口は禍の門

さて、2012年も半分が終わってしまった。研究者としての自分の仕事の中で福島は大きな割合を占めてきたが、福島における文明の災禍はまだ人の暮らしを奪ったまま。福島に通っていると感じるのは人の“世界”の重なりが小さくなっていること。この“世界”を広げることが大学の役割ではないか。問題の解決としては迂遠であるが、よりよい“社会”を構築するために必要なことがそこにある。(2012年6月30日)

4月に入り、2012年度が始まった。この一年間で多くの事柄が変わった...と思うのだが、どうも変わらない部分もたくさん見えてきた。それは人の世界が交わらないので、現場にある様々な苦労も現場以外の方々にとっては劇場型となり、多忙な日常の中に埋もれてしまうから。今まではずっとこういう調子で世の中が流れてきたのだろう。しかし、これからはそうはいくまい。このままではいけないと強く思うが、個人の力は弱く、小さい。これからは、いや、これからもだが、人の輪が大切なのだと思う。当たり前だが。(2012年4月1日)

2012年が始まった。今年は課題が山積。まずは過去の慣性から脱すること。そして人を地域を良くすることを考える。そうすれば日本が良くなり、世界が良くなる。競争して勝たないと不幸になるわけではない。お金がなければ不幸になるわけではない。これが堂々と主張できる社会を地域からまず作り上げて行きたいと思う。(2012年1月1日)

2011年12月までの書き込み


合理的な関係

しばらく休んでしまいましたが、6月も終わりなのでページ替えをせねばなりません。今日はあるすばらしい計画のために山木屋に行ってきました。さわやかな風のもと、木々の緑も濃く、申し分のないアトマスフェアではあるのですが、ここでは暮らしは止まったまま。何ともやるせない。少し頭が痛いのは昨晩飲み過ぎたから。すごいことがあった。いきなり、お前は馬鹿だ、と。実は何で馬鹿といわれたのか記憶は全くないのですが、馬鹿で結構と応戦。人を馬鹿と言っちゃいけませんから。想像するにこういうことかも知れません。私は科学者や技術者はその専門性に揺るぎのない自信が必要だと思うが、人の暮らし、生き方に関わる“問題”に対峙したときは徹底的な謙虚さが必要だと思う(理由はそこここに書いてあります)。相手は技術者であるとともに経営者だからこの点が気にさわったのかも知れません。他に失礼なことを言ったのかも知れませんが、まあ、わかりません。それにしても人を馬鹿といってはいけません。喧嘩にはならなくても、その後の関係は合理的な大人の関係にしかならないから。でも、それは双方大人としてやるべきことをやるということですので、それでもかまわないということにもなります。こいつは情緒的な人間だなと思って、わざと言ったのかも知れませんが、一定の責任が生まれたのも確か。この計画がうまくいったときが楽しみです。(2012年6月30日)。

近代文明人たりえるか

経産省は発送電分離を2014年以降に進める方針を固めたそうだ。もし発送電分離が実現したら新規発電業者が参入しやすくなり、消費者にとって選択肢が増え、自然エネルギーを自らの意思で選択できることになるかもしれない。良いことには違いない。電力業界は競争社会に入り、原子力発電はその高コスト体質から競争力を失うだろう。しかし、電力の安定供給はどうか。昨今、マスコミによって総括原価方式が批判されているが、電力の安定供給に役立っていることも確か。けっして高い燃料を海外から買っているわけではないらしい。長期契約で燃料を入手するためにスポット価格より高くなることもあるという。近い将来発送電分離が叶ったら電力の安定供給は国民が責任を持たなければならない。自らの文明を支える技術、資源については基本となる知識を持ち、持続可能性について責任を負うのが近代文明人である。原子力災害を巡るごたごたは我々が近代文明人としてのリテラシーを持っていないことを明らかにしてしまった。近代文明人として自然エネルギーを活かす道は確実にあるが、近代文明人として緊張のシステム、すなわち原発を維持するという選択肢もある。その場合は受益者としての近代文明人が緊張のシステムのもとで運営する覚悟が必要である。けっしてリスクを地方に押しつけてはいけない。(2012年5月30日)

日本の抱える深刻な問題−科学者の“世界”が狭いこと−

今日は日本地球惑星科学連合大会「放射能環境汚染と地球科学」セッションで「福島県、阿武隈山地における放射性物質の空間分布の特徴」と題して話してきました。地理学では“分布”を明らかにし、それがランダムでなければ何らかのメカニズムがあると考えます。広域の空間線量率の分布から推定できることについて述べましたが、セシウムの移動について研究者間で十分なコンセンサスができていないことがわかりました。質問者はセシウムは動いているのだから3月のフォールアウトの状況が8月まで保存されないと。雨樋の下が高い、といったホットスポットの形成からセシウムが動いていることは確かなのですが、流域スケールでは空間線量率の分布は沈着時の特徴を残していると考えられます。セシウムの移行についてはこの1年の調査結果でも明らかにされつつありますし、チェルノブイリの経験もあります。ミクロにみると動いていても、マクロな視点では空間線量率の分布が大きく変わるほどには動いていない。フィールドにおける現象を理解するには、現象と時間・空間スケールとの関係を理解することが重要です。しかし、昨今の科学者(ニュートン・デカルトタイプとでもいいましょうか)は現場で起きている現象を演繹的に捉える習慣が身についてしまっているようです。都会しか知らない科学者は、山地斜面で起きている現象を想像することはもはや不可能なのだろうか。自分の“世界”の範囲しか見えない。その結果、自分が正しいから、お前は間違っているという論理になる。科学者の“世界”が狭くなっていることは日本にとって危機的な状況なのではないか。同じことが政治家にもいえる。福島を広がりのある、地域性を持った空間として捉えることができなくなっている。狭い世界で生きようとすると、自分の行為に対して正当化バイアスがかかるばかり。真実は見えなくなる。これが日本の抱える最大級の問題だと思う。(2012年5月24日)

ふたつの社会

しばらく書き込みをサボってしまったが、この間にいろいろなことがあった。今日から日本地球惑星科学連合大会が始まり、初日のセッション「東日本大震災からの復興に向けて−地球惑星科学と社会との関わりを考える−」に参加してきた。実はコンビーナ−でもあったのだが、提案が統合された段階でお任せになっていたセッションでした。さて、社会との関わりという点では十分に議論を深めることはできなかったと思うのだが、自分なりに考えてみたい。科学者にとって役割を果たすべき社会とは何か。大きく二つある。ひとつは世界の中の日本という関係性の中で役割を果たすという立場における社会。国際社会といっても良い。震災に関する科学的な記述を世界に向けて発信していくことが国際社会における科学者の役割である。一方、地域に対する科学の役割もある。地域における暮らしを見つめ、地域のコミュニティーの中で地域を良くするという目的の達成を共有して、科学の成果に基づき役割を果たす。どちらの立場も重要であり、二つの社会を行き来する精神的態度を持つことが大切なのだと思うが、都市生活者が多い科学者にはそれができなくなっているという懸念も感じる。これが問題なのではないだろうか。都市を中心に成立してきた近代文明社会のひとつの到達点であり、これこそが解決すべき最も重要な課題なのではないだろうか。これは科学者だけの問題ではない。一般大衆の科学リテラシーの不足に対する言及もあったが、科学リテラシーを最も必要とするのは近代文明社会。地域社会では科学リテラシーというよりも、経験知、生活知が大切なのかも知れない。いずれにせよ、二つの社会(オレ流の“世界”と言い換えても良い)を行き来できる精神的習慣を持つことが新しい時代を乗り越えるために必要なことではないか。(2012年5月20日)

楽農報告

恐らく連休は忙しくなるので、少し早いがピーマン、ナス、トマト、キュウリを植えておかねばならぬ。苗を買ってきて植え終わった頃、雨が降り出した。何とか間に合ってよかった。シシトウを忘れているが、連休明けに苗を買ってくることにする。苗だけで4000円を超えてしまったが、何とか元はとりたいと思う。これからが勝負。ジャガイモは順調に芽を伸ばしている。アピオス、自然薯、里芋はまだ目覚めていないが、じっくり待つことにする。小松菜は発芽が早い。ホウレンソウも芽が出てきたところ。(2012年4月22日)

直売所にて

今日は学生と富里まで水文調査に出かけた。谷津ではウサギを三羽、キジを一羽見かけた。谷津の中は世間から隔絶した世界のよう。今年の稲作も少しずつ始まっている。早めに終わったので直売所に寄ることにする。まず「スマイルやちまた」。ここではカブとギボウシを購入。どちらも100数十円。ギボウシはお浸しで食べるとおいしいと聞く。次に、弥富の直売所。里芋とカラシナの漬け物を購入。どちらも100円ちょっと。スーパーの野菜の値段はよくわからないのだが安いに違いない。ギボウシは苦みと粘りがあり、とてもおいしい発見であった。(2012年4月21日)

