口は禍の門

2011年もあっという間に終わってしまった。今年の漢字は「絆」ということであるが、私は「断」であったように感じる。都市と地方、科学と社会、人と自然、いろいろな関係性の分断が顕わになった年であった。この分断があるからこそ「絆」を再確認しなければいけないということであれば絆も悪くはないのだが。分断の修復は文明のあり方の再考も含まれているはずである。リスクのあるものを地方に置き、便益を得ながら、事故が起きても「関係ない」と感じる精神的習慣の不自然さに多くの国民が気がついたのではないか。だとすると、日本は世界の行く末に対して先導的な役割を果たすことができるかもしれない。 (2011年12月31日)

2011年度も後半。いろいろなことが大きく変わった半年だった。福島に通い、地域と都会の両方の視線を感じていると、両者がなかなか交わ らないことに気がつく。そこに本質的な問題がありそうだ。都会人が、こうあるべき、と思ってい る世界は狭い世界観に基づくステレオタイプに過ぎない。視野を広く保ち、その中に見えるすべての人々の考え方を尊重し、そして皆が幸せになることを目標として初めて来るべき世界が見えてくる。日本は成熟社会への入り口を見 つけた。そこに入るか、通り過ぎるか、今が日本の正念場なのだと思う。(2011年10月1日)

2011年後半の初日は福島で迎えることができた。連休以降、福島も5回目。福島餃子の会の店も4軒制覇した。福島餃子はジューシーで本当においしい。ビールは当然ですが、ハイボールがよく合う。地域でもっと発見したい。まだまだ、福島の放射能汚染地域でやるべきことはたくさんある。未来に繋がる何かをもっともっと発見しなければならない。(2011年7月1日)

2011年6月までの書き込み


原理を超えて

もう30年近く続いている大学の同窓会兼忘年会から戻ったところ。昼にやっているのでまだ明るい。最近は大掃除も役に立たないとあきらめられたせいか指令も出ていないので書斎で休んでいる。最近本をあまり読んでいないので来年はもっと読もうと思いつつ、本棚にあった「人間というもの」(司馬遼太郎)を手に取り、ぱらぱらと読み返してみる。「播磨灘物語」からの引用だがこんなのがあった。「原理というのはそれが鮮明で強烈であればあるほど、他者を排除し、抹殺する作用がある」。これはサイエンスにも当てはまる。普遍性を尊重し、原理(principle)を求めてばかりいると、学問分野(discipline)の狭間に入り込み、異なる他者を排除し、蛸壺にこもるようになる。これでは問題の理解も解決もできない。来年はますます問題の解決の共有という態度を鮮明にしたいと思う。(2011年12月30日)

大学におけるハラスメントに対する方策

今日は公式には仕事納めだが、そうはいきません。じたばたしているところに大学からメールが届いた。「ハラスメントに関するオンライン調査結果」。千葉大学ハラスメント防止委員会専門部会の仕事ということだが、あまりにもやることが浅薄で、専門性に欠ける内容である。本当に問題を理解し、解決しようと思うのならば様々な事例の個別性に深く入り込まなければならない。それをやらずに“被害者”の訴え(そこに真実があるかどうかは文章からはわからない)を羅列するだけでことたれりと考えているのだろうか。これではハラスメントの件が増えるたびに千葉大学に対する信頼は損なわれていくばかりではないか。様々な事情、個別の事情に入り込んでこそ、個々の問題を理解し、解決することができる。訴えがあったら大学で解決しようとせずに、外部の専門家を仲介することはできないだろうか。大学の教員は特定分野の研究者であるが、ハラスメントの専門家ではない。そして、すべては無理かもしれないが個別の事情を掘り下げた結果を公表してほしい。そうすれば“加害者”、“被害者”、双方に役に立ち、お互いの理解を深めることができる情報になるのではないか。大学に対する誇りを失わせるような対応だけはとってはならない。(2011年12月28日)

固定した炭素の行方

連休の最終日の今日は年末恒例の庭の掃除。草を刈り、庭木の剪定をする。毎年やっているが、結構な量になり、一年でずいぶん炭素を固定したもんだと思う。しかし、枝葉は束ねて回収ゴミに出す。また炭素が大気に還ってしまう。せめて、燃料にできないものかと思う。田舎だったら燃やして暖をとることもできる。化石燃料の節約になろう。薪ストーブのある家がほしいと思うこの頃である。(2011年12月25日)

里山を3市長が語る

今日は千葉ニュータウンで開催された「第6回北総里山タウンミーティング」に行ってきた。野田市、印西市、白井市の首長が一堂に会し、里山について語り合った。たくさんの地域の活動も紹介され、何となく地域の未来に期待がもてる。昨今の日本は東京中心、都市的な世界観のみで社会が運営されているように見えるが、ちゃんと地域ではやるべきことをやっている。しかし、この流れがメインストリームになっていないのはなぜか(「現代農業」を購読していると、確実に地域主体の世界があることは良くわかるが)。やはり、都市的世界観を持つ方々が推進している経済至上主義による統治が金を背景にして力を持ちすぎているからだろう。都市的世界と農村的世界を自由に行き来できる精神的習慣を日本人が持つこと。そのきっかけのひとつが“北総における里山を巡る協働”になれば良いと思う。(2011年12月24日)

近代文明人とリスク

今年は福島にずいぶん通いました。空間線量の高い地域で作業をしているのですが、いろいろ心配してくださる方がいる。それはありがたいのですが、近代文明人としての態度とはちょっと違うのではないかと思うこともある。科学的な手続きによると100mSv以上で有意な健康リスク(例えば癌の発症)が認められたということであるが、それ以下では影響は“わからない”、すなわち有意な関係性は認められないということ。これは科学の限界でもある。わからないのではあるが、低レベルでは被曝の量に応じてリスクが高まるということで良いと思う(統計的に有意でないだけ)。とはいえ、低線量におけるリスクは他の多くの(科学の手続きで証明されているわけではない)要因の結果と識別することは難しい。だから、ある思いを持って現場に行くことは個人の責任において行えば良い。そのかわり、放射能以外のリスクを軽減する努力をする。その中でも大切なことはつまらんストレスを避けること。人生を楽しく、誇りを持って過ごせるようにすればよい。なかなか難しいが、私はそうしたい。そもそも、基準が決まったら安全ということではない。多くの毒性物質の摂取許容量は科学的に影響が明らかにされて決められているわけではない(中西準子、「水の環境戦略」が参考になる)。ダイオキシン、環境ホルモンの影響が一時期問題になったが、騒ぎは収まってもリスクが消えたわけではない。農薬、水汚染、大気汚染、食品添加物、...我々を取り巻くリスクの要因を数え出したらきりがないが、これらのリスク要因は近代文明の副産物でもある。“便利”や“楽”を享受している近代文明人としてこれらのリスク要因にどう対処したら良いのか。まず、この点を深めましょう。わからないから恐れるというのは文明人の態度ではないように思う。(2011年12月23日)

科学の価値

あっという間に月日は過ぎて、今日は冬至。この一年を少しずつ振り返る。まず思うのは、研究は科学者の道楽、研究者はその道楽の価値を認めて頂くために努力をしなければならない、ということ(2010年4月15日朝日「科学者は科学の価値を語れ」尾関記者の言)。今年ほどこの言葉が心に響いた年はなかった。科学が役に立つということを主張するならば、筋道立てて現場のレベルまで到達するような主張をしなければならない。科学者の視線の先には何があるのか。東日本大震災を経験した後でも、その視線はなかなか定まらないようである。来年は科学と社会の関係に関するシンポジウムがいくつか予定されているが、科学者の価値観は変わるだろうか。(2011年12月22日)

「原発難民日記−怒りの大地から、秋山豊寛」を読む

6月に文科省の土壌調査で古殿町を回っていたときに、この山の向こうに秋山さんがいるんだよと役場の方が教えてくれた。山の向こうは田村市だった。近代文明の最先端の技術で宇宙に飛び立ち、地球を見た秋山さんが都市を離れ、農村で生きることを決意した。その秋山さんが原発事故によりどういうことになったのか、何を思ったのか、岩波ブックレットNo.825で知ることができた。なんたる皮肉だろうか。近代文明の粋を体験した秋山さんが、近代文明の災禍により暮らしを奪われるなんて。人は近代文明の中では安心は得られないと思う。農的世界を大切にしなければならないと切に思うが、それが近代文明によって壊されてしまうことは許されることではない。これからの時代は都市的世界と農的世界を峻別し、両者を行き来できる精神的習慣を我々が持つことが大切だと思う。そうなった時、都市的社会は原発を必要とするのだろうか。(2011年12月16日)

