口は禍の門

この三ヶ月は大震災のことを考え続けた。津波、液状化は多くの人を傷つけたが、いずれ復興するだろう。しかし、放射能汚染はそうではない。暮らしの場が、故郷が突然失われてしまったのである。日本は高度経済成長の中で都市と地方が分断されていた。日本は都市的世界観によって運営される国になってしまったが、実は広く豊かな地方が残っている。もしも、もしも、傷ついた部分は切り離して、都市的世界を維持しようとしたら、日本に未来はない。だから、福島を忘れない。震災以降、福島を訪れるきっかけを探して騒いでいたら、だんだん縁がでてきた。5月以降、4回訪れることができたが、これから何度も足を運ぶことになるでしょう。(2011年6月30日)

世界は変わる。いや、変わらにゃあかん。世界といってもグローバルではない。個人の意識する世界のこと。しかし、二つの世界が峻別されていないことから様々な問題が起こる。日本だけでなく世界は劇場型社会になった。テレビの向こうにあるものを現実としてとらえることができず、“個人の世界”は“地球にある様々な世界”との関係性を意識することができなくなった。2011年3月11日は一生忘れることはないだろう。自然の力を思い知った。原発事故は近代文明の破綻ともいえる。否応なく自分との関係性を意識せざるをえない。その過程で、現場で苦しみ、がんばる方々を意識し、応援せざるを得なくなる。個人の世界は今までになく広がりを見せることになる。今まで遮断されていた関係性が復活することによって日本は新しい社会への扉を開ける機会を得たともいえる。(2011年4月1日)

いよいよ2011年が始まった。今年考えたいことは、昨年から気になっていたこと、元日の新聞記事にも取り上げられたこと。それは学生の専門性をいかに高めるか、ということ。もし、学生が“解くべき課題”を“わがこと化”できていれば、それを解くための専門的知識を得るための環境は日本の大学には十分整えられている。世界の中の私、社会のなかの私、という意識が学生の中に醸成されれば、必要な情報を探し出す力も身に付くはず。議論を通じて教員の力も活かされる。でも、まだ充分うまくいっていない。それは私自身の力不足であるとともに、日本の社会の問題でもあり、大学自身の問題でもある。世界、社会、自然の仕組みと相互の関係性を意識し、その中で自分を活かせる術を見つける力を学生に伝えたいと思う。これが“生きる力”。社会に対しては、人の専門性を活かす仕組みを作ること。これを主張しつつ、考えていきたい。(2011年1月1日)

2010年12月までの書き込み


東日本大震災を巡る千葉大学の役割に関する検討会

こういう検討会を開催しました。園芸学部、工学部、看護学部、楽学部、文学部、理学部、たくさんの部局の有志に集まっていただき、活動報告と議論を行いました。皆さん、大震災に関しては何かやりたいという強い思いを持っている。それを結果、すなわち問題の解決に結びつけるには協働しかない。まだまだ不十分ですが、よい会を持つことができました。この枠組みをどう維持していくか、これがこれからの課題です。(2011年6月29日)

もう大丈夫

ネットで購入した医薬品のフロントラインを黒丸につける。首の後ろに全量滴下するだけ。これで安心。梅雨に入ってからちょっと不潔にしすぎたことを反省。月に一度は風呂に入れて、フロントラインをつけることを心に誓う。三本入りを買ったので、9月からは医薬部外品のフロントラインにしよう。これで、愛犬元気。(2011年6月28日)

また心配事を抱えてしまいました

最近、愛犬の黒丸をブラッシングしていると緑色の豆粒のようなものがポトリと落ちる。何だろうと思って見ていると足が出てきて動き回る。そうするうちに黒丸がパクッと食べてしまう。実は犬ダニであることが判明しました。わかってから黒丸の身体検査をすると、喉の下が妙にゴツゴツしている。これがすべてダニでした。ノミ取り櫛でとりますが、100匹くらい取ったでしょうか。取り切れない。夜中ですが急遽シャンプーをすることにして窒息死を狙う。ドライヤーで灼熱地獄もお見舞いしたのですが、奴らはしぶとい。乾燥後も50匹くらいダニを取る。すごい数ですが、まだ取り切れない。WEBで調べてフロントラインという薬が効くことを知り、即発注。バベシアという病原体に感染し、命を落とすこともあるという。それはもう心配なのですが、犬は家族だから。人の家族だったらなおさらですが、今、放射能汚染という病が広がっている。福島県が感染している。日本は心配でたまらないでしょう。そうでしょう。ね。(2011年6月26日)

大学教授の発言は科学の方法論に則って

最近、自治体でも独自に空間線量率を計測する動きが活発になり、福島では新たなホットスポットを発見、というニュースを聞きました。東京都でも詳細調査を実施した結果、東部で値が高いことがわかったそうな。これに関してある大学教授が、以前、江戸川から取水する水道水で放射性ヨウ素が検出されたことを引いて、江戸川が近いから、なんてコメントしていました。そんなことありそうもないと思いますが、どんなメカニズムを想定しているのだろうか。おそらく原発事故時に南西に流れたプルームにのってやってきた放射性物質が雨で地表に沈着したのだと思います。大学教授の言うことは信頼されることも多いので、川のそばは危険、なんてことにならないか心配です。大学教授は科学の方法論を身に付けているはずなので、いいかげんなことを言ってもらっては困る。一般市民として情緒的に語るのならしょうがないが、それは“文明社会の野蛮人”ということ。発言には意識しなくても重要な意味がついてしまうことがあるのだ。(2011年6月24日)

