘村特有の事情もあり、講演の中で国、村、住民の間の分断を感じてしまうことが気になりました。しかし、飯舘村村民の若者による最後の発言で、村民の一本化の方向を模索する雰囲気がでたかなと思い安心しています。ただし、解はひとつではない。あきらめと希望の間にある様々な選択肢をどれも尊重できるような施策の実現に向けて努力して行かなければなりません。ここに我々災禍の外にいる者による支援のあり方のヒントがあるように思いました。(2012年11月18日)

身近にあるリスクと安全・安心

ちかすいネットの懇親会では放射能に関する話題からの流れで、日本には様々な物質が人の暮らしの周囲に埋められているということも話しました。実はこういう場所は日本にはたくさんあり、環境省のHPに掲載されているが、法的義務がなくなると削除されて忘れ去られてしまうという。私の念頭にあったのは大島の六価クロムの埋設地でしたが、このことは松田磐余先生の「江戸・東京地形学散歩」で読んで知っていました。帰宅して夕刊を見ると、一面に「六価クロム漏出、非公表 東京都公園周辺、基準200倍」との記事があるではないか(朝日)。専門家によると濃度レベルは直ちに健康被害をもたらすほどではないという。研究という行為の作法に則ると、安全と判断はできるということ。しかし、住民にといって安心ではない。低レベル放射線被曝と同じ問題がある。日本の近代化の過程で放置された物質が後世まで影響を及ぼす。近代化の恩恵を受けている我々がこの問題にどう向き合うべきか。日本人は真剣に近代化の功罪に向き合い、新しい社会のあり方を検討する時期に来ていると改めて思う。(2012年11月17日)

問題の解決を共有しよう

第9回ちかすいネットで福島の話をしてきました。予想はしていましたが、警戒区域は国が買い上げて中間貯蔵施設を造るべきだ、避難区域は直ちに帰還を考えずに地域外に新たな村を造るべきだ、という意見を頂きました。もちろん、結果的にそうなるかも知れない。その可能性は否定しません。しかし、同時にそこに住んでいた方々のことを考えてほしい。問題の解決策は放射性物質の行く末だけでは決まらない。故郷を出ざるを得ない方々の暮らしをどう立て直すか、ここを“わがこと化”して考えなければならない。それは国の仕事だといわれる方もおられるかも知れない。しかし、それは”自分とは関係のない国”がやるべきだという主張になってします。国の意思は国民の意思であり、責任は等しく国民が共有すべきものということを忘れてはならないと思います。関係性を大切にしない、あわれで哀しい近代文明人にはなりたくありません。ちかすいネットでは最近疎遠になっていた方々の中に久しぶりに身を置くことができましたが、常に現場との関係性に身を晒している技術者集団に居心地の良さを感じています。(2012年11月17日)

大学をよくするとは

田中文部科学大臣のドタバタも背後には大学は今のままで良いのか、という問題提起がある。大学人として何とかしたいと思うが、その大学のやっていることがどうも本来の目的とはずれているようだ。例えば、千葉大学が採択された「グローバル人材育成推進事業」。これから数年間は毎年億円単位の予算が付いたそうだ。学部学生の30%を留学させるという。それは結構なのだが、予算を使え、という指令が来ている。そんな予算があったら震災復興に使わせて頂きたいものだ。採択によって上層部の方々は幸せになるが、申請段階では担当者が苦労し、全学推進型なので、採択後は教員(特に部局長)が苦労する。ソフトウエア管理台帳の更新という指令も来ている。これは結構時間のかかる作業。元はオフィス製品の不法コピーが発端であったが、今やソフトウエアライセンスは開発元の管理も徹底しており、台帳作成はユーザーにとって二重、三重管理になる。これも上層部が責任をとらないための仕組みに過ぎなくなっている。国立大学のミッション再定義のための資料作成も不毛であった。結局、成果を争う競争、特定の考え方に寄り添うための化かし合いになっている。大学をよくするにはどうすれば良いか。難しい課題だが、個々の教員が考え方をしっかりと発信して、国民が大学を選択できるようになればよい。そのためには国民全体の力が向上しなければならないが。これこそ震災後の日本が進むべきひとつの方向性を示しているのではないか。(2012年11月14日)