山下文男さんを悼む

「津波てんでんこ」の山下文男さんがご逝去された。享年87歳。三陸の津波を身をもって体験し、東日本大震災では自らも津波に流され、最後まで津波から命を守ることを訴え続けた山下さん。その活動によって何人の命が救われただろうか。それはそれは計り知れないほどの多くの方々を救ったことになるのだと思う。決して数字にはできず、近代文明を動かしているシステムでは評価不能の業績であり(皮肉です)、サイエンティストの好きな論文の数や獲得した研究資金の額などとは比較することも憚られる価値の高いものだと思う。経験に基づく信念と、人の暮らしを見る視線、これこそが山下さんの高貴な行為を生み出した原動力だと思う。冥福を祈りたい。(2011年12月14日)

地域性を考慮した問題の解決へ

恐らく今年最後になるであろう川俣町山木屋調査から戻ったところ。最近はパトロールの基地となっている集会所で休ませてもらうようになりましたが、山木屋の方々からいろいろなお話を伺うことができます。山木屋地区ではすでに除染のモデル事業が始まっており、復旧に対する期待もあるわけです。もし、避難解除になるのであれば春にしてほしいと。秋ならば活動ができない寒い一冬をただ過ごさなければならない。是非とも春。それを目指して解除後に作付けする作物を探していると。菜花はどうだろうかと提案したら、山木屋では収穫が梅雨に重なるので難しいとのこと。やはり、地域性を考慮しなければ有効な策は打てない。除染モデル事業の内容も十分住民には周知されていないようである。国のやり方は「科学的に正しい方法で検証された手法を地域に当てはめる」ということらしいのですが、それで十分だろうか。地域ごとに有効な対策は異なる、なにより地域が主体となって実施できる方法が良い。来年の春には地域主体で様々な「見試し」が行われても良いと思う。しかし、国のやり方と異なると補償の問題に抵触する恐れもあるという。国と地域が目的を共有できない実態が見えてくる。「地域が幸せになること」という“目的の実現”が共有されれば低コストで満足感の得られる策が出てくると思うのだが。(2011年12月11日)

問題の解決のための“世界”の理解

「研究機関における公的研究費の適正な執行等のために取り組みの徹底について」という通知が文科省から出ました。これに基づいて、@取引業者への預け金、A旅費・謝金等の架空請求によるプール金、がない!という署名付きのシートを提出せよとのこと。文科省に向かって主張しないと意味がありませんが、そんな勇気もありませんので、とりあえず署名して提出します。とはいえ子供じゃあるまいし、そこまでやらせることの意味、基本的な考え方とはいったい何だろうかと思う。もちろん、問題が生じたときにトップが責任をとらないためという背景は明らかですが、この品格のなさは情けないと思う。問題を解決しようとしたらまず問題の背景を見なければならない。問題を理解することから解決の方法が見えてくる。言語道断な事例もあるでしょうが、予算執行の仕組みに問題があることも皆さん知っている。最終的な目的が税金の効率的な執行か、それとも規則通りに執行することか、どちらがまっとうな主張か。これは自転車の車道通行とも似ているな。自分を危険にさらしても規則を守ることが正しいか、身の安全を優先すべきか。それとも、“管理”とはそういうものなのか。我々は管理される存在に過ぎないのか。ここでも人の世界の違いが顕わになる。霞ヶ関で机に向かって管理をしようとする人の世界、現場で効率的な予算運用をしたい人の世界。自転車の場合は、駅前の通勤客で混雑した歩道を見ている人の世界、郊外で自動車優先の道路を走らなければならない人の世界。いろんな世界が交わらないといろいろな問題が起きるのだな。いろいろな世界を認めるということから問題の解決が見えてくるとは思うのだが。(2011年12月7日)

無用の心

朝日の天声人語より、詩人の吉野弘さんの作品「星」の孫引き。「有能であるよりほかに/ありようのない/サラリーマンの一人は/職場で/心を/無用な心を/昼の星のようにかくして/一日を耐える」。現代社会の中では心とはかくも無用のものになってしまったのだろうか。“心を配慮しては大学の管理はできない”。これは私が聞いたある理事のことば。これだけではない。様々な場面で心の不在を多くの方々が感じているだろう。我々は競争を無条件に受け入れ、心を隠すことでそれに適応してきた。それで良かったのか。立ち止まって考える時がやってきた。先日訪れた山木屋では除染実験が始まっていた。防護服を身につけた数十人の中で、町の担当者らは平服で見守る。地域の方は暮らしの可能性に一縷の望みを託す。白装束は、恐らく放射線作業に関わる規則上、白装束をまとわなければならないのだろうが、心を隠すことにより暮らしの可能性について客観的なデータで判断できるようになる。そんなことでは、どんな決断がなされようと、地域の心は受け入れがたいだろう。(2011年12月5日)

受益圏・受苦圏問題

国が幸せになるためにはまず地域が幸せになる、なんて書いたが、市川の外環用地の強制収容を求める裁決を県に申請というニュースが報じられている。首都圏に住む私は外環道の受益者。しかし、幸せが奪われる人、受苦者がそこにいる。これは環境社会学における受益圏・受苦圏問題であり、まだ解決策はない。この矛盾をどうしたらよいのか。人の暮らし、思い出を奪う代わりに国は何を与えてくれるのか。外環はあきらめるべきか。うまい考えはないのだが、まずは強制収容の状況を見続けること、事実を忘れないことが今のところ唯一できることだと思う。そこから何か見えてくるかもしれないが、長期的には都市のあり方を変える必要がある。コンパクトシティー、衛星都市、都会と農村の良好な関係、こんな社会が実現すれば一方的に拡大する都市を維持するために人の暮らしが奪われることはなくなるのではないか。(2011年11月30日)

権力の勘違い

また、失言によって役人が更迭された。沖縄防衛局長の件です。根底には権力に対する勘違いがある。私も時々政府高官の不遜な態度に関する愚痴を漏れ聞くことがある。それは高度経済成長の時代にはある程度は機能したのだと思うが、時代は変わった。過去の慣性から抜け出さないとあかんなと思う。何度も言うが、欧米型のリーダーシップを間違ってまねするのではなく、日本型のリーダーシップを構築してほしい。国の幸せのためには地域の不幸は致し方ない、ではなく、国が幸せになるためにはまず地域が幸せになる。この考え方を欧米にもどうどうと主張して頂きたいと思う。こういう考え方を役人が持てば、この国は確実に良くなると思う。(2011年11月30日)

情報を伝えることの難しさ

福島県伊達市で米の放射性セシウムの基準値超えが見つかった。小国も月舘も何回も通った場所。小国は7月に調査を行い、山間部の空間線量率が高いことがわかったので伊達市にはメールで送ったのだが、伝わったのだろうか。いきなりメールで送ったので無視されてもしょうがないとは思うが、もう少し努力すればよかった。こういうときは陽徳の態度も必要なのだなと思う。まずは信用されなければならない。陰徳の態度だと信用がなかなか得られない。タイガーマスク運動は陰徳で機能するが、情報伝達は陰徳ではなかなかうまくいかない。とはいえ、いずれ情報の糸がつながる時が来るに違いないと思う。必要なところには情報は伝えていますので。(2011年11月29日)

山木屋報告

川俣町山木屋地区に行ってきた。今回はこれまでやってきたことの報告会。地区の方々と話しているとわかることは政治と現場の距離があまりにも遠いこと。国からは様々なメニューが提示されるが、町として使えるものがない。霞ヶ関の方々が机の前で頭で考えた案が使えない。役人の方々は現場を見てほしい。こんな声が聞こえてくる。科学と現場の間も同じ。文科省の詳細調査が山木屋地区で行われているが、成果が地元には伝わっていない。これは私も関係者であり、事情は良くわかるので(文科省が発注者ということ)、園芸学部の仲間と地域と情報を共有するため独自の調査を行ってきた。その報告会だったわけです。道すがら川俣町では様々な除染活動が始まっていることがわかる。町中では住民の方々が側溝の掃除や洗い出しを行っていた。山木屋に向かう道路では正体不明の道路洗浄。地区の方も実施主体がわからんと言う。山木屋ではモデル地域の除染活動が行われていた。数十人の方々、JAEAと書かれているので原研の方々だと思うが、防護服、マスク、グラスで身を覆い各所でうごめいている(この表現が状況をうまく表している)。我々も町の担当の方も平服ですので、なんとも異様な光景。線量が高いので規定上JAEAとしては防護服を着ざるを得ないのだろうな。それにしても...。山の中では県の林業試験場が林床の除染実験を行っている。リターを取り除くと確かに数μSv/h下がっている。もっと早くできなかったのかとも思うが、少しずつ対策は進んでいる。現場に入り、地域の視点から対策を練る。そして発信していくことに価値があるのだと思う。(2011年11月27日)