元気を取り戻す

毎日少しずつ古い資料を整理してだんだん身軽になってきた。作業机の上にスペースが復活したのはすごい。今日は2000年にHydroMLにコメントを投げかけたときのメールのコピーが出てきた。日付を見ると2000年5月。私はまだアラフォーで、元気一杯の頃だった。半乾燥地の農業に取り組んで数年、先年には新疆にも行き、乾燥・半乾燥地域における人と自然の関係に関する理解が深まっていた時期の、物理学者の単純なストーリー展開に対するコメントです。とても良い議論だったと思いますが、学際科学である水文学分野の異分野融合の推進に貢献できただろうか。最近はこういう議論の雰囲気が失われているように感じる。同時に私も元気がなくなってきている。この12年間にあったことをふりかえると、さもありなんという気もする。新自由主義の小泉改革、大学法人化、競争社会の激化、を通じて社会全体の元気が削がれたのではないか。個人的にもいろいろ考えることがあり、人生の方向性が変わった10年であったと思う。はよ断捨離を終えて元気になろうと思う。(2012年4月20日)

3.11からの復旧

一年と38日の間、天井がない状況で仕事をしていたが、本日復旧しました。つり下げのエアコン、換気扇の揺れ止めを設置し、石膏ボードをはめ込んで以前の状態に戻りました。ただし、昨今議論の対象となっている内装部材の落下問題が解決されたわけではないと思います。軽くて丈夫な不燃材が理想ですが、現実を眼前にして以前の状況に戻っただけというのは致し方ないかなと感じています。現実というのはそれだけ重い。(2012年4月18日)

大学の役割 「まだ見えぬもの」を考える

これも朝日夕刊「時事小言」から。国際政治学者だという藤原さんの評論。東日本大震災では、大学は「考える」という本来の役割を果たしていないことが明らかになってしまったという。これは立教大の吉岡総長の話からの引用であるが、吉岡氏は「ある時期から、もはや大学には『考える』という役割が期待されなくなったのではないか』とも述べているそうだ。藤原さんはこの言葉がしっくりくると書いているが、私もそんな気がする。「眼前の現実を知ることなしに、『べき論』を展開しても意味はない」と藤原さん。私流にいうと、今そこにある問題を直視することなく未来を語っても意味はない。「『考える』という営みは既存の社会が認める価値の前提や枠組み自体を疑うという点において、本質的に反時代的・反社会的な行為」という吉岡氏の言から、「まだ見えぬもの」を考えるのが大学の役割、とつながる。マイナーであろうと、主張していくことが大切だなと思う。失った信頼を取り戻すには「根拠のない夢をふりまくこと」ではだめ。この下りはサイエンティストに対する痛烈な批判ではないか。真理の探究は尊い行為なのであるから、国民は予算を付けるべきである、という主張を再検討しなければならない。サイエンティストよ、目を覚ませ。もちろん、「まだ見えぬもの」のイメージを明確にして社会に挑んでいる大学人もたくさんいることを付記しておきたい。(2012年4月17日)

グローバルというひとつの思想

朝日夕刊の文芸批評で、北大の橋本さんが「世界の99%への想像力」と題して寄稿している。「私たちは99%である」と称してウォール街を占拠したアメリカの社会運動は衆目を集めるところとなったが、1%の富者とは誰か、と問うている。アメリカのフルタイム労働者の平均年収はすでに世界の富者の1%以内に入るそうだ。問題を世界大に考えると、一国レベルの平等主義はともすれば単なる集団エゴイズムに終わりかねないという。もっともらしく聞こえるが、“世界はひとつ”というグローバル思想から抜け出せていないのではないか。世界は一つではない。たくさんの“世界”から成り立っているのが地球社会である。アメリカの幸福と、途上国の幸福は異なる。絶対値で判断しようとするとブータンの99%の幸せが不幸とされてしまう。アメリカ人の99%が途上国の人々よりお金を持っていたとしても、不平等と感じる。このことは受け入れなければならない。地域性を尊重し、地域ごとに考えるという観点が大切だと思う。(2012年4月17日)

電力と都市

海洋エネルギーには大きな潜在力がある。朝日の科学欄で波、潮、海流に潜む力は原発50基分との解説あり。こういう夢は大いに語りたい。しかし、送電方法に課題があるという。地域で作った電気を本州に運ぶのが難しく、発電した地域で使 うしかないとのことであるが、それで良いではないか。これからの地方はエネルギーを自給する。朝日の科学担当記者でさえ都会中心の世界観から抜け出せていないのか。今こそ都市と地方の関係を見直す好機である。都市のために発電するのではない。地方で電力が余ったら都市に送れば良い。都市も電力の自給を考えなければならない。緊張のシステムとして都市を運営するのであれば、都市の中に:原発があっても良い。文明人が監視を行いながら、エネルギーを生み出せば良い。都市を中心に発達してきた文明社会を電力の観点から見直してみたらいかがだろうか。そして、疲れたら地方へ移れば良い。地方は食糧だって自給できる。(2012年4月16日)

現実と思いこみ

「年越し派遣村」村長だった湯浅さん。内閣府参与を辞めたときに書いたブログが社会運動仲間から批判を浴びているそうな(朝日朝刊より)。官僚に 取り込まれたか、と。しかし、湯浅氏が出会ったのは圧倒的なリアリティーであった。求めていた貧困対策が財政問題の現実の前で何ともならないと気が付いたと綴っているとのこと。政策調整の現場は真っ当であり、官僚も普通の人間だったとの記述も、それが現実なのだと思う。今 日本で起きている様々なコンフリクトや、足の引っ張り合いは現実と思いこみのギャップが原因にある。人の意識する“世界”がどんどん狭くなっていることを象徴している。もう少し広い世界を持ち、いろいろな世界を行き来できる精神的態度を持つことができれば、折り合いを付けることができる。それが成熟した大人だと思うのだが。(2012 年4月15日)

楽農報告

今日はがんばった。来週、キュウリ、なす、ピーマン、シシトウを植え付けなければ、もうしばらく休みはない。連休はフィールドを予定しているから。結構広い面積を三本鍬で耕し、土作り。身体がガタガタになった。小松菜も薹が立ってきたので今日が最後の収穫。少し残して花を愛でることにする。葉菜は大好きなので新たに小松菜とホウレンソウの種まき。インゲンも蒔いた。しばらく収穫が途切れるが、今後の課題は連続収穫。楽農しながら、計画的にやらねば。いつのまにか年寄りが三人集まってきて井戸端会議を始める。元気で何より。どこそこの誰かさんがもう身体がだめだ、なんて話をしているが、畑でもやっていればずっと長生きできそうな気がする。(2012年4月15日)

ひとの考え方はいつ形成されるのか

引き続き断捨離を進めていますが、今度はヒアリングの校正原稿なるものが出てきました。どこからのヒアリングかは忘れてしまいましたが、筑波大学講師となっていますから、1993年から1995年の間に行われたものです。20年近く前のものですが、基本的な考え方は変わってなく、むしろ強化されている。それは20代〜30代の時期に見聞きしたものによって形成されたと考えて良いと思います。学生に何を体験させるか、が決定的に大事であるということだと思う。気になることは、若い時期に真理の探究の崇高さをたたき込まれた研究者は、いつまで経ってもそう思い続けること。研究者としてポジションを得れば良いのだが、そうでなければ一生苦しみ続けることになるのではないか。一方、私の場合は、“サイエンス” をことさら強調する現在のポジションになんとなく居心地の悪さを感じ始めている。私は環境学者だと思うので。自分の意思とポジションが完全マッチングするなんてことは難しいので、主張し続けることが大切なんだと思っています。私の考えを学んだ学生は、それによってプロモートするレールはないのですが、時代に合った、あるいは時代の先を見通した思想を持つことができると思います。ただし、社会が時代の変化を十分把握できていない点が問題。社会を作って行かなければならないのだなと思う。(2012年4月4日)

データベースはなぜ重要か

本棚を更新してから断捨離を進め、毎日少しずつたまった資料等を捨てるようにしているが、思い出の詰まった資料もたくさん出てくる。2000年3月30日に開催された水文・水資源学会研究討論会「水文データを巡る諸事情と研究者の役割」で発表した三枚のOHPシートは実に感慨深い。研究会の様子は忘れてしまったが、OHPに書かれていることは現在ではさらに重要性を増している。しかし依然達成されていない課題でもある。なぜデータベースが重要か。まず「実学の立場から」と題して話が進んでいくが、ある学術雑誌(恐らく「応用地質」)の巻頭言からの引用がある。そこでは科学技術を二つに分類している。@理論的であり消費的な科学、A経験的で生産的な技術。真理の探究に価値を見いだす科学と、問題の解決を目指す科学(技術)の立場を明らかにしている。どちらも重要であり、双方を意識することが大切であり、私は問題解決を目指す立場からAに軸足を置いている。“現場”における問題解決には地域の個性の理解や、そこに関わってきた個人の経験が必要であるが、それらを共有しあえる高次の情報、あうなわち知識、知恵にまで高めるのがデータベースである。これが多様性を持つ現場に対峙する基本的態度であるが、福島で起こっていることを見ていると@の立場で問題を解こうとしている様子がありありと伝わってくる。それでは地域が取り残されるだけ。次に「野外科学の立場から」と題して説明しているが、森林水文学を例として、現場における現象のメカニズムの解明、概念の提案の段階を経て、多様性・スケール問題に直面した森林水文学は比較水文学へ進まねばならず、その過程で必要となるのがデータベースであると述べている。この考え方は今でも変わっておらず、さらに強化されている。しかし、研究者人生最終コーナーに入った今も達成はほど遠いと感じる。OHPの三枚目にはデータ公開を阻むものと題して三点述べられている。それは@評価の方法の不備、A(データに)価値を見いだすこと、ここは研究者の総合力不足を指摘したのだと思う、B演出の不足、すなわち優れたデータ、研究は演出によって世に出る、ということ。我ながらしっかり考えていたものだと自分を褒めたい。現時点では@は当時より後退しているように感じる。未だ真理の探究、普遍性探求に価値を置く研究者が多い(私がそういう分野にいるのだともいえる)。その結果、Aはさらに後退している。研究者の総合力が失われ、分野ごとの村に安住する研究者が増えてきた。Bは私の役割かとも思うが、そんな情熱はすでにない。自分が関係性を持てる地域に取り組む。それで良いのだと思う。人生だなと思う。(2012年4月3日)