山木屋の秋

山木屋は秋真っ盛りであった。尾根の上から眺める阿武隈の秋は夢のような風景である。ただし、そこにあるのは自然と、あとは人の暮らしの痕跡。人の生業の跡ではうり坊をつれたイノシシが闊歩していた。ここに人の暮らしを取り戻せないだろうか。今日一日の積算線量は0.01mSv 。東京−ニューヨーク間の往復フライトの被曝量の1/10である。直ちに暮らしを取り戻すことは難しいにしても、先に生業を復興させることはできるのではないか。農作物への放射性物質の移行はそれほど大きくなかった。畜産も出荷前の一定期間で放射性物質の排出を行えば問題はなかろう。科学リテラシーを身につけた近代文明人であるのなら、福島の農産物を受け入れることはできるはず。しかし、市場経済の元で暮らす一般大衆は福島の産品を簡単に受け入れてくれないのは現実。安全を担保するのは可能である。しかし、安心を生み出すためにはどうしたら良いのだろうか。これは旧来の狭い科学の範囲を超えた、包括的な科学でなければ議論することもできない。近代文明社会人ならば未来に向けて変わらなければならないのであるが、さて、人は変わることはできるのだろうか。(2012年11月8日)

大学の軍隊化

大学のミッション再定義にあたって、各大学の特徴、強みを出せという文科の指令によりバタバタと作成した文書が提出されたという連絡を頂きました。事務方に大変お世話になり、感謝のしようもありません。私などはモチベーションが高まらず、中途半端な対応になり、お詫びするばかりです。ただ気になることもあります。それは背後に大学の軍隊化あるいは大学人の意識の軍隊化があるように思うこと。大学執行部の意向、その先にある文科省、さらにその先にある財務省の意向を読んで、それにに寄り添わねばならぬというのは軍隊化と呼んでも良いのではないか。大学に対する批判を受けて始まったミッションの再定義ですが、ここにこそ最大の問題点があるように感じます。大学のミッションは教育と研究に決まっている。現在が緊急事態なのは、学生の意識レベルの低下、それが日本という社会の弱体化につながるという点にあると思う(教員サイドでは過度の研究志向がある)。学力がないわけではないのだが、伸ばすことができない、社会の中で活かすことができない。ここを打ち破るのはまず大学であり、そのためにはお上に対して目立つことにばかり執心していてもまったくだめなのは明白。ではどうすれば良いか。根本には大学人の“世界”の狭隘化がある。まずは主張、発信を続けることが基本であるが、学会等を通じた包括的な取り組みもせねばならぬと考えているところ。(2012年10月30日)。

Future Earth

Global Change分野における次の国際共同研究の枠組みが議論されているそうな。それがFuture Earthだそうだ。議論に際して、過去数十年も環境研究に予算を費やしてきたが、環境はちっともよくなっていないではないか、という批判があるとのこと。さもありなん。環境問題とは地域における人と自然の問題である。地域ごとに解決しなければならない。小さな努力、小さな研究の積重ねによって、ひとつひとつの地域が良くなっていく。その上に地球が良くなる、ということがある。ここを忘れているから環境はちっとも良くはならない。学の体系化やコンセプトの提案はこれが成就してから。国際的な組織の中でイニシアチブをとるというのは環境に関しては後半の作業であり、まず地域の理解が先になければならない。枠を決めてから、それに会うように中身を調整するのではなく、地域ごとの成果を持ち寄って、大きな枠組みを形成していくのが環境に関わる国際共同による作業。枠を作って、さあ研究しましょう、というのはちょっと違うような気がする。(2012年10月29日)

お上の意向と、研究者としての信条

組織人としての正しい態度とは何だろうか。「大学のミッションの再定義」という文科省の企画で、うちのセンターでも「特色、役割、社会的役割」に関する文書を明日までに作らなければならない。いくらでも書けるのだが、官僚が喜ぶように書かなければならないそうだ。財務省に説明しやすくするためというのが理由とか。私は「環境」を研究している。環境とは人と自然の関係である。問題は地域ごとに様々な事情を背景に起きる。予算をたっぷりとって、見栄えの良いクールな研究を実施することで大学執行部は喜ぶだろうが、個々の問題に対する万能処方箋はない。問題は複合的であり、解決は折り合いでもある。人はスーパーマンではないので、ひとつの問題への取り組みでさえ長い時間がかかる...。これは負け犬の遠吠えだろうか。文科省あるいは大学という組織の意向に沿うのが組織人なのか。福島の放射能汚染地域に入って調査をしているが、地域の役にたったなんて思うだけで恥ずかしい。そんなことは書きたくはない。大学のミッションは教育と研究に決まっているが、今そこで起きている問題に対応するのも重要な役割であると思う。とはいえ、少数意見は力をもたない。こんな仕事ばかりしているから、大学はどんどん悪くなっていくのではないの。ひたすら地位と名誉を目指すのが大学の研究者ならば、どうも自分は壁に突きあたったなと思う。(2012年10月29日)