福島の避難地域の除染を推進すべき

最近の報道では、広大な面積の除染はコストがかかりすぎるので現実的ではない、といった論調が見られるようになってきた。それはチェルノブイリの現実、それに基づくIAEAの提言によるところが多いと思われる。しかし、日本は日本の地域性を踏まえて検討すべきである。自然保護でもアメリカ型の「自然環境主義」、すなわち自然と人(ここでネイティブアメリカンは入っていないようである)を分離することにより自然を守るという考え方と、そこに住む人の立場から自然保護を考える「生活環境主義」という日本発の考え方がある。日本は人口密度が高く、簡単に人を地域と切り離すわけにはいかない。地域性の違いが異なる考え方を生んでいる。除染も同じ。地域性を考慮して、ほかの地域でそうだったから日本でも、という考え方は再検討すべき。また、コストがかかりすぎるのは市場経済のもとで考えているから。資材や労働をお金に換算して積算するとべらぼうな額になるだろう。しかし、お金に代わる価値を地域の方々が認めればコストを下げることができるのではないか。故郷は自らの力で復活させるという意思。外にいる者がこんなことを言うのははなはだ失礼なことであるが、地域がこの方法を選択し、国が支援すれば、迅速かつ低コストで除染が進むかもしれない。とにもかくにも人を、地域を切り捨てる政策だけはあってはならない。(2011年11月23日)

あなたの幸せが世界の幸せにつながる

朝日文化欄から。萩本欽一さんの震災支援。「よく知っている一人を幸せにし て、次の人へとつながるのがいい」。その通りだと思う。「目の前の人を思っ て行動 することが大切」。だから目の前をよく見ることが必要なんだな。こういう考え方は「グローカリズム」からも学んだ。世界 が良くなるためにはまず地域が良くなること。地球環境問題に対峙して、悩み抜いた環境社会学から出てきた考え方です。いつか、結婚式で こんな話をした事 もある。君たちが幸せになれば、世界が幸せになる。世界は個そして地域の集合体。だから一人一人そして地域が幸せになれば世界が幸せになる。ただし、ふと思う。ある人の幸せが別の人の犠牲を伴う場合。これは近代文明国家を目指した日本における都市と地方の関係といって良い。高度経済成長を経た日本の繁栄は地方の犠牲の上に成り立った。これは時代背景とともに、国民の間でコンセンサスもあったと考えて良いとは思う。しかし、成熟社会に入らなければならない現在では成り立たない。都市は地方を思いやらなければならない。ここが福島原発事故の対応として最も重要な観点である。もはや、地方は都市の犠牲にはならない。とはいえ、都市と地方は関係性は保ち続けなければならない。これからの時代で最も大切なことは人が都市と地方、都会と田舎を行き来できる精神的習慣を持つことである。これが幸せをもたらす。(2011年11月22日)

実花楽農園

畑からは大根、ほうれん草、ニンジンが収穫真っ最中。今日は暖かかったので採り切れない大根が苔立ちしないか心配。来週は秋ジャガイモを掘るつもり。ふと農場の名前を付けようと思い立ちました。ここは東習志野ですので、東習楽農園にしようかと思いましたが、最近この地区は実花と呼ばれている。私にはなじみがないのですが、1975年に実花小学校ができてからよく使われるようになったように思います。市役所のホームページを見たら由来がわかりました。享保期に実花小学校の付近に開かれた新田が実花新田と呼ばれていたそうな。実は実籾の実ですが、花が由来不明、ひょっとしたら花島新田かもしれないが記録がなく、距離が離れているのでよくわからんとのこと。離れているといっても4km程度。八丁堀から上野のお山と同じくらいですので、たいした距離ではない。私も子供の頃は花島観音までよく遊びに行きましたから、花島の花でもおかしくはない。そんなわけで由緒のある名前ということを認め、実花楽農園にしました。今日は収穫、それからほうれん草のトンネル栽培を試みてみました。うまくいったら冬でも収穫ができる。正月用の小松菜も必要ですから。(2011年11月20日)

ブータンとグローカリズム

ブータンのワンチュク国王と、ジェツン・ペマ王妃が帰国の途についた。訪日中の好感度は120%で、私もすっかりファンになってしまった。連日の報道であるが、ブータンはグローバリズムの流れの中で悩みも抱えているという。今朝の番組で、あるコメンテーターが「ブータンもグローバリズムの流れの中で様々な価値観を受け入れていかなければならない」、と発言していたように思う。それは正しいのだが、“グローバリズム”のとらえ方によって誤解を生じる可能性もある。多くの方々がグローバリズムと思っているのはアメリカのローカル思想であり、もう少し広く解釈しても一神教に由来する欧米思想に過ぎない。いろいろな価値感を尊重する新たな“グローバリズム”をブータンと一緒にアジア諸国が協力して作り上げていけないだろうか。経済だけに軸足を置かず、幸福を尺度とする世界のあり方を考えたい。こんなグローバリズムを考えよう。青臭いなんて批判して、わざわざ不幸を招かなくてもいいと思うよ。そんなことを思いましたが、よく考えたらグローカリズムと同義ではないか。世界が良くなるためには、まず地域が良くなる、という地球的地域主義。これも日本発の考え方。GNHの増大のためにはグローカリズムを大切にせにゃいかん。(2011年11月20日)

チャランゴでフォークソング

先週の土曜日にチャランゴを入手。ギターよりチャランゴを抱えている時間の方が長かった一週間であったが、その甲斐あってコードはだいぶ覚えた。スペイン語の教則本も手に入れ、フォルクローレっぽい曲も弾いてみた。高音の切ない響きがたまらない魅力であるが、ひとつ発見があった。60年代、70年代のフォークソングをつま弾くとなかなか良いのである。手元にFolk Song Collection by the Guitar Solo For Around 50という楽譜集があるのですが、たとえば、「悲しくてやりきれない」、「白い色は恋人の色」、「花の首飾り」、「イムジン河」、「風」、「花嫁」、などなど、ポロンと弾くとチャランゴの音色とマッチして、とっても心地よい。若者はこれらの曲を知らないだろうな。でも、これらの曲が唄われていた時代に生きた経験はアラフィフ、アラカンの世代の誇りでもあります。(2011年11月19日)

近況報告

しばらく書き込みをしなかった。それは心に余裕がなくなっていたということ。また心機一転、再開したい。この間はいろいろあった。10月20日から25日は中国に行った。今回は招待で、お金は2元しか使わなかった。有料トイレ1元、コーラ1元のみ。まず石家庄で中国科学院楽城農業生態系統試験站站30周年式典で祝辞を述べる。その後、ウルムチに飛び、新疆師範大学を訪問。客座教授の称号を頂く。無期限だそうだ。両方とも卒業生が招待してくれた。自分の人生もフェーズが変わってきたなとしみじみ思う。10月28日は市川市で市民講座。福島の話をする。11月5日も千葉市科学館主催の市民講座で福島の話。そして、今日は千葉大学主催の震災復興支援シンポジウムで福島の話。社会のための科学とは何か、という主張を込めたのだが、会場にいたサイエンティストの中には何を言うちょるか、と感じる方と、共感してくれる方の両方がおられると思う。一人でも共感してくださる方がおられれば満足だが、どうやら満足できそう。先週末はチャランゴを衝動買い。ネットで弾き方を調べて、なんとかコード弾きはできるようになった。目標はコスキン参加だが、こういうことを残る人生では大切にしたい。チャランゴはフォルクローレの楽器、コスキンは川俣町で開催されているフォルクローレのお祭り。(2011年11月15日)

「そうかそうか」と聴いてくれる

朝日朝刊から。中身は、「低姿勢」で姿勢が定まらないとされる野田首相に対する批判であるが、そんな批判に時間を費やさず、みんなでしっかりサポートして頂きたいと思う。リーダーシップについて考えると、「スナフキン型リーダー」、「寅さん型リーダー」を思い出す。これは大熊孝先生の「技術にも自治がある」(農文協人間選書)からの引用。スナフキンは豊富な知識でムーミン村の“蒙”を啓き、後進的矛盾を進歩によって解決していく典型的欧米型リーダー。それに対して寅さんはあっちにいって話を聞き、こっちでふんふんと頷く。そのうち、だんだんと折り合いがついていく日本的調整型リーダー。昨今の世の中は欧米型リーダーシップにとらわれすぎ。リーダーの足を引っ張るということは、欧米型リーダーシップに従う精神的習慣を持っていないのに、欧米型リーダーシップにこだわる日本人の悲しい性。都市と地方の矛盾は欧米型リーダーシップでは解決できまい。それぞれの人の“世界”が異なるから。実は昨日の災害フェローの講義の序論で同じ話をした。災害の復興は人の暮らしの復興であり、人の心の復興でもある。都市型価値観に基づき、遠くで決められたことを地域に押しつけられても、そうはすんなりと受け入れることはできまい。地域には地域の事情がある。地域ごとのたくさんの事情がある。地域と都会の両方を視野の中に入れて、その間で調整するリーダーシップの重要性に日本国民が気がつかないと被災地だけでなく、日本は良くなるまい。日本を良くしようとしたら、まず個々の地域が幸せになること。その先に、日本の幸せがある。普遍的な規範を一律に適用しようとしても、うまくはいかない。(2011年10月16日)