忘却はしばらくおあずけ

河北新報縮刷版の「3・11東日本大震災一ヵ月の記録」を購入。あのひと月をふりかえる。改めて当時の緊張感が戻ってきた。忘却が進むのは人が生きていくために必要な本能でもあるが、為すべきことが為されていない間は忘れてはいかんと思う。今日がエイプリルフールというのは忘れていたが、何も企画できなくて残念でした。(2012年4月1日)

楽農報告

父から畑を受け継いだ当初からアスパラガスを植えていた区画から今年はとうとう芽が出てこなかった。そこで、アピオスを植えることにして耕していたところ、小さな骨が出てきた。うちは昔チワワのブリーダーをやっていたので、近藤家を支えてくれたチワワのひとりに違いない。改葬し、母がお経をあげた。20年以上経ち、小さな身体は分解し、土に還ったが、その原子は永遠の循環に参加していった。小さな骨が近藤家の歴史を主張しているように思える。犬が大好きだった親父は新橋の生まれで、戦後の開拓農家として習志野に入植した。習志野における歴史は私でまだ二代であるが、土地に対する愛着はある。それは土地の歴史に対する愛着といえるだろう。この一年、福島に関わってきたが、その原動力の一つにひとの土地に対する思いがある。阿武隈の地が失われてはいけない。しかし、山村は元々移住社会であったという考え方もある。それが分村という考え方を支える思想的根拠にもなっている。私は移住はやむにやまれぬ事情が背景にあるからで、ひとは生まれ育った土地を離れたくないに決まっていると思う。そう簡単に放射能汚染を“やむにやまれぬ事情”にしてしまってはいけないのではないかと思う。十分な議論や試行を経た上で、地域の方々が決めれば良い。 (2012年4月1日)

道の駅を楽しむ

近藤家では家族全員が集まる機会も少なくなってきましたが、今日の日曜は息子が帰省しているので家族で久しぶりのドライブに出かけてきました。春の房総を見ることにして、まずは市原インターを下り、道の駅“あずの里市原”を訪問。安須は昔流量観測地点があり、先日亡くなった菅原正己先生がタイガー計算機で養老川の流出解析を行ったところ。道の駅では木更津の海苔生産者の出店があり、網についたままの海苔が試食できた。その磯の香りの何とも香ばしいこと。早速購入。そのほか、千葉の地酒、野菜、菓子を買い込む。春の里山の風景もすばらしかったが、千葉の物産を味わうことのなんと楽しいこと。お店の人も気軽に話しかけてくれ、そうすると商品に物語が生まれ、ますますおいしくなってくる。かみさんも結構楽しんだようで、道の駅ファンになったようだ。ドライブの行き先は養老川と夷隅川の流域で、数十年前に調査した地域。走りながら、このお宅の庭には立派な自噴井があるとか、この小屋は近所のお年寄りの茶飲み場、なんて解説を入れる。桃源郷のような山村であるが、この平和がいつまでも続きますよう。(2012年3月25日)

場所と人

飯舘村後方支援チームの報告会に出かけてきた。日大の飯舘村後方支援チームおよび“負げねど飯舘”、は分村を視野に入れた活動を行っている。それは飯舘村の汚染の程度がひどいという厳然たる事実がある。帰還が困難であるという考えを持たざるを得ない方々の話を聞くことで、この災害の現状をさらに“我がこと化”することができたと思うが、また自分が(狭義の)“サイエンティスト”からは離れてしまったかなとも思う。放射能汚染に対する対策は希望を語るだけではだめで、帰還、あるいは生活基盤の再建まで、それは時期を予想できないのだが、それまでにやるべきことを包括的に考えなければならないことはわかっているつもり。飯舘村後方支援チームと千葉大の山木屋後方支援チームの考え方には違いもあるが、最終目的は同じなのだから何とか連携できないだろうか。山木屋は飯舘村よりは線量は低く(それでも高いことには変わりないが)、多くの方々は同じ町内に避難している。地域ごとの事情の違いは受け入れざるを得ず、福島のすべての被災された方々が同じ過程で暮らしを取り戻すことはできない。厳しい現実である。報告会では昨年お世話になった菅野さんのお話も聞くことができた。そこで、おやっと思ったことがある。私は土地(菅野さんは“場所”と言われた)と人の結びつきを基盤として、山村の地域コミュニティーの力が生み出されるのだと思っていた。しかし、菅野さんは“人”であるという。もちろん、土地に希望が持てなくなった現実がすでにあるのだから、当然かもしれない。昨日、国は飯舘村に対して地域を三分することを通告した。すでに飯舘村民は複数の仮設住宅、借り上げ住宅に分散させられており、地域コミュニティーが弱まっているところに国のさらなる線引きがあった。残された拠り所である“人のつながり”がまた断ち切られた。その心情は察して余りある。山木屋では土地に対する思い、希望が失われていない。土地、阿武隈の里山、に対する思いは私たちも共有することができる。土地を通じて地域コミュニティーが成り立ち、土地を通じて外部から来た私たちも思いを共有することができるのではないか。福島に通い始めてようやく一年であるが、土地への思いを通じて地域の人とのつながりを深めていきたいと思う。こんな私の考え方は情緒的と言われるかも知れない。しかし、飯舘村後方支援チームの糸長先生もICEA、すなわちImagination、 Creation、 Emotion、 Actionが大事と述べておられた。私の思いが単なるEmotionであるか、それを確認するためにも雪が解けたらまた活動を始めたいと思う。 (2012年3月24日)

続楽農報告

春は畑が忙しい。ジャガイモの種芋を買いすぎており、余っているメイクイーンとキタアカリを植える。ゴボウにも挑戦。自然薯の種芋を買って三本ほど植える。犬洗いを完了させた後、ホウレンソウと小松菜を収穫。畑は小さくても結構収穫はある。小農がたくさんいれば、お裾分けで結構食糧は足りるものだ。群馬県上野村に通う哲学者の内山節が書いていた。なぜ山村で自給ができるか。それはお裾分けにある。畑は狭くとも、それぞれ少しずつ異なる作物を栽培しており、少し余計に採れた分をお裾分けすることにより自給が達成できるということ。そんなことを考えながら自分が耕した畑を見ていると心が和む。さて、ここまでで午後も半分終了、部屋に戻る。「怒りの葡萄」上巻を読み終わる。苦難を乗り越えてカリフォルニアに着いたが、さらなる苦難が待ち受けていることを予感させて下巻へ続く。時は1930年代だと思うが、産業としての農業に小農が駆逐されていく過程が描かれている。経営者としての大農と土との関係性が失われていく過程が小説に描かれているが、その大農の末裔がTPPの先方に立つアメリカの農家だろうか。受けて立つのは日本の小農。価格では勝負にならないが、農と地域との関係性はアメリカの大農よりも日本の小農の方が深いのではないか。金に換算できない価値は失われてはいけない。農の価値を“見える化”することが研究の目的のひとつだと思っている。(2012年3月20日)

楽農報告

春ダイコンとニンジンの種を蒔く。猫対策に寒冷紗をかける。ほうれん草と小松菜を収穫。形が悪いのでかみさんの手間は大変なのだが、おひたし、ごま和えはうまい。先週苗を植えたブロッコリは葉が鳥に食われてしまっている。何とかがんばって復活してほしい。午後は雨が降ってしまったので残りの作業は春分の日に延期。(2012年3月18日)

18歳からの「災害学」の提案

18歳の高校生、正太郎君、君はすごいな。「これからは原子の他、津波などに関する『波』分野や地震などを学ぶ地学、地理学、社会学も織り交ぜた『災害学』として学べないでしょうか」(朝日声欄若い世代より)。地理学、社会学が入っているところがまたすごいよ。人々の恐怖感は放射線の正体が正しく把握できていないために生まれるのだと気づき、教育が有効だと考えた。その通り。科学者は研究が進めば社会に役立つと単純に考える。その“世界”は社会ではなく、学界や科学行政の枠から出ることはあまりなかった。一方、社会には科学に対する過信があるから、科学者の発言が必要以上に取り上げられて混乱を生んだ。研究は基本的に科学者の道楽。その成果には文化としての価値を認めてやればよい。現実の問題に対峙するときは協働が基本。君の考えるように、様々な分野の専門家が知識、経験を“問題の解決を共有”する枠組みの中で協働することでしか問題の理解、解決はできない。このことに一番気がついていないのは科学者自身かも知れない。(2012年3月17日)