知性軸と感性軸

脱原発依存の議論をするときの軸は複数ある。まず知性軸。これは知性により問題を解決するやり方で、原発推進派ということになるだろうか。一方、感性軸では原発の倫理性、相対的価値、それに基づく哲学を重視し、脱原発派ということになるのではないか。この二つの軸はXY軸をなしている。だから、解は軸上ではなく、二次元平面のどこかに求めなければならない。ただし、この座標系の中の移動が市場経済のもとで困難になっていることが問題である。原発の地元で原発関連の生業に就いている方々、あるいは電気が不可欠な生業、特に中小企業の方々が直ちに別の位置にシフトすることは困難であり、特定のセクターに負担がかかることになる。これが政治の判断が曖昧になる要因でもあるが、政治、行政が解決すべき、解決できる課題でもある。そこまで考えているという姿勢を明らかにすれば議論の方向性は相当異なって来るのではないか。現時点では、議論の前提となる“空間”が共有されていないことが脱原発議論における不消化な部分である。識者達が、それぞれの“世界”の中から主張しているに過ぎない。土俵としての“世界”を広げるにはどうすれば良いか。原発推進派、脱原発派にとっての幸せとは何か。こんな議論から始まると、まずお互いの溝がよくわかるのではないか。最終的には暮らしが大切か、仕事が大切か、ということになるのかもしれないが、暮らしを先に持ってきて幸せを得ている国はたくさんある。(2012年7月18日)

コミュニティーの強さ

前の記述でコミュニティーについて言及したが、先日の印旛沼流域水循環健全化会議で伺ったことを残しておこうと思う。里山保全、地域再生に力を注いでいる尊敬すべきシニアの方から伺った話である。今、北総の谷津田では産廃業者による処分場の設置が進んでいるが、業者が入り込むのは地域のコミュニティーが弱くなったところだという。地域コミュニティーが強固であれば、業者は入りにくい。孤立した個人に業者が近づくという。産廃処分は都市にとっては必要なことかもしれないが、地域では生態系サービスの喪失につながる。谷津を守っていきたいと思うが、まずは谷津の機能を明らかにすること。一方、消費的な都市の構造を変えることにも力を注がなければならないと考えている。(2012年7月15日)

原発をどうするか

昨日から痛風発作で動きが鈍くなっており、この機会に篭山京「怠けのすすめ」(農文協、「人間選書」、39))を読み直す。ちょうど、原発に関する議論が行われており、昨晩もNHKの討論会を見ましたが、未来の日本社会の構造の選択に対する議論が抜け落ちているような気がする。「怠けのすすめ」はこんな折りにぴったりの本であった。スイスでは強い個人が単位となり連帯が生み出される。日本人には強い個人がいなくなってしまった。集団と連帯は違う。アンダルシアでは貧しくとも、それが美しく哀しいのなら、それでよい。それが、争いを経た後に身につけた平和に生きていくためのスペイン人のやり方。オランダの社会保障における合理性はコミュニティーから生まれる。暮らしを優先させ、それを実現するための経済を考える(日本では逆)。日本の未来を考えたいと思うが、参考にすべきものがそこにある。日本では市場経済のもとでの競争が格差を生み出している。強いコミュニティーがなくなったから社会的な圧力に対して脆弱になり、合理性を貫くことができない。原発の問題も経済だけでなく根本的な社会の在り方まで踏み込んだ議論をしなければならない。経済競争に負けたら不幸になるのか、そもそも負けるとはどういうことか、思い込みはあるが、議論がない。別に経済競争に負けたから不幸になるわけではなく、負けるとは仕事を優先させる滅私奉公の思想から出てくるもの。暮らしを優先させれば、今までと違うやり方が見えてくる。諸外国に学ぶこともできる。その上で我々が選択する新しい社会では原発は必要か。(2012年7月15日)

楽農報告

ぎっくり腰になって2週間になるが、まだ腰に不安を感じる。とはいえ日曜ファーマーでは畑作業を進めないと先になって困るので、何とかできることを進める。この時期収穫は順調。キュウリ、トマト、シシトウ、韓国トウガラシ、ナス、ニンジン、インゲン、ブロッコリ、ジャガイモを収穫。そして草取り、追肥、土作り、台風でやられた作物の修復。トマトとナスにホルモン剤を噴射。これで元気になるだろうか。昨日は山木屋で調査中に、お世話になっている源勝さんが駆けつけてくれた。山木屋ではなんとか農の営みを復活させようとしている。自分はなんて幸せだろうと思いながら、土に向かう。(2012年7月1日)。


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