850万円の住宅

同じく朝日夕刊から。岩手県宮古市の地元の業者が建設費850万円の住宅を売り出したそうだ。800万円というのは中越地震からの山古志村の復興で、中島村長(現衆議院議員)ががんばって実現した価格である。今回は850万円で、ちょっとだけ高いが、耐震性が高く、ソーラーパネルまで付いているという。やはり800万円というのが一つの目安か。800万円台でという話は地理学会における中島議員の講演で聞いたと記憶している。住宅というのは地元の材を使い、分相応の大きさで、自分で手入れができ、そして安いのが良いと思う。市場経済の競争の中でもこの価格で住宅が建つのならば、人の暮らしはもっと余裕が出てくるのに。でも、都市では見栄が優先されてしまうだろうか。余った余裕を暮らしの充実に使うことができれば人はもっと幸せになれる。千葉だって杉の産地である。我々はもっともっと余裕のある暮らしができるのではないか。(2011年10月15日)

科学が役にたったかどうかということ

防災フェローの講義をやっていた同じ建物で地震学会のシンポジウムがあった。朝日夕刊によると東日本大震災に対する反省シンポジウムだったという。会員からのアンケートでは地震学が防災に役立つと思う回答は9割を超えたが、実際に役立っていると感じるかは7割、「全く役に立っていない」が5%とのこと。地震研究は(狭義の)サイエンスであり、その行為はサイエンスの内的要請に基づくもので、防災に役立つかという観点からは超越したものである。だから、質問の立て方が少しおかしい。地震学が役にたったかではなく、地震学が防災という共通の目的を共有する枠組みの中で役に立ったか、といった方が良い。とすると、もちろん少しは役に立ったといえるだろう。“少し”が不満なサイエンティストもいるだろうが、少しで十分なのである。問題の解決を共有するとはそういうこと。現場で実際に防災に役に立つということは、狭量なサイエンティストが考える単純なストーリーとは異なるものである。人や地域の持つ様々な事情を取り込んだ上で、折り合いを付けるということ。問題解決には真理がわかれば良いと思い込んでいるサイエンティストが増えてきたとしたら、それが大きな問題かもしれない。(2011年10月15日)

新しい時代の要請

防災フェロー「地理学演習」を何とか終えることができた。十分系統立った内容ではなかったが、地形図、空中写真、そして衛星画像を駆使して、地域の自然の特性を学ぶきっかけとして頂けたら、それはそれでうまくいったということにしても良いかなと思う。災害という課題は現場との交流がなければほとんど意味がない。現場とは地域であり、地域に暮らす人々である。今回は現場の方々と交流することができたことは最高に良かった。何らかの縁が生まれればさらにうれしい。災害は研究課題でもあるが、研究のための研究、予算や地位、名誉のための研究課題であったら、それは言語道断である。“解決の共有”を目指すべきとは思うが、大学という研究者の組織ではまだまだ難しい。古い時代の慣性を引きずっている方々が多いから。新しい時代の要請は何か。それは、論文数でも予算額でもないことだけは確かだと思うのだが。さて、帰りの新幹線も駅弁とビール。なぜ、これが良いのだろう。一人の世界を作ることができるからか。だとしたら、あまり良いことでもないなと思う。殻を壊さねば。(2011年10月15日)

新幹線とビールと駅弁と

静岡に向かう新幹線の中にいる。新幹線といったら駅弁とビール。これでまったりするのが一番。これが好き。今日はワインも付けた。周りに同じようなオヤジがいるのがまた安心感を与える。最近、新幹線に乗る出張も少なくなってきたが、夜の新幹線というのは味わいがあるものだ。都会を走っている時に、車窓から見える残業のビジネスマンたち。同じ時にレストランでくつろぐ人々。途中品川や新横浜で見る上りの列車の車窓の中の光景。様々な人生があることがまた何となく懐かしいような気分にさせる。今日泊まるホテルは朝食のスープが自慢だそうだ、これも楽しみ。明日の講義・演習は実は不安の方が大きい。自分の話す内容など周知のことなのではないか。生半可な研究者は現場の経験にはかなわない。でも、楽しんでやろう。このところ、やるべきことが多すぎて、十分な時間はとれなかったが、機会を与えてくれた牛山さんに感謝。研究者として今後の方向性を確固たるものにする機会を与えてくれた。明日はボロボロになるかもしれないが、その時は教訓としよう。(2011年10月14日)

異なる世界間の議論は可能なのだろうか

今日は重要な会議があったのだが、私の希望は叶えられなかった。どうも私はお人好しで、相手の考え方を尊重しすぎる。対立を避けたいという気持ちが強すぎる。これは私の一大欠点であり、これでは大志は達成できない。社会のための科学というのは、地位や名誉のための科学とは違う。問題の解決を共有する態度が必要であり、決してイニシアティブをとるということではない。未来志向が強すぎる主張、すなわち、将来のイノベーションのために、今の基礎研究が必要だという考え方も、あまりに無責任なような気がする。“科学のための科学”という科学からの内的要請には応えているのだが、責任を未来に押しつけてはならない。東日本大震災以来、少しずつ世の中の意識は変わってきているような気はする。現在そこにある問題にリモートセンシングを組み込むことこそがリモートセンシングが必要とされる意識を生むはず。しかし、何が重要かという議論は、個人の世界の広さと過去からの慣性に依存する。世界が異なると、議論もかみ合わない。それでも、説得するという行為が必要なのだが、私はそれを放棄してしまったことになるのだ思う。これは自己反省であり、あきらめ、にしてはいけないと思うが、自信がなくなってきた。(2011年10月14日)

自然と人間の距離

江戸時代までは“自然”という言葉はなかったそうだ。明治になり、近代化の推進が国是となったときに、文明に対するものとして自然という語が創造され、natureの訳語とされた。江戸時代までは人々は自然の一部で、自然というものを意識する必要はなかったという。川俣町山木屋地区の雑木林の中にいたとき、そのとき地震があり、樹々がわさわさと揺れた。赤松林の中にいると風がヒューと吹き、梢がざわめく。こんな時、自然と一体の自分を感じる。しかし、ここは数μSv/hの場所。暮らしを奪われた多くの方々がいる。その方々と話していると、皆さん、身近な自然のことはほんとに良く知っている。研究者はその専門分野しかわからないが、彼らは何でも知っている。除染の方法もたくさんの案をもっている。しかし、政治には届かない。除染は自然のことを一番知っている方々の意見を参考にすべきではないか。東京にいて小縮尺の地図の上で考える人と、地域にいて人の暮らしを見ている人の間の距離が遠すぎる。何とかメッセンジャーの役割はつとめられないだろうか、と思うが、現場にいる私たちと政治との距離も遠い。(2011年10月10日)

評価される者の幸せが評価の目的

職場の外部評価委員会が終わった。振り返ってみると委員会の雰囲気も初期の頃とだいぶ変わった。以前は、価値観の押しつけであったり、評価者の狭い世界観、自然観が顕わになってしまうことも多かった(恐らく本人は気がついていないのだが)。評価に対する考え方は少しずつではあるが、成熟しつつあると期待したい。私自身は具体的な業績を論うのではなく、基本的な考え方について述べた。そうすると、評価者にも真剣に考えていただける。とはいえ、プレゼンでは自身に対する“正当化バイアス”が確実にかかる。そこは真摯に自己評価を加えなければならないし、これから頂く意見に冷静に応じなければならない。サイエンスの目的は人が幸せになることであり(わかっていないサイエンティストも多いが)、評価の目的はCEReSの構成員が幸せになること。自分が幸せになることが人が幸せになること。これは地域が良くなることが、世界が良くなること、というグローカリズムの本来の意味から学んだこと。この考え方が浸透すれば世の中は良くなる。もちろん、自分の幸せが他人の不幸に依存してはだめ。それはエゴ。皆が幸せになる社会はあり得ると思うし、そこを目指しているのがアメリカで起きているデモの主張なのではないか。(2011年10月6日)

都市的世界の中の関係性

あっという間に10月も3日が過ぎ、仕事が捗っていないことに焦りを覚える月曜日である。秋の畑は結構やることが多く、昨日の日曜日はまずは猫にやられた畝を修復し、新たに小松菜の種をまいた。朝起きて畑を巡視して、愕然。三カ所も猫に穴を掘られている。この猫は飼い猫かどうかは不明なのだが、餌を与えている人がいる地域猫。近所からも苦情が出ているのですが、動物愛護で反撃してくるそうだ。この地域も都市化が進み、マンションの増加で人口も増えてきた。利便性が増すので良い点もあるのだが、都市の中で住むルールを再確認すしたいものだ。動物がかわいい、かわいそう、だから餌を与えるが、外で何をやっているかには頓着しない。これは都市住民のひとつのステレオタイプ、すなわち、関係性を意識しない都会人。震災では様々な関係性に気がついた方々も多いのだが、都市では失われるばかり。猫との関係性も大切にしたいのだが、まずは人との関係性を修復するにはどうしたら良いのか。まあ、猫には少しぐらいやられても気にしない、というのが良いのかもしれない。(2011年10月3日)