東北のがれきを巡る主張の背後には

今日の朝日朝刊の耕論のテーマは“がれき拒む社会”。神奈川県知事の黒岩さんは「それでも私は受け入れる」、神戸大教授の山内さんは「西日本に運ぶのは間違い」、文芸評論家の加藤さんは「政治不信が生む自己防衛」とタイトルがつく。黒岩さんは、こう言う。「震災がれきの処理は、国難を乗り越え、東北が再生するために避けては通れない課題であり、国民全体で力を合わせて、対応していく必要がある」。対話を重ねることにより、当初92%だった反対が今では28%となり、賛成55%と逆転した。一方、神戸大教授の山内さんは被曝する人を一人でも減らし、汚染されていない土地を残すことが重要だとしてがれき受け入れ反対。黒岩さんが依って立つところは倫理であり、被曝の危険性はないと考える。山内さんは被曝の危険性を重視する(“科学的な”根拠を示しているわけではないが)。低線量被曝に対する考え方が異なり、議論はかみ合わない。この点を突くのが加藤さん。「科学に基づいた政治が機能するかどうか」が問題解決のカギである。その通りだと思うが、「科学的な実証実験を改めて行い、安全基準への信頼を回復する」ことは難しいのではないか。疫学調査をこれから数十年にわたって実施すれば結果は出るかも知れないが、それでは人の暮らしを回復するには遅すぎる。科学の手法に対する不理解が根底にあり、過度なまでの信頼と否定が錯綜するおかしな状況になっている。考えなければならないのはこの文明社会のあり方ではないか。我々はどんな社会を目指しているのか。主張する方々の視野には何が見えているのか。都会、地方、すべて見えているのか。日本全体を俯瞰し、文明のあり方を再考しながら復興の手段を考える、こんな考え方が出てこないのはなぜだろう。それぞれの主張の背後には、文明に対する考え方が見えるのだが。黒岩さんは近代科学による緊張のシステムとして文明社会を維持していこうとする立場と捉えることができる。山内さんは新しい社会を念頭に置いているはず(そうでなければ“文明社会の野蛮人”に過ぎなくなる)。加藤さんの主張する「科学に基づいた政治」はどんな社会を描いているのか不明であるが、科学と社会の関係が問われていることは確かである。(2012年3月16日)

土の香りの音楽

県庁近くで会議があるときには必ずパルコの島村楽器に寄り、いろいろ物色します。先日の健全化会議市町村“みためし”の後は、打田十紀夫のRAGTIME GUITARを手に入れました(教則本です)。というわけで今はラグタイムに凝っているのですが、まずフォーク・ラグから挑戦しています。Jesse JamesやVictory Ragあたりが気に入って毎晩弾いていますが、土の香りがする懐かしい曲です。懐かしいというのは、中学生の頃にあこがれた武蔵野のフォークソング、今は亡き高田渡翁や仲間の方々の音楽のルーツの一つでもあるから。土の香りというのはアメリカの小農のハードタイムを彷彿とさせるから。今になってスタインベックの「怒りの葡萄」を読んでいますが、オクラホマを出発し、カリフォルニアに向かったところ。途中で祖父は死んでしまったが、魂は故郷に置いてきたからだろう。そこには土地を愛する小農の姿が描かれているのだが、19世紀のトクヴィルの言うところの土地に愛着を持たない経済人としてのアメリカの農民とはやはり違うような気がする。アメリカでも小農主義の動きが活発になってきているそうだから、産業としての農業と、生業としての農業は区別しないとあかんなと思う。「怒りの葡萄」の話は何となく福島で避難を強いられている農家の方々と重なってしまう。起きてしまったことは受け入れざるを得ないのだから、前向きに立ち向かって行きたいが、元気を付けるために土の香りのする音楽はいかがだろうか。川俣町はフォルクローレの町でもあるのですが、山木屋はカントリー、ブルーグラス、ラグタイムといった土の香りのする音楽で元気を付けるというのはいかがだろうか。60年代が青春だった方々も多いので、武蔵野フォークも知っているかも知れない。ひょっとするかもしれませんので、今度聞いてみようと思う。(2012年3月14日)

一年目の思案

東北太平洋沖地震から一年目の今日は日曜日となり、自宅で畑作業をやりながら過ごした。あの時は、その後の一年の過ごし方がこんなに変わるとは思わなかった。福島に関係性を見つけ、がむしゃらに通い続けてきたが、そろそろ立ち止まって進むべき方向を再確認しなければならんなと思う。夕方、書店に行き、小澤祥司さんの「飯舘村」を購入。昨年7月の飯舘村調査でご一緒させて頂いた。彼らのグループは分村を主張しているが、我々は除染、そして帰還を念頭に置いている。確かに除染は困難であり、飯舘村で分村を主張する理由は明解であり、なんら反駁の余地はない。しかし、川俣町山木屋地区は事情が異なる。我々にとってありがたいことは、除染、帰還の目的の達成を地域の方々と共有できている。山木屋には汚染がそれほどひどくない地域もある。それでも、地域コミュニティーを重視して、地域で避難した。壊してはならない地域のコミュニティーがそこにある。ここからは情緒的と言われても仕方ないが、命より大切なもの、それは土地だと思う。土地を取り戻すための闘いを続けていくことが生きることではないか。分村、帰還、どちらも正しい。地域が決めて、皆が支援する。究極の選択を地域に課すような愚策だけは避けなければならない。明日は原発爆発から一年目。(2012年3月11日)

点から面へ−流域総体としての活動へ

今日の午後は印旛沼流域水循環健全化会議の「市町村みためし報告会」があった。流域市町が「みためし」として行っている活動(清掃活動、環境教育、浄化施設の普及、など)を報告し合い、今後の方針を議論するという報告会。これからの課題は、点で行っている様々な活動を、どのように印旛沼流域全体に拡大し、目的、すなわち健全な水循環系の復元と地域の活性化、の達成を図るかという点。様々なセクターの方々が一同に会して議論を行うという実にすばらしい場なのであるが、いろいろな壁も見えてくる。それは社会学的観点からは重要な課題でもあるのだが、その前ですくむことも多い。我々が最優先と考えることも、日常の業務の中では雑用に過ぎない場合もある。一緒に行動しなければならない地域の中では、関係性を内包する「流域」という概念さえも十分共有されていない。少しずつ進んでいかなければならないが、「地図」を通して地域を見るという習慣をひとが持つことが大切だと考えている。そのための様々な主題図を作成し、それを普及させたい。そして、人々と交流することが大切であるが、これは私の苦手とする:領域。少しずつでも良いから地域の専門家になり、目的の達成を地域と共有できるようになりたいと思う。(2012年3月9日)

サイエンスとは

ある人材を探す会合で、また聞いてしまった。環境や震災対応に関する仕事に対して、それはサイエンスとは違うと。理学とは社会との関わりを超越したところにある学問なのだろうか。そんな狭いサイエンスが世界のコンセンサスとは異なることは明らかなのだが、問題はそんな考え方でサイエンスを未来へ継承することができるのか、という点。理学を担う人材を探すという過程では、まず社会を俯瞰し、社会の現状、社会の要請を理解した上で未来を見据えることが大事だと私は思う。すなわち、サイエンスに対する外的要請を重視するのが私の立場。一方、サイエンスの内的要請を重視する立場も当然あって良いとは思う。昨日の東大人は内的要請重視、京大人は外的要請を意識しているといえるだろう。内的要請を重視する立場でも、外部に要請を出さざるを得ない、すなわち申請して予算を獲得しなければならないのだが、その説明がこれからのサイエンティストの課題になるだろう。社会が賢くなれば、サイエンティストの道楽も難しくなってくる。現在はどういう時代か、見極めなければサイエンティストの未来は危うい。(2012年3月9日)

東と西−地震学の役割

重要な課題に対して東大と京大の識者の意見を併記する記事は時々あるが、今回は地震学(朝日朝刊より)。東大の平田さんは「地震学への社会の期待は予測して防災に役立てること」という。観測網整備にお金がかかるが、観測網で得られるデータは防災にも役立つと。ただし、どう役立てるかについては具体的な考えは提示されていない。京大の橋本さんは「観測網を整備すれば研究の発展につながることは間違いないが、本当に防災に役立つ部分がどれだけか、社会に応用するには何が必要か、別の視点で見る必要がある」。そして、「法律や政治システム、災害の歴史などについて理学部でも学ぶべきだ」と。サイエンティストが“問題”に対して言及するならば、社会学の素養が必要。私自身は橋本さんの考え方に全く同感であるが、この二つの考え方は歴史的に培われてきた東西の考え方の違いを良く反映していると思う。東大人の考え方は日本の近代化に貢献したヨーロッパ思想、ニュートン・デカルト的な自然観に依拠しており、京大人はそれを遠目に眺めながら世界全体を俯瞰して問題の解決に迫る態度を持っているように感じる。東日本大震災を経験した現在、これからの日本がどちらの立場に立つか。それは自明なように思うのだが。(2012年3月8日)

百姓協同組合

「農協 非農家数が上回る」という記事が朝日夕刊一面トップにあった。農協は正組合員が農業者、准組合員はJA貯金や共催を中心に利用する会員で、その数が2009年に逆転していたということ。農協の目的は、「農業生産力の増進」と「農業者の経済的社会的地位の向上を図る」ということだそうだが、確かに時代に合わなくなってきている。この際、百姓協同組合として、地域の振興を目的とする、としたらどうだろうか。専業、兼業農家そして地域に暮らす人々全員の幸福の増進を目的とした組合とする。地域で生きるということの一つのあり方が百姓にあると思う。土地、家、農具を持ち、百の技能を持ち、田畑を耕しながらも兼業で現金収入の道もある。食糧、エネルギーを自給すると同時に、都会へ、それらの一部を供給する。こんな社会を構築できないだろうか。もちろん、都会ではグローバル競争社会の戦士として生きる道があって良い。二つの世界を行き来できる社会が幸福社会のひとつのあり方ではないかと思う。(2012年3月6日)