自業自得なんてないよ

腰痛と痛風を同時発症するという想定外の未曾有の事態に遭遇し、今日は観念して医者へ。このところ酒量が多く、特に先週は大量に飲みましたので、自業自得であった!と申しましたら、老先生の代からお世話になっている医院の若先生曰く、そんなことないと。人は楽しみながら生きなくてはならん。自業自得なんてないのだ、と。いい話を聞きました。元気が出てきました。医者としては禁酒、断酒が公式の見解でしょうが、こう言われるとかえってちょっと控えようかなと思います。かみさんに禁酒!と言われても決してやめはしないのですが。何とか一週間で直して、来週は福島に行かなければなりませんので、ここは素直に節酒ということで。(2011年6月22日)

変わらぬ価値観を追求するサイエンス

昨日からプチギックリ腰で、歩くのがつらい。とうとう今日は地震以来三ヶ月続いた階段登りを断念。エレベーターを使ってしまった。あまりこだわるのも良くないな、とは思っていたのですが、必要な時にはエレベーターも使うというスタンスでこれからもやっていきたい。それにしても三ヶ月はよく続いた。そして、この間には実にいろいろなことがあった。多くの不幸を目にしてきた。科学技術は死をすべての終わりにしてしまったため、文明社会に暮らす我々は死を遠ざけすぎた。これが悲しみを深くしてしまったのかも知れない。仏様が健在であった金子みすずの時代と現代とでは死に対峙するときの態度が違うのではないか。死にはきちんと向き合い、そして生き残ったものが幸せになることが最高の死者への供養と考えたい。昨日はある科学者の涙を見た。科学者はどうしたら幸せになるか。それは変わらぬ価値観を大切にすることではないだろうか。サイエンスという言葉の定義を再確認しよう。そこには人の幸福(welfare)のためという考え方がちゃんと入っている。価値観を排除するのがサイエンスではなく、変わらぬ価値観を追求するのがサイエンス。この震災は多くの不幸を生み出したが、それは再生へのスタートでもある。今は変革期だと思うが、それで時代遅れになってしまうようなサイエンスはもうやりたくない。(2011年6月20日)

最近の政治に一言

日曜日は朝から報道番組を見ることが多いのですが、最近の政治の混迷ぶりが見えてきて、目を覆いたくなるばかりです。正直言って、眉間にしわを寄せた政治家の顔など見たくない。なぜこんな状況なのか。それは、政治家が東日本大震災という問題は共有しているが、問題の解決を共有していないということ。東日本大震災を“わがこと化”できていないということでもある。“問題の解決の共有”は“現場”で“直接”問題に対峙してきた社会学の分野から出てきた態度。解決が共有できれば、様々な異なる多くの人々の持てる力を結集して何とか先に進むことができる。朝日に投稿がありましたが、現場でテントを張って国会をやればよい。そうすれば問題ではなく、問題の解決について議論できるようになる。恥ずかしい政治家を一度リセットしたいくらいだ。(2011年6月19日)

放射能について考える三つの立場

「福島原発のリスクを軽視している」として「安全説」の山下教授に解任要求署名、というニュースがありました。Yahooニュースより。放射能の安全性、危険性については様々な意見、考え方がある。どれが正しいというものではなく、立場によって考え方が異なるのだと思う。その立場は「科学的な立場」、「情緒的な立場」そして「価値観に基づく立場」がある。科学的な立場からは、「100ミリシーベルト以下のリスクは分からない」、「直ちに健康に影響が出るレベルではない」という発言はもっともだと思う。対象との間で“こころ”、“価値観”を排除したのが科学的立場であるならば、証拠に基づき論理的に説明できないことは、“わからない”、のである。一方、価値観に基づく立場は、例えば、東電の電気を使う私自身がある程度の被曝を容認するのは、電力を巡る都市と地方の関係性を認識したうえでの決断であるが、東電の作った電気と生活との直接的な関係性がない福島の方々が人が起こした事故による放射能で被曝するのは容認できることではない。また、情緒的な判断は放射能に対する弱者である“ひとびと”の不安に基づくもので、これも受け止めざるを得ない(これは“文明社会の野蛮人”仮説を認めることになる)。これらの三つの立場を認めた上で、放射能が放出されてしまった現実のもとでどう行動するか、政治家には考えてほしいと思います。(2011年6月15日)