ンゴングヒル

BSで「愛と哀しみの果て」(Out of Africa)をやっている。今日は仕事をたくさん持ち帰ったのだが、つい見てしまう。私の初めての海外出張は1987年タンザニアだった。ナイロビで滞在中にタンネの家、そしてンゴングヒルを訪問した。出張前に映画を見て、アフリカのあの雰囲気に何となく魅せられていたので是非とも行きたかった。ンゴングヒルから初めて見たアフリカの大地溝帯とサバナの景観は一生忘れられないシーンとなった。アフリカに足を踏み入れた者は再びアフリカに帰るというが、さてまた行く機会はあるだろうか。女優さんは詳しくないが、タンネの役はメリル・ストリープだった。私でも彼女の名前は知っていた。実にかっこいい。役とはいえ、アウトドア的な行動をこなせる精神は欧米人には遺伝子に備わっているのだろうか。アウトドアといってもサバナの中でテントを張り、テーブル(クロス付き)と椅子とワインが出てくる。これは実は多くの現地の使用人によって成立している。ある意味、階級社会の姿でもある。なんて深読みせずに、単純に自然の中で優雅に過ごしたい欲求が高まってきた。ロバート・レッドフォードは映画撮影時は50歳くらいだったはず。欧米人は歳をとっても実に行動は若々しい。身体は老いても精神は若く保つことはできる。日本の男性が学ばねばならん点でもあるな。(2011年9月28日)

外部評価書類準備中

今、頭が痛いのは外部評価。もう昔の慣性は断ち切らなければならない。監査ではなく、組織をよくするための提案を期待したい。意見に対しては“なぜか”を明確に問うことにしようと思う。“研究のための研究”から“社会のための研究”へ移行するためには、明確な自然観、社会観、世界観に基づき議論する必要がある。これがないと議論にならず、力で押し切られるだけになってしまう。これまで研究者は“真理の探求”という甘美な言葉に依存しすぎていたと思う。基礎研究が将来役に立つのだという主張は、ある種の詐欺でもある。“いつかいっちょまえになるんや。そやから...”、演歌にもあった。社会との関係を主張する時に、未来志向が強すぎれば、それは単なるレトリック。基礎をやりたいのであれば、研究者の道楽を納税者に納得させるだけの発信がなければならない。現在何が問題なのか。今、問題を解くのだという、緊張感が研究者には必要だと思う。そうすると、問題の解決が共有でき、協働が生まれる。このような科学あるいはサイエンスに対して基礎研究者、いわゆるサイエンティストの大多数は無頓着に過ぎたと思う。(2011年9月28日)

玄米先生の弁当箱

最近どうも心身の調子が悪い。しばらく書き込みも途絶えてしまった。いろいろ考えすぎる性格が原因だとはわかっているが、すっきりしない。そこで、思い立って「玄米先生の弁当箱」全10巻をアマゾンで注文し、届いたところ。このコミックは来るべき社会に対する提言だと思う。同様な流れはあちこちにある。最近、学術会議では、「農業を活用した環境教育の充実に向けて」という報告があった。玄米先生では徴農制の提言があったが、時代を先取りしているのではないか。月刊「現代農業」を購読しているが、ここでも農的世界への流れが確実にあることがわかる。しかし、メジャーストリームにならないのはなぜか。それは世界が経済と結びついた都市的世界観に支配されているから。古き時代の慣性がまだまだある。日本および世界の現状を広い視野から俯瞰して、未来のあり方を考えなければならない。我々は都市的世界と農的世界を自由に行き来できる精神的習慣を持たなければならない。これが生き方の選択につながる。教育の目標の一つであり、目指すべき成熟社会のあり方のひとつでもある。何よりも幸せを増やすことになると思う。(2011年9月27日)

サイエンスの視点

朝日で「3月15日の雨、放射性物質運ぶ 原発方向に『帯』」という記事を見つけた。「福島第一原発から北西に帯状に延びた高濃度の放射能汚染地帯は、3月15日午後の気象条件が重なり形成されたことが原子力機構の解析でわかった」とのことで英文ジャーナルに掲載されたそうだ。でも、現場で何が起きたかはすでにわかっていること。その雨、雪を身に受けた方々がその体験を語っている。すでに多くの方々、組織が発信している情報である。DOE(米国エネルギー省)が航空機観測の結果を公表したのは3月下旬、その頃日本の研究者も続々飯舘周辺で観測を行っていた。次に、「2号機の事故で放出された大量の放射性物質が雨で地表に落ちた。降雨がなければ、汚染度は大幅に低くなったという」、と続く。降雨があったから、飯舘をはじめとする原発北西方向の被災地域がほとんどすべてを引き受けてしまった。降雨がなかったら...どうなっていたか。中通りの都市域やもっと広域が汚染された可能性もある。“降雨がなければ”の後が違う!(狭義の)サイエンスの立場としては、どの原子炉からどのようなプロセスで放射性物質が放出されたのか、どのようなメカニズムで拡散し、沈着したのか、という一連の経緯を科学の手続きに則ってまとめ、英文ジャーナルで公表することにより世界中で知識・経験を共有する、これが“わかった”ということになります。この手続きを完成させ、論文を書いた研究者の業績にはなったでしょうが、その視点は地域にはないことは明らか。ここは異論があるかもしれないが、私は災害の現場における実践を重視したい。サイエンスは人類の幸福に貢献することが目標であることは世界のサイエンティストのコンセンサスです。でも、人類の幸福と地域の人々の幸福とが乖離してしまっている。これは都市的世界観を持つ方々の世界における認識と考えて良いだろう。当然ながら地方、田舎を含めた世界の幸せを目指さなければならない。とはいっても、地域によりそうことは不断の努力、継続が必要。研究の方が楽。だからサイエンスと社会が乖離していくのだろうか。あるいは最初から地方は視野に入っていないのだろうか。震災を巡る政治を見ているとそんな気さえしてくる。いずれにせよ、地域の時代はすでに始まっていることは確実である。(2011年9月8日)

エリートパニック

朝日でこの言葉を知った。災害社会学者カスリーン・ティアニーが主に公的機関や、通常、一定の権力を行使できる立場にいる人々が災害時には往々にしてパニックに陥る例があることから、そのような行動を「エリートパニック」と表現したとのこと。テロや災害を巡るブッシュ前大統領や福島第一原発事故を巡る日本政府、関係諸機関の対応など、様々な事例がある。今、職場の外部評価の準備をしているが、これまでの外部評価では偉い外部委員の先生方が格好いいことを述べて、我々を困らせることがよくあった。これも一種のエリートパニックではないかな。何か良いことをいわなくちゃ、とパニックに陥る。今までは適当にあしらっておけば良かったのだが、時代は変わっている。実質的な評価、職場をよくするための評価にして頂かないと雑用をこなす意味がない。評価意見に対する考え方もきちんと表明していきたいと思う。そこで、いくつかの文書を読んでいるのだが、まず学術会議の「社会のための学術としての『知の統合』−その具現に向けて−」。知の統合は重要なキーワードであるが、中身には違和感がある。「知の統合」が震災を含む様々な問題の解決を目的としていると書いてあるが、文書の中で述べられている格好のいい枠組み、技術、提案などは問題の解決ではなく、問題を共有しているだけ。一番の問題は研究者の極端な論文指向、名誉指向にあるのではないか。委員の方々がエリートパニックに陥っているのかもしれない。また、第4期科学技術基本政策の修正に関する文書を読んでみると、その骨子は「科学のための科学から社会のための科学」だなと思う。そうならば問題の解決の共有こそが目指すべき方向性であり、解決を共有したときに、それぞれの分野や研究者の役割の重要性は相対化される。地位、名誉のための科学をやっている場合ではなくなる。ここを研究者が乗り越えられるかどうか、協働することができるかどうか。この点に研究者が新しい時代に対応できるかどうか、がかかっている。(2011年9月4日)

防災の日

関東大震災から88年目。今日が防災の日であることを知らない人もいるようだ。東日本大震災を経験した今でも、災害のわがこと化、遠くの地域との関連性の認識が十分でないことを感じる。この数ヶ月、災害に対応することは自分の行動の中心にあった。津波被害の跡地で“その時”を想い、福島には通い詰めた。これまで減災のためには自然を知ることだと主張してきたが、事故という災害を前に、技術を知ることも重要であることを痛感した。現代は“緊張のシステム”で運営されている。文明社会の野蛮人にならないように注意しながら“緊張のシステム”の運営を進めるか。それとも、“共貧のシステム”に移行するか。私の主張は両方のシステムを行き来できる精神的習慣を持つこと。未来社会のあり方としてはそれしかないのではないかと思う。教育と実践がますます重要になってくる。(2011年9月1日)

「故郷(ふるさと)」は国歌にふさわしいか

実にいい曲だと思います。朝日の声欄でこの故郷を国歌にしたらという提案がありました。でも歌詞をよく聞いてください。これは故郷を離れて都会へ出て行ったものが故郷を懐かしむ詩です。遠い明治の時代、文部省により“日本独自の音楽文化の発展をめざす”として生まれてきたのが“唱歌”。でも、初期の唱歌は賛美歌の旋律をそのまま引用したものだったそうです。例えば、「蛍の光」や「むすんでひらいて」。音楽の国家管理への反発から生まれたのが「真白き富士の嶺」や「しゃぼん玉」。そこで官側も負けじと出してきたのが“尋常小学校唱歌”と呼ばれるジャンルで「故郷」もそのひとつ。近代国家構築のため、都会は地方から人を吸収して発展してきた。近代日本の歴史がこの唄に刻まれている。都市を中核とする日本の発展モデルはすでに行き詰まったのではないか。「故郷」を去るのではなく、故郷こそが人の営みの中心となる社会、中心はたくさんあって良い、そんな社会を目指すべきではないか。こんな時代もあったなと昔を思い出す唄、そんな唄に「故郷」がなれば良い。ここの蘊蓄は内山節さん、岡崎倫典さんの文章がもと。(2011年8月24日)

田舎、家族、身近な食材、...