春のにおい

今日は啓蟄なのだが、外は冷たい雨。まだ冬やんか、と人は思うかも知れない。しかし、犬はどうだろうか。少しでも日差しが出れば、地面の近傍はぽかぽか(ひとは気がつかないが)。黒丸(うちの柴わんこです))の背中もぽかぽかになる。その視野にすでにたくさんの春を捉えているに違いない。ぼけのつぼみもふくらんでいる。犬川柳に「春のにおい/興味ないです/犬だから」というのがあったが、そんなことないと思うよ。(2012年3月5日)

楽農報告

今日はジャガイモを植える。メイクイーンを二畝。昨年は2月27日に男爵を植えているが、今年は一週間遅れ。男爵は豊作だったが、楽農ではなく、きちんと植えたからかも。そこで、今年も30cm深の溝に堆肥を敷き、その上に種芋を並べた。ついでに、空豆とエンドウの苗を買ってきて、植え付ける。スティックセニョールも少し。最後に、春の作付けのために、空いている土地に堆肥を入れ、耕す。春が近づいてきているが、これで一安心。腰が痛いが、これからの作付け計画を想うと和む。こんな暮らしを奪われてしまった人たちもいる。(2012年3月4日)

目的のはき違え

大阪市の橋下市長の教育改革は教育をサービスととらえ、競争と評価を取り入れることにより学力低下に歯止めを掛ける構想という。アメリカでは前ブッシュ政権による「落ちこぼれゼロ法」により、大阪市と似た施策が進んでいるが、成果が上がっていないという(朝日朝刊から)。然もありなんと思うが、それは目的をはき違えているからではないか。生徒の学力低下を止めるという目標の先には、社会が良くなる、人が幸せになるというトップレベルの目的がある。ここまで意識し、視野を広くして学力低下の問題を考えなければならない。点数だけで評価すると、幸せになるのは権力者だけ、ということになりかねない。世の中の大抵の問題は部分最適化では解決できない。社会を構成している様々な関係性を眺めて、どこまで見たら問題が解決できるか、折り合いがつくか、考えなければならない。文明社会は“楽”を追求して成り立ってきた。この社会の成熟期を生きる子供たちは楽しいものに取り囲まれている。そんな子供たちに勉強することの大切さが伝わっていない、社会が伝えていない。子供を取り巻く状況の認識から学力の問題を捉えたい。(2012年3月4日)

「正当化バイアス」の罠

「ハシズム」の記事で思ったのだが、研究者にも不安に起因する正当化バイアスがあると思う。それは、知的探求という行為に対する過剰なまでの賛美、陶酔。研究という行為は研究者の道楽。税金を頂いて好きなことをやらせて頂いている訳で、そんな行為の正当化で、説明責任を果たそうとすることに違和感を感じる。研究者は自らの存在についてもっと謙虚になった方が良い。しかし、論文数で評価され、地位と名誉が目標となってしまった研究者は、自らの存在の意義づけとして「正当化バイアス」の罠に陥りがちである。社会がポピュリズムに踊らされているから、研究者は地位と名誉のために身を削ることになる。私も課題としている災害や環境は目立つテーマなので、皆さん飛びつくが、問題の解決にまで言及するのならば、自分の研究が現場における問題の解決にどう役立つのか、その具体的な道筋を示さなければあかん。現場における災害や環境問題に取り組む専門家としての研究者を尊重せずに、非専門家の研究者が災害や環境にお気軽に言及するべきではないと思う。橋下さんは研究者を評して、「税金で養われている連中」、「何もやらない連中」と言っているが、今のままではその通りになってしまう研究者も多い。頭で考えた対策と、現場における知識と経験に基づく対策、どちらが効果を発揮するか、震災一年でだんだんわかってきたことがあるのではないか。(2012年3月3日)

信念か弱気か

香山リカ氏は私もファンなのですが、橋下徹大阪市長から“口撃”を受けたという記事があった(朝日朝刊、「ハシズム」を読む)。橋下氏の昨今のアクションを評して、香山氏は「ある種の危機や病理を抱いている一つの証拠だと思ってしまう」という。それに対して、橋下氏は「一回も面談したこともないのに僕のことを病気だと診断した。サイババか」と。これに答えて香山氏は、「特定の病気と断定したのではない。白か黒かでしか判断できない人は、大きな不安を抱えていることがある。二者択一を迫る政治家が支持されるのは、有権者が不安定な状況に追い込まれているからではないか」。私もそう思う。自分の主張が正しいということに拘泥する人は、強い正当化バイアスがかかっており、それは自信のなさや不安に起因することが多いと思う。現実の社会では、事実の背後に様々な真実がある。問題を解決しようとしたら複合的、包括的、総合的な視点から問題に対峙しなければならない。橋下氏はそれを行った上で信念を得て、強い態度をとっているのか。それとも弱気の表れなのか。前者だとしたら「ハシズム」などと評されても過敏に反応しなくても良いではないか。(2012年3月3日)

次のフェーズへ

今日は山木屋の方々に千葉大学柏キャンパスを見て頂いた。皆さんからは帰還への希望が伝わってくる。この強い思いに何とか応えたいと思う。この数ヶ月、現場に通い遮二無二放射能調査を行ってきた。新しいこともわかってきたが、そろそろ次のフェーズに移らなければならない。まず流域単位の除染への道筋をつけること。小さなアイデアはいくつかあるのだが、まだ自信がない。自分はジェネラリストなのだろうか。専門知識の浅さに忸怩たる思いを隠せない。ジェネラリストは必要だと思うが、特定の問題の現場で力を発揮するのはスペシャリストである。自分が解ける問題を見つけたスペシャリストには力を発揮してほしいと思うが、道を付けるのはジェネラリストなのかなとも思う。協働の輪を広げて、春からは「見ためし」に移りたいと思う。もちろん、多くの困難が予想できるが、地域と国を結びつけるアクションを大学としてとらねばならぬ時期だなと思う。(2012年2月28日)

土と生きる 日本の百姓

今日の朝日朝刊「千人の声」で飯舘村の菅野哲(ひろし)さんに出会った。哲さんの名刺には「土と生きる 日本の百姓」と刻まれている。この名刺は福島市内に避難してから作ったもの。百姓とは百の技能を持ち、自立して生きることのできる人間を指す。百姓としての暮らしを奪われた哲さんの悔しさがにじみ出ている。あれはどこだっただろうか。飯舘村の風景を眺めながらこう言われた。「ここではものがあれば暮らしていける。でも、都会では金がないと暮らしていけない」。土地と家と農具があれば幸せを手に入れることができる。そんな農村の平穏な暮らしはもはや簡単には戻ってこない。分村を決意した方々と、帰還に望みを託す方々。最終目標は同じ。どちらからも視線を外すことなく、そしてひるむことなく阿武隈の未来を地域と一緒に考え、行動していきたいと思う。(2012年2月28日)

知らないところで決まる運命

中間貯蔵施設を巡る国と地元の意見交換会で3町長が欠席で流会、というニュースに出会った(Yahoo、毎日)。欠席した双葉町長は「知らないところで政府が決めていくことに対して大変恐怖を感じた」と述べたという。計画避難地区で聞いたこんな言葉を思い出す。『おれたちは国においてきぼりにされちゃうんじゃないか』。地域の想い、意思が国には伝わらず、トップダウンでメニューが押しつけられ、そのメニューがまた使えないという現実。国の統治というのは冷たいものとしてあきらめるしかないのか。高度経済成長期の、官僚が強かった時代の悪しき習慣を引きずっているのではないかとも思うが、国がいかに地域と関わりを持たずにいるかということを表しているのではないだろうか。研究者の世界では予算は国が決めたことに対して申請をするという習慣が根付いてしまっている。研究者は必死で国に目を付けてもらおうとして、時には審査者を探し出して、その嗜好にまで寄り添おうとする。この申請という段階で、国と研究者のコミュニケーションが成立すると考えることもできるが、なんとも情けないことではある。原発事故の件では、国が相手にするのは研究者ではない。現実の問題を抱えた現場の方々である。国がそういうから一所懸命それにあわせよう、なんてことはあり得ない。いまそこにある問題の解決が最重要課題なのだから。意見交換会に欠席した3町長の気持ちは痛いほどよくわかる。(2012年2月27日)

帰還の共有

朝日朝刊、「いま伝えたい千人の声」欄に、お世話になっている山木屋の源勝さんの記事があった。「ハードルは多いし高いが、やるしかない」。「いつ帰れるか、農業が再会できるかわからないけれど、とにかく帰るってことを前提に物事を進めないと気がめいっちまう」。この言葉を大切にしたい。我々も帰還を前提に考えているつもりであるが、近隣では分村を前提に活動を行っている方々もいる。議論の中で自信を失いかけることもあったが、地域と“目的の達成を共有”できていれば、これほど心強いものはない。どれだけ時間がかかるかはわからないが、前を向いて地域との関わりを継続していきたい。(2012年2月24日)