どの情報を信じて良いのかわからない

放射能に関する不安について、こういうコメントをよく報道で聞きます。これは現状では致し方ないことだと思いますが、文明のあり方を考える上で極めて重大な内容を含んでいると思います。日本では原子力を使うだけの“国民力”がないということになるのではないか。原子力発電は“緊張のシステム”のもとで運用される施設です。緊張のシステムのもとでは便益を得る国民は原子力発電や放射能について熟知したうえで、高度な管理体制のもとで運営しなければならない。人が便益だけを得て、そのもとにある仕組みを忘れたら、“文明社会の野蛮人”(オルテガ、小林信一)であるということです。文明は衰退する。そして、これこそが原発を使わない、という判断の根拠を与えるものなのだと思う。もちろん、原発を使うという判断もあり得るが、その時は、教育システムの中に原発の仕組みや、放射能の危険性に関するカリキュラムを組み込み、国民監視のもとで原発を運営すれば良い。これがオルテガのいうところの“文明人”。安全性が担保できるのであれば、受益者負担の原則で、都市の中に原発を作ったって良いではないか。これができないのであれば、原発をどうするか、答えは自明である。新しい文明社会について考えなければいけないときがやってきた。(2011年6月14日)

“イベリコ”ブランドへの挑戦

福島出張でちょっと疲れて、今日は遅めに家を出る。今日は研究室のある8階からなるべく降りないようにしようと思い(こだわって階段登りを継続していますので)、近所のイオンで弁当を探す。“スペイン産炙り焼きイベリコ豚重”を見つけて、今食べているところです。美味いではないか。でもこの味は国産でも時々出会う美味い豚の味ではないかな。日本でも同じ味を出せるのではないか(ここは調べなければイベリコに失礼ですが)。あとはブランドをどう作るか。昨日、福島県古殿町ですでに廃業した食用の鯉の養殖池を見たときに、福島は水が豊かなので鯉をブランド化できませんかね、なんて話を町の方としたのですが、言うは易く行うは難し。都市と地域が直接結びつけば従来のブランドとは少し違った意味合いの信頼保証システムが構築できるかな、などと考える。今朝、NHKで飯舘村のニュースを見た。飯舘牛は幻のブランドになってしまうのだろうか。(2011年6月13日)

地域における暮らしの現場を知った科学者はどう変わるか

東日本大震災の始まりから3ヶ月目の6月11日は福島にいました。先週に引き続き、文科省の土壌サンプリングキャンペーンに週末参加してきました。今回の担当地区は古殿町でしたが、連休にも調査に訪れており、何か宿命があるのかも知れません。古殿町は放射線量はそれほど高くないのですが、近隣で農産物の出荷停止もあった地域です(全く気にしていませんが、連休中に道の駅でタケノコやコゴミを食べましたら、翌日隣の平田村で出荷停止になりました)。今回は役場の方に案内していただきましたので、山村の奥深くまで入っていくことができました。林道を抜けると、ぽこっと人の領域が現れ、とても良いところなのですが、過疎、高齢化の現実が否応なく見えてくる。様々な課題が存在する地域でした。あの山の向こうには日本人初の宇宙飛行士の秋山さんが住んでいるんだよ、なんてことも伺いましたが、これからの日本のあり方について考えさせられます。秋山さんはどう思っているのだろう。今回のキャンペーンでは100人以上の研究者が研究のためではなく、土壌採取の手伝いで集まっています。旅館に様々なバックグランドを持っている方々が詰め込まれた(ぎゅうぎゅうでした)お陰でいろいろなお話を伺うこともできましたが、それぞれ震災、原発事故については思うところがある。酒を酌み交わしながら議論しましたが、これからの日本のあり方を変えるきっかけになるのではないか。普段は最先端の実験装置に囲まれて生活している彼らですが、阿武隈の自然と人の暮らしに触れ、一人ぐらいは福島に定年帰農する方が出たらいいなと思いながら酒を飲む。すでに震災前から東大OB、理研OBで帰農した方がおられるということは知っています。地域興しについて古殿町の方とお話をしましたが、都会が地方の暮らしに気がつけば、案外と実現はできるのではないか。都市と地方がダイレクトに繋がると、一番困るのは大企業。ここが一番の問題かも知れない。(2011年6月12日)

大学の委員会は管理のためにある

ちょっと甘かったなと思う。大学のハラスメント防止委員会に代理出席しましたが、“問題の個別性を理解し、双方の折り合いをつけられる専門家は千葉大にはいるのか”、なんて質問をしてしまいました。その結果、“委員会はあくまで法律に基づき処理する場。管理が目的で、心を議論していては運営はできない”、との反駁を受けました。確かに本部の会議ですので、一理はありますが、心はどうなるのだろう。ハラスメントの背後には、世代間や男女間、階層間の意識格差、時代背景、等々徹底的に個別の事情がある。そういう個別性を理解し、両者の思いを理解し、折り合いを図るのがハラスメントへの対応だと思う。しかし、それは大学の委員会の機能ではないということ。とはいえ、ハラスメントを訴える方々の思いはそうではない。助けてもらいたくて訴えるのだろう。しかし、それは大いなる勘違いであった。心に傷を負った方々の拠り所は大学にはない。これに気がつかなければ、問題を抱えてしまった個人の幸せは取り戻せない...でも、これで良いのだろうか。大学人としてちょっと悲しい。いや、教育者の立場として相当悲しい。(2011年6月7日)