「親父が死んだ。その時、俺は...」。いい話だな。ビッグコミックオリジナル2011.9.5号より。「ひよっこ料理人」もいい。「玄米先生の弁当箱」は終わってしまったが、これもいい。農の世界である田舎、家族、食、...。現代人はまだ忘れていない。農的世界では人と自然の関係性は依然としてそこにある。家族は強い絆で結ばれている。食材と人の関係性が断ち切られていない。自然と人は一体である(自然は明治になってからの造語)。でも、都会では様々な関係性が分断されている。それでも関係性を大切にする世界がまだ求められている。しかし、田舎育ちの経験を持つ都会人も都会生まれの都会人と交代しつつある。都市的世界しか知らない世代と田舎の関係性をつくっていかなければこの国の未来は危ういような気がする。(2011年8月22日)

陰徳と陽徳

ごろ寝奉行の言。「世の中には陰徳と陽徳ってえのがあるんだよな」。「陰徳ってえのはな、世の中の人々に気づかれねえようにだ、密かに良いことをするってこった」。「ほんでよう陽徳ってのはよ、世の中の人々に拍手喝采を求めての行いってことだ」。幕府のは陽徳でいいんだよ。政治(まつりごと)だからな。...(浮浪雲より)。これは安政江戸地震の後の御救小屋を巡る話(ビッグコミックオリジナル2011.9.5号)。昨日まで福島に行っていましたが、5月の連休以降8回目になりました。褒められるためにやっているのではないのですが、モニタリングの成果は公にしていかなければ意味がない。ここで徳を問題にするとかっこわるくなる。ひとつの思いは環境や災害研究は勝手にやっている研究では意味がないということ。地域と関係性を持たない環境研究や災害研究はあり得ない。まあそんな大上段に考えなくとも、単に阿武隈山地が好きだから、で良い。昨日は二本松の山中で隠津島神社を見つけた。実にすばらしい場所。飯舘の山津見神社もいずれ登らねば。好きだから通っているで良い。(2011年8月21日)

復興計画、大学生こそ議論を

朝日、声欄に投稿された大学生の高橋君の意見。そのとおりだよ、高橋君。でも、その前に、日本がどういう“世界”から構成されているか、俯瞰的な視点から眺めて考えてほしい。君の知らない“世界”もあるはず。人は皆それぞれの“世界”を持っている。都市的世界、農村的世界、...。それぞれの世界観が描く幸せ、そして復興計画はおそらく異なる。都市に住んでグローバルな視点を持っている人、地域にいて人の暮らしを見ている人、いろいろな人が考える幸せは様々。国際社会における競争に勝たなければ幸せになれない、というのは一つの世界観に基づく思い込みに過ぎない。まず、日本および世界を俯瞰する。豊かになることだけを目的とせずに、安心して、楽しく、少し豊かに、そして誇りを持って暮らすことができる社会について考えてほしい。(2011年8月12日)

鎮魂の松−燃えず

結局「京都五山送り火」で「高田松原」の薪は燃えることがなかった。検出された放射性セシウムの量は1130Bq/kgという。表皮だから一番沈着が多い部分を削って測定した値。土壌の場合の換算式を使うと約0.17μSv/h(Cs134と137がある場合で、あくまでも目安)。バックグランドに近い値。煙で内部被曝すれば安全とはいえないが、とくに危険ともいえない。有意な健康被害が出ていない値だから大丈夫というのは科学技術主義の考え方だろう。でも、放射能が原発由来とすれば、考え方は多様になる。人の心は揺れている状況で、まだコンセンサスはない。私は燃やせば良かったと思う。原発に依存している我々は、原発を運用するということがどういうことか、身をもって感じ取る必要がある。“緊張のシステム”である原発の運用は受益者すべてが原発のメカニズムや放射線に関する基本リテラシーをもってあたるべきである。それが無理ならやめた方が良い。 (2011年8月12日)

一部と全部

「高田松原」の「京都五山送り火」への受け入れ先は五山あり、拒否は「大文字保存会」のみであった。一部の行為が全体の行為と判断されてしまう危険性もあった。しかし、送り火は地域の伝統行事であり、ひとつの地域が判断したことに対して京都市の対応も難しかったことも理解できる。昨日「良識は遅れて発動する」と書いたが、ある判断が良識であることを強要することもまた問題なのかも知れない。大文字保存会の方々は福島の先から持ってくる薪に不安を抱いた。これは原発に対するアンチテーゼでもある。(2011年8月11日)

任せて文句を言う社会

これが日本。朝日朝刊における宮台さんのオピニオンから。『日本は「引き受けて考える社会」ではなく「任せて文句を言う社会」。任せられた側については「知識を尊重する社会」ではなく「空気に支配される社会」』。その通りと思う国民がまた文句を言ったり、空気に流される。これが人の性なのでしょう。自分の考え方を持ち、主張するだけでなく、様々な考え方、視点を尊重し、折り合いを見つけることができる「心の習慣」を持たなければならない。今こそ。(2011年8月11日)

良識は遅れて発動する

結局、陸前高田の名勝の松からつくった薪は京都の大文字焼きで燃やされることになった。ノイジー・マイノリティーと対峙したとき、人は怯んでしまうもの。しょうがない。でも、じっくり考えるとおかしいことはすぐわかる。サイレント・マジョリティーの心を汲むことができる精神的習慣を常に磨いておかなければ。(2011年8月10日)

鎮魂の松拒む−本当の意味

陸前高田の名勝の松からつくった薪を京都の大文字焼きで燃やそうとするイベントが風評のため中止された。京都市は市民(といってもノイジーマイノリティーだが)の声を取り入れて、鎮魂の薪の受け入れを拒んだ。どんどん拒もう。そして、日本人には原発を運用する力が無いことを大いにアピールしよう。緊張のシステムである原発を運用する国民力はないのだと。京都は近くにたくさんの原発があり、不安なのだと。原発を運用するには放射能に対する基礎リテラシーが国民には必要。でも、私たちにはそんなリテラシーはないのだと。原発のメリットだけを享受したいのだと...。そんなわがままはありえないのだが。どうか陸前高田の方々はこんな風に解釈してやってください。きちんとリテラシーを身に付けて頂いて、原発は都会に作って頂こう。日本のエネルギー政策に新しい潮流が出来ますように。(2011年8月9日)

復興くじ

発売期間ぎりぎりに復興くじを購入。ついでに過去の宝くじのはずれ券を3束を持って行き、換金。私は必ず10枚連番で買うので900円は戻ってくるはず。そしたら3000円も当たっており、3900円になった。少々買ったので、当たる確率が少し上がった。先月末は福島にいたが、少々被曝もありました。ということは発癌の可能性が少し上がったということ。もちろん、確率が少し上がったということで、必ず発癌するということではない。しかし、自然レベル以上の被曝をしたことは確実。安全だとはいえず、危険という訳でもない。これをどう受け止めるかは個人の考え方による。自分の考え方に基づき正しく判断し、正しく恐れる必要がある。もちろん、暮らしの中で被曝した人は国、東電、社会による被害者。私とは違う。(2011年8月8日)

へこたれない

気にしないから/へこたれない。月始めに出張したため、ちょっと遅れて犬川柳カレンダーをめくる。と、この川柳に再会する。へこたれない/気にしないから/へこたれない。いろいろ気にしちゃうからへこたれてしまう。これが自分の弱点だなと常々思っているのですが、やはりいろいろな事を考えすぎてブレーキになってしまう。研究者の世界でも偉い人は失礼な方が多い。だから偉くなる。偉くなって、定年になっても地位にしがみついて。そんな人間にはなりたくはないな。へこたれ人生でもいいかなと思い直す。(2011年8月4日)