今日よりよい明日はない

森永卓郎がラジオで言ってました。ポルトガルのことわざだそうです。その通りと思います。競争社会で奮闘している方々は何を言うか、と思われるかも知れませんが、このことわざの本当の意味は、今日がよければ明日もよい、ということだと思います。あるいは、明日をよくするためにはまず今日をよくしよう、ということ。よい日というのはひとが生きるということの本質的な部分における幸せを感じる日という意味だと思います。競争に勝たなければ得られない“幸せ”ではなく、心の奥底からわき上がってくる幸せ感を得るためには、今日をよい日だと思うこと。“今日がよければ明日もよい”、は“私が幸せになればあなたも幸せになる”、“地域がよくなれば世界もよくなる”、こんな風につながっていくのだと思います。今、日本人が気がつかなければいけないのはこのことではないか。(2012年2月22日)

命より大切なものを感じる時

卒論発表会も終わり、今年度の学務もほぼ終了したところで、また福島に行ってきました。昨日の朝、福島駅前のホテルを出て、駐車場までいく途中の交差点で空間線量率は1μSv/hを超えていた。危ないと言われてしまった福島ですが、放射能と向き合って暮らして行かざるを得ない現実がそこにある。安全側に身を置いて、福島と関係性を絶とうとする人々のなんと罪作りなこと。さて、山木屋ではいつもお世話になっているKさんのお宅で調査をやらせて頂いた。庭で一家四代の碑を発見。明治期に東和から移住してきて、開拓を行って現在にいたる歴史がそこに刻まれていた。Kさんにとって何よりも大切なのは土地ではないだろうか。今日は久しぶりに伊達方面を見る。そこかしこで畑の除染をやっている。農家はすでに行動を開始しているのかも知れない。その後、飯舘村に入る。前田、草野、飯樋と見て回ったが、牛もいるし、赤帽の配達にも会った。ひとの暮らしはそう簡単に奪えるものではない。人にとって命より大切なものはあると思う。それは土地であり、すでに都会人が失った土地に対する深い思いがそこにあることを感じる。その後、川俣シャモの親子丼を頂き、帰路につく。(2012年2月20日)

生きることとリスク

卒論発表会も終わり、今年度の学務も最終段階となった。これでシャンシャンと終わればよいのだが、ある発言は看過できることではない。福島は危ないところではない。サイエンティストの頭の中に、“FUKUSHIMA”=“Danger”という図式ができあがっているとしたら、それは少なくとも地球表層を時間・空間軸で捉える地球科学者のセンスではないと思う。まず確認しておくが、学生の調査帯同はご両親の了承を得て、学務に届けてから出かけた。追加被曝量については最大に見積もっても0.1mSvであり、これは成田−ニューヨーク間の機内における被曝推定量0.2mSvの半分である。なんら問題ないと考える。それより、災害の現場の実態に触れることで学ぶことの方が遙かにメリットがある。地球科学者のセンスに戻るが、得られる情報をまず収集、理解すること(これは研究という行為の第一段階である)。それを時間軸と空間軸(地図)の上に投影し、場の特性と関連させて理解を試みることである。地球科学の中にもニュートン・デカルト的な思想が入り込んでおり、単純化させた対象について考察する習慣がついているのかも知れない(これが地震学の課題ではないか)。ここでリスクコミュニケーションが難しいのは低線量被曝の効果である。低線量でも被曝量に応じて発ガンリスクは高まると考えてよい。しかし、汚染大気や食品添加物、などの他のリスクと区別はできなくなり、それは“生きる”という行為と同義になってしまうのではないか。何より放射性物質はすでに環境中に放出されており、我々は放射能とともに生きることを余儀なくされている。福島の方々には大きな葛藤もあるだろうが、すでに前向きに生きることを決めている方々もいる。関係性のない対象として地域を見るのではなく、関係性を意識して地域を見守るという姿勢が近代文明人には必要になってくる。それが震災後の日本を変える力になる。(2012年2月16日)

大学生に成長度テスト検討

朝日朝刊から。「日本の学生は勉強しない」という汚名を返上しようという意図が文科省にはあるらしい。だからテストを開発というのだが、これは“問題の解決の共有”を目指したアクションだろうか。学生が勉強しなくなったのは理由がある。それは日本の社会全体の問題でもある。ここを見なければ解決以前に、問題の理解さえできない。社会は勉強することの価値を示してこなかったのではないか。あるいは、勉強しなくてもすむ世界がかつてあったということ。それでも勉強の価値を示すのが大学の役割であるが、日本の豊かさの陰で大学は学生を“子供ルール”で指導せざるを得なくなった。学生が“大人ルール”による指導には耐えられなくなったとき、叩かれるのは教員という悪しき図式ができあがっているから。ではどうすればよいか。社会全体で勉強することの価値を示し、学生を正当に評価するという習慣を持つ必要がある。大学はその先頭に立たなければならないのだが、負のスパイラルが現状打破を難しくしている。何より、“よい先生”言説と、それに対するメタメッセージに人は左右されてしまう。“よい先生”言説の中身には触れないが、“よい先生”でない先生は悪い先生というメタメッセージが生まれ、それが教員評価につながってしまう。どうすれば問題は解決するのか。成長度テストでは結果はわかるかもしれないが、根本的な解決を目指したアクションではないと思うよ。(2012年2月16日)

楽器は精進

昨日東京に出る機会があったのでお茶の水でケーナを購入。ご主人に10分間の指導を受けて、音の出し方はわかった(つもり)。今日は練習に励んでいるが、難しい。うまく出ていた音が突然出なくなる。姿勢、呼吸法、ケーナの吹き位置、何かが違うのだが、なかなかわからん。特に低音が難しい。なぜ音が出なくなるか、さっぱりわからん。でも楽器は精進。これを乗り越えるという体験が人を変える。研究も同じ。毎日努力を積み重ねていると、あるとき道が開ける。だから学生にも楽器で、積み上げて道が開ける体験をしてほしいと思うのだが。(2012年2月11日)

心をわすれない科学を願う

これは書き留めておかねばならぬ。朝日朝刊、声欄の宮本さんの投稿。「心をわすれた科学には、しあわせ求める夢がない」。手塚治虫原作のアニメ「ミクロイドS」の主題歌。阿久悠の作詞とのこと。改めて阿久悠の偉大さを想う。歌詞の二番には「心をわすれた科学には、地獄の夢しか生まれない」。宮本さんも指摘なさっているように、原発をめぐる状況にあまりにもぴったりしすぎている。ただし、科学(サイエンス)の世界は宮本さんが思っているよりももっともっと広い。人に寄り添う科学もあることを指摘しておきたい。それにしても日本の教育は科学を狭小なものとして扱いすぎていたようだ。村上陽一郎は、理科の教科書作りに関わったときの体験からこう述べている。「科学とは、この世界に起こる現象の説明や記述から、『こころ』に関する用語を徹底的に排除する知的活動なのである」(「科学の現在を問う」、講談社現代新書)。村上さんは歴史的事実としてこう述べたわけであるが、このような“文部省(当時)の指導”が現在の科学者の価値観に影響を与えたのではないか。そうだとすると戦後の日本の教育は大きな過ちを犯したことになる。世界科学会議のブダペスト宣言の内容を考えると、日本人の持つこういう考え方は欧米からの移入というよりも、日本独自の勘違いだったのではないか。(2012年2月11日)

ものごとの本質

毎日8日夕刊(WEB版)でおもしろいコラムを見つけた。「特集ワイド:東大よ!秋入学考えている場合か」。三名の識者の意見。まず、滋賀大学長の佐和さん。海外の優秀層が日本に来ないのは高レベルの専門教育を体系的に施すカリキュラムが構築されていないから。その通りで、学部でも同様の事態が起こっている。それは大学教員が極端な研究そして論文数志向になっているから。教育には人材が必要だが、カリキュラムを前提に人事が動くことはない。英語による講義は非効率、日本人の留学生が減った理由は、単なる学力不足もその通り。次の尾木さんは秋入学を前向きに評価している。議論が動き始めたことは正常な感覚であると。これもその通りで、議論の中から“そもそも論”が出てくると本質的な大学改革につなげることができる。飯田さんはいつも手厳しいが、研究者の質が低いと。否定はできないが、異なるモードの科学を視野に入れてほしいと思う。モード1の立場からは飯田さんの主張は正しく、研究にはしたたかさが必要になってくるが、それは全体ではないことに注意したい。教員の選考過程をより厳格にという主張は反論できないが、選考基準を明確にすべきである。論文数だけが基準とならないように。また、入試は「最低水準型」にすべきという主張は私も常々思っていることである。そうなると教育に対する大学教員のロードは重くなる。議論は何を教育すべきかという根本的な問題に行き着くが、ここで研究しか頭にないようではろくな改革はできない。学生の将来まで考えること、社会の中での大学の役割を自覚すること、何より社会の方向性について考えを持つこと。大学教員に課せられた責任は重い。と同時に社会に課せられた責任も重いということを人々は自覚しなければならない。(2012年2月9日)