被災の空間的範囲の認識

3日から始まった福島における文科省の土壌調査に参加したのち、今日は福島の各地を見て回った。まず、相馬の津波の跡を見たが、復旧さえまだまだのようにみえる。海水に浸かった水田は水が引かないまま、あらぬところに船が残されている。がれきの撤去や家の修繕は個別には行われているが、もとの暮らしを取り戻すのにどれだけ時間がかかることだろう。その後、飯舘村から川俣町、浪江町、葛尾村、田村市、川内村と国道399号線に沿って走るが、作付けされていない田畑が延々と続く。山を越えていわき市に入ったらようやく稲が植えられている水田に出会う。今まで計画的避難区域ばかり気にしていたが、緊急時避難準備区域でも人の暮らしが奪われている。原発問題の深刻さを改めて認識する。この大問題に大学人として何ができるのだろうか。多くの方が悶々としていると思う。まずは自分で足を運び、被災の空間的範囲をしっかり認識することが始まりであることは確かである。次に何をやるか。これがわからない。(2011年6月6日)

雲仙普賢岳噴火から20年

なんて時の経つのは早いのだろうか。あの時は都立大学地理学教室の助手だった。アメリカの若手火山研究者が教室に滞在しており、北海道に行く予定だったのだが、有名なフランスの火山写真家に請われて雲仙へ。そして帰らぬ人となった。当時の島原市長は復興のめどが立つまでひげは剃らない、と誓ってがんばっていたことを思い出す。今の総理大臣は東日本大震災対応に一定のめどが立つまでやめないと。がんばってほしいのだが、被災地の首長からは冷めた目。当たり前です。都会の人の世界と地域の人の世界が大きく乖離してしまっている。自分の世界と人の世界がなるべく重なるようにするためには現場にいくことだろう。これから福島に向けて出発するところ。(2011年6月3日)

情報の精度を上げ、速やかに発信せよ...でいいのか

朝日、天声人語から。イタリアのラクイラ地震では科学者が告発されている。「避難勧告があれば被害拡大は防げた」といわれればもっともであるが、予兆があったのなら住民は自分で判断してもよかった。これは地震学ではなく、総合科学としての災害学の課題であり、住民の科学リテラシーと、科学者の情報発信の間の齟齬であった。だから、精度の問題というわけではない。そもそも、ここでいう情報とは何か。大地震が、いつ、どこで、どのくらいの規模で起きるか予知することは困難。ただし、いずれ起きることは確実。このとき、どう行動するか、は人任せにする問題ではない。観測情報はとにかく速やかに発信せよ(6月19日ミスタッチを直しました)、ならば理解できる。あとは個人や地域で判断する。(2011年5月30日)

風景の音

計画避難直前の川俣町山木屋地区で見た光景について考えていたが、ふと思いついたことがある。それは風景に音がないということ。それは物理的な音波ではないかも知れない。人影がほとんど無く、田畑には作付けがない。音が感じられない。そこから少しくだって田村市に入ると、水を張った水田、田植えの光景、地域の人々、が見え始め、頭の中に音がよみがえる。後になって記憶の中から音が消え去ったのかも知れない。こんなことを書くと川俣の方々に失礼だとは思う。風景の音、それは活気という“気”かも知れない。風景の音をよみがえさせるために、我々は努力しなければならないと思う。(2011年5月29日)

風評と原発政策の関係

放射性物質を巡る風評が日本だけでなく世界で起こっている。近代文明国家であるならば、このことの意味するところは深いのではないか。近代文明を支えるのがエネルギーであり、もはや化石燃料は限界が見えているので、原子力に頼ろうとする流れはわかりやすい。しかし、原子力という技術の実態について国民がわからなくなっているのであれば、その国は原子力を使うべきではない。風評があるということは、原子力についての知識がなく、リスクを受け入れる意志もないということ。そんな国は原子力の利用は見直した方が良い。原子力については我々は“文明社会の野蛮人”(オルテガ、小林信一)になっていた。文明の衰退を招かないために、我々は日本および国際社会のあり方について新しい考え方を持つ必要がある。(2011年5月28日)

20ミリと1ミリの間

福島県の学校で子どもたちが受ける放射線量について、文部科学省は年間1ミリシーベルト以下を目指す、と発表。もっとも年間20ミリシーベルト以内という基準は依然「変えない」とのこと。20ミリを巡って福島の親たちがデモを行い、俳優の山本太郎は仕事を干されたそうな。20ミリと1ミリの違いは何か。それは、“こころ”の扱い方の違いだと思う。対象との関係から“こころ”を排除したのが科学であるから、20ミリは科学の判断であると行っても良い。「直ちに健康に影響が出るわけではない」という言い方は確からしい。しかし、事故によって放出された放射性物質の影響を被るのであるから、“こころ”を排斥することはもはやできない。ここで、行政が20ミリを主張するということは、住民との関係に“こころ”を持ち込まないということ。これが正しい行政のあり方か。政治は異なる考え方の間の折り合い。だから、時には“こころ”との間の葛藤を乗り越えなければならないこともある。政治が判断した20ミリを実行する文科省の苦渋もわかる。行政でも国と地方では“こころ”との距離が全然違うのだな。悩ましいが、まずは校庭の表層をはぎ取る作業を直ちに指示すればよかったと思う。(2011年5月27日)