日本の総合力

水文・水資源学会、地下水学会による三陸地方地下水調査に参加してきました。仙台から始まり、釜石、陸前高田、南三陸町、そしてまた仙台へと東北を巡ることができましたが、北上山地ののどかな風景とは裏腹に、沿岸部ではどこもすさまじい光景が広がっていました。しかし、地震から5ヶ月が経って、一つの平衡状態にあるように感じます。ただ、これを次の段階に進めるためには莫大な時間、手間、予算がかかると思います。そこをどうブレークスルーするか。これはすべての関連セクターが一体となって議論しながら対策を進めていかなければならない仕事。東京で考えた策のトップダウンでは決してうまく進まない。否応なく地域の主体性を発揮しなければならない課題である。この課題を乗り越えることができるか、という点に日本の総合力がかかっていると思う。(2011年8月3日)

試練のわがこと化

仙台市若林区の防災用井戸の調査に来ています。津波と原発事故は本質的な意味合いが異なると7月28日に書きましたが、今という時間断面ではそんなことは関係無く、悲しみの深さは比較しようがないことがしみじみわかる。行政の方針が決まらないために家を直せない人、自力で修復を始めたために、仮に移転の方針が示されたとしても動けない人。地域が身動きがとれなくなっている状況がある。何より、ここには死が満ちていた。地震後一月もすると異臭が漂ってくる。それでようやく居場所がわかるのだが、そこには幼児や小学生が待っていたと。今、地域に大きな試練が与えられている。この試練を日本人全体がわがこと化できるだろうか。(2011年8月1日)

“希望”と“諦め”の間の葛藤

四日間の飯舘村調査が終わった。今回もよく走った。負げねど飯舘の皆さん、特に菅野さんにはお世話になった。飯舘には菅野さんはたくさんいるのだが、そのルーツは菅原道真公まで遡るそうだ。その歴史が危機に瀕している。菅野さんに軽トラを出して頂いたおかげで、幹線道路だけでなく山の中まで空間線量率を計測することができた。まず実態を知ることが重要だとは言えるが、その結果をどのように役立てたら良いのだろうか。今、村は“希望”と“諦め”の間で葛藤している様に見える。空間線量率が高いことがわかったとしても、希望には繋がらない。少なくとも諦めから脱して行動に繋げることができれば、などと思っても所詮“外からの目線”でしかない。それでも“内からの目線”を理解するように努め、自己満足でも良いので発信していきたい。内からの目線に立つためには仲間になる必要があるが、日本の社会ではハードルは高いかも知れない。特に私のような性格では。しかし、ドイツでは都市と田舎の距離が日本より遥かに近いのではないか(石井素介、「国土保全の思想]、古今書院参照)。このような社会が私の理想とするところであるのだが(2011年4月1日参照)、この大震災が日本がそんな社会へ向かうきっかけになればよい。(2011年7月28日)

避難の意味

25日から福島に来ているが、最終日である今日は川俣村役場に寄り、今後の調査を約束する。今回は少々疲れがたまったので早めに帰途につくことにする。まず、道の駅に寄り、前回買えなかった川俣シャモの燻製やソーセージを買い込む。ここで山木屋チーズサブレを発見。これは文科省調査でお世話になっている高橋牧場の製品ではないか。計画避難の直前にお宅を整理しているところを訪問させて頂いた。このチーズサブレは最後の製品だったのかも知れない。一箱購入させて頂いて、味をかみしめることにする。突然生業を奪われ、住処を追われ、家族が離ればなれになってしまう。結果は多くの震災の被災者と同じかも知れない。しかし、原発事故により故郷を去らねばならないことの意味合いはまったく異なるのではないか。我々はその意味するところを十分に考え、自らの依って立つ文明のあり方を再考すべきだと思う。(2011年7月28日)

センス・オブ・ワンダー

「半農半X」から。これはレイチェル・カーソンの著作。「生まれつき備わっている子どものsense of wonder(自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性)をいつも新鮮に保ち続けるためには私たちが住んでいる世界の喜び、感激などを子どもと一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が少なくともひとりそばにいる必要があります」。「センス・オブ・ワンダーを育んだ人は人生に疲れることはない」。これは大学生活についても言える。自分が研究する課題の重要性を認識し、発見や達成を通して、感動を積み重ねていけば大学生活に疲れることはない。進むべき道は自ずから開かれる。なのに、関係性を意識せずに一人で悩む学生が多い。ここをどう伝えたらよいのか。禅宗では「そつ(口偏に卒)啄」といって、師と弟子が心を合わせて悟りを生むという教えがあるという。教員の教えたい気持ち、学生の成長したい気持ちが一つになったとき、学生は伸びていく。ただ、最近の学生は大学より大事なものが外の世界にあると考えているようにも思う。大学はもはや期待されていないのか。まあ、そんな風に思う必要はなく、社会全体の問題として捉えていかなければならないだろう。(2011年7月24日)

晴耕雨創

ちょっと古くなってしまったが「半農半Xという生き方」(塩見直紀、ソニーマガジンズ)を読んでいる。そこで、この言葉を知った。元は故川喜多二郎の提唱。雨が降ったら読書ばかりでなく、頭を使う創造的活動をしようと。この創造に関連して「共創」という言葉もこの本のどこかに書いてあった。競争ではなく、共創。そのためには協調も必要。共に一緒に考えて創り出そうという考え方。問題を解決しようとすると、ある一定レベルまでは「普遍性」、例えば普遍的な技術で解決できる。しかし、それ以上の改善は総合的な視点に立ち、様々な立場の協調、協働でしか達成できない。競争とはトップレベルの解決をもたらすものではない。晴れている日は耕し、雨の日は立ち止まって考え、集まって共創したらどうか。これが今の日本に最も求められていること。(2011年7月24日)

都市と地方の関係の意識改革こそ

朝日の「ニッポン前へ委員会」の提言の中に「有給の支援隊創設」という案がある。就職先が決まらない若者を対象に国が研修を行った上で、被災地に派遣するというもの。案自体は悪くはないが、都会の若者の応募がどれだけあるかが心配(もちろん、地方の若者の支援になれば良い)。都会の若者の多くは都会の企業に就職したい。それが幸せにつながるとは考えていないが、それしか選択肢がないと考えている(例えば、4月27日参照)。就農したり地方への就職は“負け組”という意識もあるらしい。実際に学生から聞きました。いや、違うんだ。都市と地方、どちらにも幸せはある。競争の中で力を発揮するか、恵まれた自然や人間関係の中で心豊かな生活を目指すか。“世界”の仕組みを理解した上での選択であることに気が付いて欲しい。一番大切なことは都市と地方の関係に対する国民全般の意識改革。これが出来るかどうかという点に日本の未来がかかっている。地方、特に被災県の若者が幸せになる様を見せつけて都会の若者の意識改革に繋がったらおもしろい。(2011年7月22日)

表面汚染用サーべイメーター

すぐに届きました。富士電機さんありがとう。実は型番を間違えており、箱をあけて形が違うのでびっくり。相変わらずおっちょこちょいである。とはいえ高機能の方を買ったので、問題はありません。さっそく動作させる。やはり機器を動かしてはじめて測定法は理解できる。マニュアルを読み、WEBで勉強し、動かしながらだんだんわかってきました。来週は飯舘村で試してみる予定。地域の方と一緒に、議論しながら使っていきたいと思う。先ほど、ニュースで細野原発事故担当相が福島で放射能を詳細に計測するんだと言ってましたが、私の出番は無くなるだろうか。恐らくそんなことはないはず。地域と一緒に考えながら行う観測こそ、地域のための行動を生み出すのではないか。そうありたいと思う。(2011年7月21日)

大学と社会の関係

今日は学長、理事との懇談会という行事がありました。千葉大学を良くしようという意図はわかるのですが、“良くなる”ということは予算を一杯取って、論文が一杯出て、外国人と付き合って、という事なんだろうか。“管理”のために心を排除した理事もおりましたが(6月7日参照)、発言はありませんでした。聞きたかった。評価って何だろうか、また長期的展望を持った人事とはどうあるべきか。今日は発言はしませんでしたが、まぁ、言っても無駄であろう。実は偉い皆さん方も心の中ではわかっている。しかし、過去からの慣性、地位、名誉が心の底にあるものを主張することを躊躇わせているのだろう。私は主張よりも実践がまず大切だと考え、行動することにする。(2011年7月21日)

公開、それとも非公開

文科省の「放射線量等分布マップの作成等に係る検討会(第2回)配付資料」の議題5「走行サーべイ結果の取り扱いについて」に関して、非公開とする理由として以下のように説明されている。マップの公開が「検証が終わっていない生データなど未成熟な情報や事実関係の確認が不十分な情報などを公にすることにより、国民の誤解や憶測を招き、風評被害など不当に測定対象地域の方の間に混乱を生じさせるおそれがある場合」に該当し、「測定対象地域の利益を害するおそれがある場合」になるという判断。風評のもとになる一般には公開しないが、現場には迅速に情報を伝えるということだろうか。そうであったならば、放射性物質で汚染された飼料を牛が食べることはなかった。現場には伝わっていないのだろう。風評は現実的で深刻な問題ではあるが、国としては出荷される製品の安全を保証するシステムを作り上げることが先決ではないか。風評を情報公開が遅れる理由にしてはいけない。また、情報を隠して統治するという過去の時代の慣性からは脱却しなければこの国の未来はない。私としては地域の中からの目線に立脚し、地域で必要とされることを地域の方々と一緒にやっていきたい。(2011年7月19日)