気になる安さ

昼に日高屋で食事をとったのですが、価格が気になりました。半チャーハンの単品が240円、餃子6個が200円。チャーハン、それも半チャーハンより餃子の方がはるかに食材費や手間がかかっているのではないかと思うのですが、餃子の方が安い。なぜか。餃子は冷凍食品の輸入で、チャーハンは国産の材料を使って作っているからだろうか。安い値段で餃子を頂ける私は幸せになったが、生産者は幸せになっただろうか。冷凍餃子というと中国で製造された農薬入り冷凍餃子事件が思い出されますが、背後には市場経済の競争原理、日本のポジティブリスト制により農薬規制が厳しくなり、中国の小農に打撃を与えた事実、などあまり報道されなかった真実がある。どうも安いものに出会うといろいろ考えてしまう。安さだけでなく価値を買うことができる仕組みがあると安心して頂けるのだが。(2012年2月6日)
⇒日高屋の餃子は自社工場、国内生産でした。

箴言備忘録ー知ることと感じること

届いたばかりの環境科学会誌でよい言葉を見つけた。東工大の錦澤さんによる多田満著「レイチェル・カーソンに学ぶ環境問題」東大出版会の書評。「知ることは、感じることの半分も重要でない」。「センス・オブ・ワンダー」からの引用とのことですが、心に染みいるものがある。東日本大震災をめぐり、研究者セクターでは「知ること」に対する欲求が高まるのは当然である。しかし、「感じること」を意識しているサイエンティストはどれほどおられるだろうか。特に、原子力災害を巡っては観念的な世界で議論しているサイエンティストも多いのではないだろうか。現場で起きた物理的なメカニズムに対する興味は、ひとの「暮らし」とは分断されている。まず震災の現状を「わがこと化」すること。そうすると別のサイエンスが見えてくる。もうひとつ。これはヘンリー・ソローからの引用ということですが、「科学は部分を説明するに過ぎず、経験はすべてを受け入れている」。これに気がついているサイエンティストはどれほどおられるだろか。さらにもう一つ書き留めておきたい言葉は「環境芸術」。これは文理芸の融合による研究アプローチであり、環境研究を社会と密接に結びつけるための「見える化」の手段とのこと。サイエンティストの世界だけで議論しているとわかりにくいことであるが、現場と交わると「見える化」がいかに大切かということは容易にわかる。(2012年2月3日)

除染はホワイトエレファントか

飯舘村の除染計画は高標高部から始めるという記事があった(昨日の朝日夕刊)。これは国の除染計画とは異なる。地域コミュニティーを分断させないためのやりかただとのこと。私も賛成であるが、その実現には大きな困難が待ち受けているだろう。乗り越えなければならない壁のひとつは除染不可能論あるいは除染非効率論。IAEAからの提言にもあったように記憶しているが、12月7日付けのニューヨークタイムズの記事が直截的である。除染事業は「ホワイト・エレファント」になる可能性があるという主張。ホワイト・エレファントとは浪費事業と訳せるそうであるが、コスト対効果が芳しくない事業のことである。では、効果とは誰に対する効果であろうか。福島の暮らしの復興に対する効果だったら、プライスレスだろう。都会と地方の関係性を切り捨てたうえで、経済尺度で判断した効果であれば、その基準をまず示してほしい。経済では量れない効果がある。ここに都市を中心に構築されている近代文明社会の一大欠陥があるように思う。最も文明社会の恩恵を受けている都市が負担となった地域を切り捨てて生き残るという行為は国の根幹を揺さぶる。これまでも水俣病を始め、切り捨てられた歴史は確実に存在した。ただし、原子力災害は時間軸上の位置が過去の公害とは異なる。原発事故にどう対処するか。ここに日本の未来が透けて見えるはず。(2012年1月31日)

不安が駆動する社会

神奈川県が震災瓦礫を受け入れるために開催した住民との対話集会のニュースを見た。震災復興に貢献したいという黒岩知事の思いとは裏腹に、住民の理解を得ることが困難であることを改めて実感させられた。テレビでは“不安”を訴える住民の意見も報道されたが、その発言にはどうも論理性や思想が感じられない。“問題”とは論理を超えたところにあることがよくわかる。住民の情緒的な態度の背後には住民を取り巻く様々な物事との“関係性”が失われた都市住民の有り様が見え隠れする。“不安”は人の行為を左右する最も大きな原動力である。実は多くの出来事が“不安”をベースに進行している。競争に勝たなければ、負けであり、負けたら悲惨な状況が待っているという強迫観念が社会を動かしている。ちょっと待て。本当にそうだろうか。人々が意識する“世界”をもう少し広げてみたら違う“世界”が見えてくるのではないだろうか。そんな“世界”こそ、震災後の日本が目指さなければならない姿なのではないだろうか。(2012年1月30日)

物語のある商品

福島から乗った新幹線のワゴンサービスで「雪っこ」を見つけました。これは津波で被災した陸前高田の酔仙酒造の製品ではないか。日本酒ありますか、と聞いたら「雪っこ」がありますと。酒蔵は津波で流されたが、多くの支援と従業員の努力で今年も醸すことのできた酒。こんな物語を知っているから、この酒が愛しくなる。お土産用にも購入し、自宅でも余韻を楽しむことにする。酒の味自体はたまに出会うことのある旨さ(失礼)。でも、物語があると味わいが深くなってくる。我々は普段いろいろな商品を購入するが、その物語は商品経済の中で失われてしまっている。これからの時代は商品に物語を復活させることにより、新たな価値を生み出すことができるのではないか。ついさっきまで阿武隈山中の極寒の中にいたが、この地域に復興して頂くためには、農産物はじめ商品に新たな物語を創っていく必要があるなと思う。(2012年1月29日)

地域のコミュニティーのやり方

また山木屋にやってきた。昨年5月の初夏から始まり、夏、秋、冬、そして厳冬を経験することができた。富岡街道沿いの気温表示パネルが-7℃を表示していたので-10℃くらいまでは経験したかなと思う。阿武隈の天気は小刻みに変わり、浜通と中通りの天候が交互にやってくる。晴れたときは深い青色の空がじつに美しく、日差しは暖かくさえ感じる。ひとたび雪雲がやってくると、肌を刺す寒さになる。そんな中で線量計を担いで田んぼの中を歩き回っている姿はアホやないかと思われるかもしれない。しかし、そんなアホがいいんやわ。一度の訪問で得られる成果は少ないが、通っているうちにだんだんと状況がわかってくる。今回はひとつの谷底平野の中でも空間線量率が勾配を持って変わっていくことが明らかとなった。除染するときの範囲や優先順の決定に役立てて頂きたいと思うが、実際に除染を行うときはやはり地域一律となるのかもしれない。それが地域のコミュニティーというものだろう。みんな一緒。共同参画。これまでの結果をお知らせするときも個人情報がはいっているからまずいかな、なんて思うのは都会的思考に過ぎず、みんな顔見知りだから関係ないよと。こういう世界は何が何でも復興していただかねば日本の将来は危ういと思う。さて、あとは春を体験すると山木屋の一年を知ることになる。暖かい春になってほしい。(2012年1月28日)

だけの人間

明日が父の祥月命日で、日曜の今日は午前中に父の墓参りをすませる。天気が悪いので午後は雨読とし、「司馬遼太郎が考えたこと2」を読み終えた。そのなかに「だけの人間」というエッセイがある。出だしは京大総長の「...だけの人間にはくれぐれもなってくれるな」という卒業式訓示から始まる。司馬さんは「それだけ人間」とはつきあいたくないが、こういう“だけの人間”が増えているのはどういう理由によるものだろうか、という内容である。それが“泰平ムード”ということならば簡単に片づいてしまう、そんなもんかね、と。このエッセイは昭和39年3月に書かれているが、それから50年近く経った現在、“だけの人間”だらけの社会になってしまったのではないだろうか。震災後の日本の対応や、政治の有様を眺めていると、狭い“世界”の中から主張している“だけの人間”が本当に多いなと感じる。司馬さんのエッセイの次は、「大震災後の社会学」という新刊を読み始めたのだが(遠藤薫編著、講談社現代新書)、大災害後の社会の変容を実に明解に分析している。しかし、これも文明人としての視点であり、社会全体を俯瞰していないのではないかと感じてしまう。三層モラルコンフリクト・モデルの脇にもう一つ農山漁村をベースとしたローカルな社会のモデルがあるように思うのだが(それは夢、理想だろうか)、もうしばらく考えてみることにする。(2012年1月22日)

技術と現場

プルシアンブルーがセシウムを吸着する性質を持ち、特に体内にセシウムを取り込んだ牛の除染に有効であることは以前からわかっていたが、セシウムを吸着する能力を大幅に高める方法を物質・材料研究機構が開発したそうだ。朝日朝刊より。これ自体は朗報であるが、記事によるとドイツの化学専門誌に報告されたということ。もちろん日本語では書かれていないはずだから、国内の現場には伝わらない。これは研究という行為のルール。ピアレビューの学術雑誌で発表することにより、研究者のプライオリティー、オリジナリティーが公式に認められる。研究者は社会のために役立つ研究をしたと満足するだろうが、実は新しい技術を現場に実装し、機能させるところに、高い壁がある。研究者はそこまで考えているだろうか。目的が現場の除染にあるならば、目的を共有できる枠組みの中に入り込み、役割を分担するという態度が必要。ここが研究者の一番苦手なところであるが、震災後の研究のあり方のひとつがここにある。(2012年1月16日)