真の国際化を図る

国際化とは何か。我々は“外形的”に物事を考える習慣が身についてしまったようだ。“外形的”とは大学法人化以降、評価書類を作成する段階で行われたトップダウンの指示。これは、見た目が一番、素人(だけど権限を持つ評価担当者)でも視覚的、直感的にわかるように書類は作っておけ、ということ。国際化が大事といわれれば、とにかく英語でやれば見た目は良いということで、実質的な議論は置き去りのまま英語に流れた。今日の、国際セッション「Environmental Remote Sensing」はゼミになってしまった。発表の構成は悪くないと思うが、全く他者の関心を惹かなかった。大いに反省するとともに、次策を考えなければならないが、来年は国際セッションはやめようと思う。基本は日本語。ここは日本なのだから日本語で情報交換を行う。日本語で情報を伝えられない方は英語でも良い。英語でも質疑応答できる力を我々は持つ。日本語を大切にするのが本当の“日本の国際化”ではないか。国内の知識、経験の蓄積を高め、海外の関心を惹くようでなければ、真の国際化は達成できない。(2011年5月25日)

研究者の良心

地球惑星科学連合大会も半ばを過ぎた。今回は複合災害である大震災に対する緊急セッションがあるのだが、公表が差し止められた発表が私の知る限り二件ある。それは放射性物質の拡散に関する現地調査の結果であり、なんら問題はないはずであるが、独立行政法人である研究所がトップダウンで発表を差し止めたものです。こじつけのような理由はあるのだが、根拠は曖昧で、トップの主観的な判断のように思える。学会で震災対応の活動を進める過程でも、独法に勤める研究者から自分が必要だと考える調査ができない苦悩が伝わってくる。研究者の良心と、組織の論理の間で研究者は苦悩している。研究所の判断は国の判断なのか。組織は何を恐れているのか。恐らく、研究を差し止めるのは国の判断ではなく、組織のトップの保身なのではないか。理想的には研究者は勇気を持って信念を貫けば良い。先日のETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から2ヶ月〜」に登場した木村さんは厚生省の研究所を辞職して観測に臨んだ。しかし、研究者といっても守るべき家族を持つ。組織の論理に屈するのは仕方がない。独法の研究者が動けないならば、国立大学法人の研究者が腰を上げたら良いではないか。今まさに、歴史の審判を受けることになる事態が進行しているのだと思う。(2011年5月25日)

50代からのチェンジ

およそ30年ぶりの同窓会となった。筑波時代の同窓生は10人で、地理系と地質系が5人ずつだったのですが、今回集まった5人はたまたますべて地理系。5人が皆教授になった。これはすごいことかも知れない。管理職になって要職に就いている人も、研究ばりばりの現役もいますが、そろそろ最後の10年をどう過ごすか、考えているようだ。我々は時代の転換期にいるわけで、こんな希有のチャンスに新しいことを始められるのは50代の我々ではないでしょうか。若者は一本槍で突き進まなければなりませんから。では何をなすべきか、それは新しい価値観の創造でしょう。言うは易く行うは難し、ですが古い因習を断ち切る風は吹いている。(2011年5月22日)

生活知から総合知が生まれ、実践知となる

東大の生物系の先生とご一緒する機会があったのですが、おもしろい話を聞きました。研究者は土壌、作物、肥料、...と専門に分化しているが、農家は一人ですべてやっている。なるほど。農家にはさらに実践があるだろう。どっちが知識人といえるか。論文を書かないと知識として認められないというのが研究のルール。しかし、誰のための知識なのだろうか。生活知から総合知が生まれ、それは実践知となる。実践で役に立つ知恵とでもいいましょうか。こういう知は研究の世界では重要視されてこなかったな。だから、地震のあと、多くの“知”が右往左往することになった。科学知を実践に結びつけなければならない。(2011年5月21日)

あってはならない初夏の異様な光景

福島県川俣町山木屋地区に行くことができました。水境のバス停近くで1m高の線量は8μSv/h。千葉県市原市における測定結果の最大値が0.3μSv/hですから、約25倍の値の場所にいたことになる。でも、私は首都圏に住む都会人。福島の原発の受益者の一人ですから放射線を受けてもそれはしょうがない。しかし、地元の方が放射線を受けることはあってはならない。都会と地方の関係について町の方としておりましたら、都会は若者も持って行ってしまうと。そんな都市と地方の関係について思って頂けることはありがたいと。日本には都市だけでなく、地方もある。たくさんの地域で日本は成り立っている。このすべてが幸せになり、その関係性は相利共生でなければならない。山木屋地区は初夏の強い日差しのもとでも、人影はなく、田畑に作付けはされていない。しばらくじっくり眺めていないと、その異様さはなかなか実感できないが、いちどわかってしまうと心にどっと染みこんでくる。こんなことはあってはならない。なんとかならないものだろうか。土の入れ替えは莫大な予算と手間がかかるだろう。でも始めた方が良いのではないか。人の領域の土壌が処理できたとしても、山には大量の放射性物質がたまっている。現実をなかなか直視できないが、ひょっとしたら回復までに何十年もかかるだろうか。原発事故で不幸を負った人々を国はどうするか。この国のあり方がが問われている。(2011年5月21日)