ヒトと交わらない世界−でも生きてる

我が家の畑にはトカゲもいるし、バッタもいる。芋虫もいるし、野鳥もやってくる。アカハラというツグミの仲間はかわいかった。畑を荒らす猫も、仕事をしない犬もいます。いてもおかしくはないとは思っていましたが、とうとう出会いました。へびへび。どうやらアオダイショウのようです。最後に見たのは1960年代だと思いますので、40年以上にわたって代を繋いでいたわけです。私はヘビは怖い質ですが、ちょっと愛しいような気もします。今は使っていない家の縁の下に消えていきましたが、この家はいずれ壊さなければならないと思っています。でも、ヒトの都合でこの家がなくなったらヘビの家族はどうなるのか。都会人の都合で故郷を出なければならなかった福島の方々のことが一瞬頭を過ぎる。たとえは悪いかも知れなせんが、とにかくヘビの幸せを考えねばならん。さて、どうしたものかと思う。(2011年7月18日)

「内からのまなざし」と「外からのまなざし」

最近読書のスピードが落ちている。それでもようやく一冊読み終えた。「百姓学宣言−経済を中心にしない生き方」、宇根豊著、農文協。この本の中で再三言及されている「内からのまなざし」と「外からのまなざし」は昨今の様々な問題に関する議論がなぜ不毛かを理解するための重要な視点だと思う。都市と地方、普遍性探究型科学と関係性探究型科学、グローバル市場経済と地域の暮らし、などなど、まなざしの向きが異なる二つの関係性。この二つが交わらないことが多くの議論がかみ合わない根本的な理由となっている。二つの世界を包含する視点、これが問題の理解にまず必要なのだが。震災復興はまず二つのまなざしの出会いから。(2011年7月17日)

行政の力とは−行政・研究者・現場の協働

福島県では南相馬に続いて浅川町でも牛肉から国の暫定規制値を超える放射性セシウムが検出され、政府は福島県全域で出荷停止を検討しているとのこと。行政の役割は見つけたら規制するだけだなのか。チェルノブイリ20年の報告書では、クリーンフィーディング、プルシアンブルーといったセシウム結合剤の投与といった対策がちゃんと記載されている。今朝の朝日でも記者がこのことを指摘している。地域の生業に重大な影響を及ぼす事象に対しては行政は情報を収集し、対策を策定し、現場に適用することができる力を備えてほしい。いや、公僕たるもの備えるべきである。文系だから、なんていわないでほしい。研究者セクターは何をやっていたか。実は大いなる努力があることは知っています。しかし、なかなか現場と結びつかない。現場はどうか。科学の成果を受け入れるリテラシーを持った農家も増えている(農家が科学者を超えている面もあるのだが)。研究者・行政・現場はもっと近くなければならない。研究者は地位と名誉(いわゆる業績)などは廃し、問題解決を共有する立場で協働することが必要。真理の探究を目指して論文作成に明け暮れる研究者はもはや社会から信頼されてはいない。それではあかん。サイエンスの意味を取り違えている場合ではない。(2011年7月16日)

表面汚染測定用サーべーメーター発注

予算が使えるようになったので、来週の飯舘村調査に間に合うように表面汚染測定用のサーべーメーターを導入しようとしたところ、日立アロカメディカル社では納期が秋になるとのこと。送って頂けるはずの見積書も届かない。まったく時間の浪費ですが、こんな時期だからしょうがないと思っていたら、研究者仲間から富士電機を紹介頂いた。金曜の夜で営業時間は終わっていたが、とりあえずメールを送ってみる。そしたら週末の夜にも関わらず返事を頂く。早速発注することとした。アロカは業界標準ですので注文が殺到しているのだろう。しかし、ブランドでないから精度が落ちるなんてことはない。富士電機の営業の方にはお休み中にも関わらず仕事をさせてしまいましたが、こういう態度が好感を生み、会社を育てていくのではないか。ありがたい。放射性物質に関する調査は研究にしようと思ったらそこで終わると思います。研究という意識を廃して、何かしらのアクションに結びつける何かを生み出せたら、と考えています。(2011年7月15日)

「までい」の精神が新しい時代をつくる

今日は午後から中山間地フォーラムシンポジウムで「までい」の村、飯舘村の方々の話を聞きに出かける予定。最近、土日が出かけることが多くなったため、収穫と畑の手入れがおろそかになっている。まず、高線量地域を走った愛車を久々に洗車。特に除染は必要ないとは思いますが、汚れていましたのできれいにしたということ。その後、収穫。今日は枝豆を初収穫しましたが、昼にかみさんに茹でてもらって食したら美味いこと。キュウリも順調にとれるようになってきた。さて、シャワーを浴びて、東京に向かう。シンポジウムではまず飯舘村の菅野村長の話を聞く。対策とは都会目線ではなく、地域目線で行わなければならないことを改めて痛感。誰のための対策か。数字に基づき粛々と統治する、なんてやられてしまったらたまらない。人は人であり、ものではない。都会の世界観と地域の世界観の乖離が今後ますます顕わになってくるだろう。ここが解決すべき最も重要な問題である。民宿を経営していた(過去形が悲しい)佐野ハツノさんはなんて明るいのだろう。でも悔しさは十分伝わってくる。この方々のために日本は何ができるか。この国の未来がその行為にかかっていると思う。土壌についてお話を伺った溝口先生ですが、放射性物質汚染の現状、対策については地域はもとより研究者間でも情報の交流ができていないことを実感。私も、地域と調査・研究のインタフェースとして機能したい旨を発言。いかに地域の視線を持つか、そのためには研究なんて意識は邪魔なだけ。いろいろな言い方がありますが、モード2サイエンスを機能させる機会でもある。問題だけを共有して論文作成に励むか、問題の解決を共有して役割分担するか。研究者はこの壁を乗り越えることができるだろうか。「までい」の精神はスローライフだけではない。念入り、丁重、実直、まじめ、正直、そして倹約でつつましいさま、などなどこれからの社会のあり方を指し示す生き方そのものである。(2011年7月10日)

古い時代の慣性を断ち切る

玄海原発はストレステストを巡る政府内の混乱により、運転再開は困難な状況になりました。その理由のひとつに、一度安全宣言が出されたのに、さらにストレスチェックを行うとは、安全ではなかったということなのか、といった主張があります。複雑なシステムというのは完璧はあり得ないのだから、安全検査はいくらやってもいいのではないかと私は思うのですが、やはり玄海町長は原発再起動は望んでいなかったのではないかと思います。一端、安全といったのだから安全でなければこまる、というのは、“安全かどうか”、ではなく、“安全ということになったかどうか”、を重要と考える旧態已然の態度であり、玄海町長が旧態已然の首長でなければ、ごたごたを利用して本音を貫いたということでしょう。問題は原発支持を促すサクラメールの依頼の件の方にあります。メールを送信した課長クラスという方は会社のためによかれと思ってやったのだと思う。これも旧態已然の態度であった。今や古い時代の慣性から脱却し、新しい視点に立たなければならない。時代の過渡期には古い時代の慣性から抜けられない方々と、新しい時代を予見している方々とのコンフリクトが生じるものです。(2011年7月7日)

異なる世界

松本前復興大臣はなぜあんな言動をしたのか。生物多様性条約のCOP10では名古屋議定書をまとめるという偉業を成し遂げた。有能な政治家であることは間違いない。ただし、松本前大臣と地元の方々の世界が交わらなかった。松本さんは、都会にいて外を見ている。一方、村井宮城県知事らは地域にいて人の暮らしを見ている。この二つの世界が交わらなかった。もう一つは普遍性によって統治するという世界観と、多様で複雑な状況の中で協働しながら折り合いをつけるという地域の世界観、これが交わらなかった。前者は都会の世界観、後者は地方の世界観。この二つの世界は交わらなければならない。人々が二つの世界を行き来できる精神的習慣を身に付けること。これがこれからの日本の目指すところであると私は考える。(2011年7月5日)

土地と人

飯舘村の比曽地区、浪江町の赤宇木。空中線量率が高い地域で、計画避難が終わっている地区ですが、人がいる。比曽では畑の除草をやっているようだ。赤宇木では山の手入れのように見える。放射能が高いから非難せよ、といわれても、畑や山が気になるのは当たり前。空間線量率の値だけで人の存在を区切ってしまうのは、都市的考え方。都市にいて外を見る視線。地域にいて人の暮らしを見る視線からは、土地を思う人の心は容易に理解できる。水害のときにお年寄りが田んぼを見に行き、被災してしまうことがよくあるが、行くなと言ったって、行ってしまう。土地が、畑が、山が愛しいのである。そんな方々の未来をこれからどうしたらよいのだろう。東電の電力に依存してきた身として、できることはやりたい。でも、できることとは何か。それを探さなければならない。(2011年7月3日)


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