複雑なシステム

今日の朝日の一面トップは「配布ミス4500人影響」。センター試験のトラブルのニュースだが、さて不首尾を責めるだけで終わらせて良い問題だろうか。担当者が現場と交わらずに机上で仕組みを考えていくとシステムはどんどん複雑になっていく。現場から離れてしまうわけである(福島では政策が現場で使えないという事態が実際に起きている)。現場の担当者は、神経をすり減らして複雑なシステムをなんとか動かし、何事もなければそれでよし。問題が発生すればマイナス評価されてしまうという変な仕組みが日本ではできあがってしまっている。このような仕組みはひとの幸せを生むだろうか。まず仕組みの現場への実装における問題点について考慮すること。次にひとは間違いを犯すものであるということを前提とする。その上で、仕組みを再構築しなければならない。今のセンター試験は、その“目的の達成”を実施者と社会全体が共有していない状況にあるのではないか。目的を共有すること、その実現のための単純な、あるいはレジリアンス(復元力)の高いシステムを考え、そのコストがかかりすぎるのであればセンター試験はやめてしまっても良いのではないか。その際には大学側の教育に対する責任が大きくなるのだが。(2012年1月16日)

喜劇と悲喜劇

「人生は、考える人たちにとっては喜劇であり、感じる人たちにとっては悲劇である」。また司馬遼太郎からの孫引きであるが、英国の作家ウォルポールの言葉だそうだ。なるほど、その通りやなと思う。世の中は哀しみに満ちあふれているが、知識、経験を持って考える人にとっては喜劇にもなり得る。だから勉強する価値があるし、視野が広がれば世の中の喜劇性はさらに高まるかもしれない。自分の立ち位置に対する自信は深まるだろう。「小説とユーモア」というエッセイからの一節であるが、これは昭和36年に書かれている。しかし、高度経済成長、新自由主義の台頭を経て、進化の最終段階に入ったように見える“市場経済”という化け物が力を持つ現在では、喜劇として笑い飛ばしてすむような状況ではなくなってきたかもしれない。現代はまさに悲喜劇の時代になってしまったかもしれない。それでも、考える、そのために知識、経験を吸収しようとする態度の重要性は変わっていない。感じるだけでは悲劇性が強まってしまう世の中なのでしょうか。学生には幅の広い勉強をやってもらいたいと思います。我々教員ができるのは、経験を少し積み重ねることに力を貸すこと。(2012年1月15日)

純文学と大衆小説

引き続き司馬遼太郎のエッセイを読んでいますが、こんな文章を見つけました。「人間のうちの自分への愛憎に執着をもつひとは、いわゆる純文学をかくのだろうし、自分の眼にふれる人間現象に興味を傾けるひとは、いわゆる大衆小説をかく。小説という点では、なんのかわりもない」。そこで発想したのですが、“真理の探究”を追求するサイエンティストは、その耽美的な芸術性に執着を持ち、論文を書くのだろう。自分への愛憎は、地位、名誉を追求する態度と通じる(批判ではなく、サイエンティストの当然の態度だと思う)。ひとと自然の関係に興味を傾けるひとは、“大衆小説”となるが、これは“モード2”あるいは“問題の解決を共有する”立場からの論文となる。大切なことは、“論文という点では、なんのかわりもない”ことを認めることだと思う。時代によってその重みの置き方に違いは生じるだろうが、ふたつがあることを忘れてしまってはならないのである。(2012年1月15日)

外見より中身

朝日で読んだ高校教員の頼富さんの主張。「大学の学費 無駄削り値下げすべきだ」との論であるが、一理ある。豪華なパンフレットやオープンキャンパスのお土産などよりほかに金の使い道があるだろうと。「外見の繕いばかりに腐心するよりも、まず中身を点検し、節約や自助努力をし て、経済的に開かれた大学を目指すこと」は今の時代、その通りで、そうしたいと思う。しかし、そうするためには大きな壁もありそうだ。大学トップがリーダーシップを発揮すれば良いのだが、リーダーシップは社会の潮流があるときに発揮できるもの。社会自体が見かけより実質を評価するように変わり、変化へのリーダーシップを支える基盤ができなければ難しいだろう。では、どうすれば良いか。リーダーに任せて足を引っ張るのではなく、リーダーを支える体制ができれば良い。リーダーからも変わって行かないといけません。低コストで実質的な大学運営のためには協働の実現がこれからの時代のキーワードだなと思う。でも、そのためには異なる世界観、自然観、社会観、を認識し、尊重する態度が必要なのだが、ここが一番難しい。(2012年1月13日)

帰還への希望

連休は山木屋に行き、皆さんのご協力で調査が順調に進みました。皆さんは地区外から通ってきているのですが、いずれ帰還することは大前提で、我々も“還る”時を目指した調査をやっているつもりです。ところが、帰還に関してはいくつかの考え方がある。山木屋では住居の周辺は概ね数mSv/y程度で、除染すればもう少し下がると思います。それでも低い値ではないので、帰還は難しいのではないかという意見も当然あるわけです。ではどうするか、という点が問題なのですが、提案を持った帰還困難論と提案のない帰還困難論があります。前者は傾聴に値しますが、後者は言語道断、のんきであわれな都会人の主張に過ぎないと思います。私としては帰還を大前提で考えたい。若者の帰還はしばらくは困難かもしれないが、私以上の世代は戻ってほしいと思う。私は、“命より大事なもの”はあるのではないかと思う。それは土地であり、ふるさとではないか。これは科学的な判断ではないが、科学を超えた判断が必要なのが原子力災害。とにかく、国は威信をかけて除染に取り組んでほしい。そのための情報収集に労はいとわない.(2012年1月12日)

仕事始めに想う

今日は仕事始め。2012年の仕事の方向性を明らかにしなければならないが、CEReSの職員として考えなければならないことがある。それは昨年末に行った外部評価報告書。その中の自分が関わる部分については良好な評価を頂いた。千葉県をベースとした活動、福島第一原発事故に関わる活動が取り上げられたが、それは評価しやすい観点を評価者に与えたということに過ぎない。作戦があたったということではあるが、分野、価値観が異なる評価者に真実を伝えることは難しい。評価者は地域社会のニーズや期待を把握する方法について仕組みが十分でないという。これはある意味エリート研究者である評価者の価値観に基づくものに過ぎない。地域の思いを理解するということは地域に入り、泥臭く作業して、言葉を交わして、信頼を得て、そしてようやくわかるもの。仕組みがあるだけで動くものではない。もっとも、この部分を外部評価で主張する気はない。成果だけが判断基準で良い。また、福島における活動も実は大きな問題がある。国をベースに行う活動は決して地域を見てはいない。チェルノブイリ以上の報告書を出さねば国の威信に関わる。これは当たり前の科学者の責務である。一方、地域をベースにした活動もなければならぬ。“科学のための科学”と“社会のための科学”を峻別して、両者の良好な関係があるかどうか、が重要な観点なのであるが、“やっている”ということだけが評価される。こんなことに関わらず今年はきちんとやるべきことをやろう。どじょうでいいやんけ。(2012年1月4日)

どじょうがいいやんけ

野田首相が来るということで、高校の同窓会で相田みつをの色紙が配られました。「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよなあ」。野田さんの首相就任の時に引用したものですね。その通りだと思うな。どじょうなのに金魚になれなれ、って言われて不幸になっていくのが今の世の中。生態系の中ではどじょうが強い。きちんと役割を果たしている。金魚は人により改良され、金魚鉢の中で過ごす運命。金魚が都会人で、どじょうは地方人ではないか。これからは地方の時代。都会は地方に育ててもらったのだから、恩返ししよう。華やかなグローバルに目が行って、地方に養ってもらっていることを忘れると、いざというときに困るのは都会だよ。TPP推進論者と言われている野田さんですが、腹の中にある考えも聞くことができて少し安心。誤って解釈した欧米型のリーダーシップに振り回されずに、日本型のリーダーシップでがんばってほしいと思います。(2012年1月3日)

人間の幸福のひとつ

司馬遼太郎のエッセイに「穴居人」というのがあって、そこにこう書かれている(司馬遼太郎が考えたこと1,新潮文庫)。「人間の幸福のなかには、生まれた土地に生涯住み暮らす、ということも、そのひとつに入っているのではないか」。ところが、明治以降の日本では、故郷は遠くにありて想うもの、という精神的習慣が定着してしまっているように見える。高度成長期には地方からたくさんの若者が都会にやってきて、がんばり、今の日本を作り上げた。都会の生活しか知らない都会人でも、ほんの数世代前の先祖のほとんどは畑で鍬を握っていたはずである。そんなに遠い昔のことではなく、今でも地方では何世代も続く地域の暮らしがある。それが幸福のひとつであるということは概ねそうだと考えて良いだろう(農山村の抱える問題もある程度理解しているつもりだが)。しかし、それが一瞬で絶たれてしまうということはどれほどの不幸であろうか。多くの方々がそういう状況の下で新年を迎えているという事実を我々は忘れてはならない。これが関係性を深めることの最低限の行為である。(2012年1月2日)

2012年は関係性を深める年に

近藤家も家族が揃うのは盆と正月くらいになってしまった。人生のフェーズが進んだと感じる正月である。昨年の漢字は「絆」であったが、一応正月に絆を深め合っているところではある。絆は家族だけでなく、様々な絆があるのだが、年が明けて普段の暮らしに戻ったとたんに忘れてしまってはいかん。絆、すなわち関係性を深める行動を今年はさらに進めなければならんなと思う。2012年は関係性を深める年にしなければあかん。(2012年1月1日)


2011年12月までの書き込み