原発事故犠牲者は国策の犠牲者

「原子力被災者の皆さんは、いわば国の政策による被害者。最後まで国が前面に立ち、責任を持って対応していく覚悟」(海江田万里経産相)。これは日本にとって大きな転換点ではないだろうか。高度経済成長期を通じて、国策は政治、行政によって決められ、“うまくいった、ということになったかどうか”、という作業に多くの労力が注がれてきた。その姿勢は様々な分野にも波及し、たとえば研究の世界では、大きな予算をとることが業績となり、その成果が“優れているということになったかどうか”というストーリー作成に多くの労力が注がれた。世の中は定常社会(広井さんの表現)に入った。水俣病がまだ解決していないように、まだまだ慣性は残っているが、日本が正しく考え、より低コストで効率的なシステムへ向かう方向性が出てきたのではないか。それは発展でも、市場経済における優位性でも、生き残ることを目指す社会でも、なんでもなく、分相応社会、幸福最大化社会、いろいろな言い方があると思うが、新しい社会への一歩ではないだろうか。(2011年5月18日)

サイエンスは命あるものの安心のために

日曜にNHKで放送されたETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から2ヶ月〜」。福島の原発事故のあと、現場で放射能を計り続けた研究者らの記録。そのひとり、木村さんは自発的な活動を禁じるという厚生省の研究所を辞職しての行動。そのスピリットには頭が下がります。これから大変だろうが、何とか支えることはできないだろうか。番組の最後で、避難する家族を追いかけてくる犬の姿が忘れられませんでした。その犬の名前はパンダ。その犬が保護されていたことがわかりました。避難したあと、飼い主のお父さんは、おれは間違った判断をした、犬一匹も助けられなかった、おれも死ぬ、といって家族を困らせたそうです。番組の中で、避難している方々に木村さんが放射能の現状を説明して初めて自らの置かれた状況がわかった、という場面があった。政府はWEBで不完全な情報を流し(地理情報ですから場所と時に関する属性がなければ完全とはいえない)、直ちに健康に影響はないという。科学的な判断ではそうなのだろうが、心はそうは思うまい。なにより、一番伝える必要がある現場には伝わっていなかった。原発はサイエンスの賜。でも、サイエンスは何のためにあるのか。人や生物、命あるものの安心のためにあるのではないか。“科学する”という行為から価値観や心を排除することはもはやできない。(2011年5月17日)

強い現場、弱い本部

朝日朝刊から。東大の藤本さんがものづくりの実証研究から得た日本の特徴。私もその通りだと思う。最近の日本にはリーダーシップに対する勘違いがあるように感じる。欧米の思考を日本に導入するときに表面だけを取り入れ、その中身を取り入れなかったのではないか。リーダーシップにはそれを支える強力な専門家集団が必要。しかし、勘違いは続き、問題の解決に個人や組織の持つ専門性があるのに活かされない状況が続いた。今回の震災に対しては学会でも大学でも専門性を現場の問題に結びつけることができなくて彷徨っている状況がある。藤本さんが提案する「復興問題解決センター」ができれば専門性を活かすことができるかも知れない。ただし、ここでもイニシアティブをとろう、なんて動きが出てくると問題の解決とはほど遠くなる。大震災をきっかけに、“問題の共有”ではなく“問題の解決の共有”の動きが生まれれば、日本は良くなる。(2011年5月16日)

変わらないもの

40年ぶりにはなると思うが、宗吾霊堂の前の甚平そばに行きました。中は昔と同じで、食券を買ってそばを注文する。一枚では足りないので2枚分買って、しめて900円也。そばの味は普通かな。季節が良くないかも知れない。でも昔と同じシーンがそこにあるというのは何となく安心感がある。今日は谷津の調査で北総台地を巡っているが、都市的世界から一歩谷津に踏み込むとそこには昔から変わらない風景がある。もちろん、放棄された田は荒れた状態になっている場所もあるが、放っておけば人間以外のものたちの世界になる。チャポンと音がしたら、カエルが水に飛び込んだに違いない。こんな世界を大切にする時代がやってくるだろうか。(2011年5月14日)

問題に対応するということ

震災を巡って研究者も復興に貢献したいという思いが伝わってきます。それは良いことなのですが、注意しなければならないことがあります。それは研究者あるいは分野固有の自然観、社会観です。自然を物理で理解しようとする方々は、知っていることで対応しようとする。一方、フィールド屋は知らないことで関係しているものはないか、とアンテナを張る。演繹と帰納、どちらも重要なアプローチの仕方ですが、今対応しようとしているのは“問題”、すなわち、人の社会と自然との関係に関する問題です。複雑で多様な対象を扱おうとしているときには多様な考え方、アプローチの仕方に対する“尊重”と“協働”の態度が絶対必要。もう一つ大切な観点は“人の暮らしの安全・安心”が目標であるということ。研究成果や名誉ではないこと。ここを忘れると研究者の貢献もつまらん政局劇のようになってしまう。一番深刻なのは研究をやっているのに、問題に対処していると思う勘違い。具体的な人の暮らしを中心に据えているかどうか、ここを見極めたい。(2011年5月10日)

阿武隈の青い空、新緑のもとで

福島に土壌採取に行ってきました。近いうちに原発を中心とした広域の土壌放射能マップが公開されるでしょう。久しぶりにいった福島ですが、中通りの平地では田植えが始まっており、活気さえも感じました。しかし、阿武隈の山中では、今年は作付けをあきらめた、というお話を何件かの農家の方々から伺いました。見上げると抜けるような青い空、輝くばかりの新緑、豊かな水の流れもそこにあるのに。何とも切なくなります。目に見えない放射能からどのように身を守ったら良いのか。物理で考えようとすると、レベルが低いから大丈夫、ということになるのでしょうが、そこにあるのは都市文明を支えた地方にある原発から飛んできた放射性物質。我々都市住民が放射能を身に受けるのはしょうがない。私は甘んじて受け入れる。しかし、都市を支えた地方の方が放射能を受けるのはどうか。実に申し訳ないことである。都市と地方の関係をもう一度見直さなければならない。その前に、私自身ができることがあれば、できる限りやっていきたい。(2011年5月8日)

楽農報告

連休中に植えた作物は、キュウリ、ナス、ピーマン、シシトウ、トマト、サツマイモ、ズッキーニ、カボチャ、万願寺とうがらし。種まきは小松菜に珍菜(だったと思う中国野菜)。収穫はミニ青梗菜、小松菜、ホウレン草、サヤエンドウ、タマネギ。ソラマメはもうすぐ。ニンジン、イチゴ、オクラ、長ネギ、インゲン、トウモロコシ、カブ、エダマメ、ブロッコリ、ニンニクは順調。ショウガは育っているかどうか不明。ポットで朝顔とヒマワリが芽を出している。放っておいたアスパラは気が付かないうちに高く育ってしまった。野菜がほんとうに美味しいと思うようになったのは50歳を過ぎてから。つい畑作業に熱中してしまう。何だかな〜、回り道ばかりだなぁ、最近。やるべき事がおろそかになっていると、そのうち社会から放り出されてしまうような気がする。明日は福島に行く。(2011年5月5日)

科学と社会

今回の原発事故では科学者の役割が問われている。夕食後、NHKを見ていたら野依さんが出てきてコメントしている。科学と技術は別物。科学は中立的な立場から、真理の探究を行うもの...。それでは、幸せな大学人に過ぎないではないか。私は科学と技術は一体不可分、問題解決には(狭義の)科学だけでなく様々な分野の協働が必要と考える。驚いたのは、「社会の中の科学、社会のための科学」を引いたこと。ブダペスト宣言の解釈については私とは異なるようだ。私は、科学の研究という行為は社会に支えられて維持されているので、社会における問題を解決する方法の一つとして科学も役立てるという意識を持とう(科学は問題の解決に必要だが、科学だけで問題は解決できない)、と解釈するが、真理の探究が社会の役に立つのだという一方的な信念の表現と解釈されているようだ。これでは多様な要因が積分されて現れている現実の問題に科学は対応できない。もちろん、問題が微分の結果だったら科学で対応できるのだが。(2011年5月5日)

技術の進歩の対価は

長らく使ったプリンターがいよいよ壊れたので、アマゾンでCanon iP4830を購入。\11,950なり。歩いていける距離にヤマダもコジマもあるのですが、面倒くさくてネットで発注、本日の夕方届く。さっそく接続してみたが、A4トレイが使えて、両面印刷もできる。機能は十分満足なのだが、ちょっと安すぎるのではないか。これは技術の進歩だろうか。進歩だとしても、実は大きな対価を払っているのではないか。製品の開発、製造に関わるすべての人が幸せになっただろうか。ちょっと気になる。(2011年5月5日)

盛土地の“地滑り”支援に思う

仙台の住宅地の地滑り(地すべり)被災地を視察した枝野さんが国として支援を表明。昼のNHKニュースより。この“地滑り”は恐らく盛土地の滑りだろう。地震や大雨時の盛土地の脆弱性に対してはかねてから指摘されていた。仙台では1978年の宮城県沖地震でも被害が生じ、問題点が指摘されていた。国としての支援は良いのだが、同じ災害を繰り返さないために今後の盛土地の開発やメンテナンスについて何かしらの取り決めが必要だと思う(すでにあるのかも知れないが、それが機能しなかったことが問題かも知れない)。それは液状化も同じで、土地の性質を知り、ハザードに備える心構えが国民にも必要。土砂災害防止法、水防法などいくつかの災害関係の法が改正されてからも10年が経過している。もちろん、それまでにも研究者が災害に対する脆弱性を指摘し続けた長い年月があった。もう、知りませんでした、大丈夫だろうと思った、ではすまない時代だと思う。(2011年5月5日)

電気料金値上げ、関係ないのに...本当?

ある番組で電気料金の値上げを取り上げていましたが、ニュースキャスターが“私たちには関係ないのになぜ...”と述べていた。ああ、これが都会目線なのかな、と思う。関係ないと思うことは、市場経済主義者としてすべての価値を貨幣に換算し、その元にあることには頓着しないということ。また、自分が近代文明社会の一員であることを自覚していないということ。すなわち“文明社会の野蛮人”であることを宣言しているようなもの。やはり関係あるでしょ。首都圏が使う電気の多くは福島はじめ、分水界の向こう側からやってくる。それは当たり前なのか、考えてください。都市文明が日本を牽引するのだという思想を再考せねばあかんと思う。(2011年5月4日)

「つるしあげ社会」問う

朝日朝刊から。26面の小さな記事ですが気になりました。神戸で開催された「言論の自由を考える5.3集会」のテーマは「次は誰だ『つるしあげ社会』を問う」。以前から「つるし上げ社会」の弊害は指摘されていたが、“つるしあげ”は真の問題点を時に隠してしまうことが一番の問題。真の悪者を隠してしまうことも。今こそ、“つるしあげ”で溜飲を下げる態度を乗り越え、真の問題を指摘しなければならない時である。東電の件でも、その先にある日本のエネルギー安全保障問題の解決を共有して、やるべきことを始めなければならない。まず、東西の周波数問題、送電と発電の分離の課題がある。その先に自然エネルギーを活用した低コスト社会があるはず。(2011年5月4日)

本当に怒るべき対象は

東電の清水社長のお詫び行脚が報道されています。平穏な暮らしを断ち切られて、避難所暮らしを余儀なくされている方々の怒りは当然です。ただ、目先の対象に怒りをぶつけても根っこにある真の問題解決にはなかなかつながらない。怒りを一身に受け、土下座までしてじっと耐える社長ら(この態度は後で評価されるかも知れない)の背後にある国のエネルギー政策、旧来の行政の進め方、そして文明社会の構造、いろいろなものを見通して怒るべき対象をあぶり出していかなければならない。とはいえ、住民の方々にとって最も大切なことは日々の暮らしを取り戻すこと。日本の社会のあり方なんて二の次でもしょうがない。ここの折り合いをつけるのが本来の政治なのではないかなとも思う。行政、政治、そして司法があって国民がいる。これらのバランスが今までは悪かったなと思う。(2011年5月4日)

都会目線と

朝日朝刊、福島県飯舘村を歩いた編集委員の星さんの記事から。村長の菅野さんは 「管首相らが一生懸命やってくれているのはわかるが、都会の目線を感じてしまう」という。そういえば菅さんは現場に行こうとして批判されていたなあ。ノイジーマイノリティーは罪作りだ。私はもっともっと現場に顔を出してほしかった。飛行機やヘリの中でも指示は出せるのだから。現場を見ることによって災害を“わがこと化”できる。現場の視点に則った政治ができるというもの。同じ朝日の声欄で、青森の江渡さんは「議員よ国会休み、東北へ行け」と主張していた。120%賛成します。国会で批判ばかりしている議員は黄金週間は泥まみれになってボランティアをすれば良い。現場を見て、被災された方々の心に触れてほしい。国会の日程が数日遅れたって、その後に取り戻せる時間は計り知れない。すでに見え隠れしているが、これから“都会目線”と“地域の視点”の間のコンフリクトが明らかになってくるに違いない。議論によって日本という国のあり方に関する考え方が深まるのであれば、それはそれで良い。(2011年4月30日)

農村社会のレジリアンス

黄金週間に入った。地震後の印旛沼周辺が気になったので、視察に回る。最初に佐倉の畦田に行く。春爛漫、のどかな田植え風景を見る。地震の影響は感じられない。次に印旛沼へ。確かに堤防はあちこちで損傷し、機場や配水パイプの損傷もあったことはわかった。しかし、各所で田植えの準備は始まっている。傍目には震災の影響などなかったかのよう。はやりの言葉で言うと農村社会のレジリアンス(回復力)は結構強い。それは一つには“協”があるからではないか。農家同士、農家と行政の“協”があるから。もし、“個”で対応しなければならないとなると、レジリアンスは最小になってしまうだろう。しかし、“災”が一定レベルを超えると“協”でも対応できなくなる。その状況が東北にある。そこは国を挙げて支援しなければならないと思う。運転しながら国会中継を聞いていたが、質問に立つ議員の中には政権を批判すれば国民に褒められると思っているのか、被災した現場のことをスッコーンと忘れてしまった方もいるようだ。聞いていて腹が立ちます。昨日は研究者の批判もしてしまいましたが、国会議員も同じ。現場が一番大切。研究は勝手にやる研究、評価は後からついてくる研究もあるが、現場から乖離した勝手にやる政治はあり得ない。研究の世界でも、現場とのリンクをこれからはもっと重視した方が良い。(2011年4月29日)

頼りがいのない専門家−いや、研究者

震災に関わる雑誌はなるべく買っておくことにしてますが、今日はニュートンを買いました。震災特集の巻頭言で編集長の水谷さんはこう述べています。「テレビや新聞の報道で、いかに専門家という人たちがたよりにならないかという事を感じ取られた方もあるだろう...これはある意味で、科学する力が、まだ日本人ひとりひとりの身となり肉となっていないことを示している様に私には思われる」。国民の科学リテラシー、特に地学や環境に関するリテラシーが不足していることは私も日頃から感じていることで、「文明社会の野蛮人」仮説の現実化を心配しているところです。しかし、専門家、というか専門家である研究者が頼りなくなったことは確実。「災害は忘れた頃にやってくる」と言った寺田寅彦は実に多彩な学者だった。寺田だけではなく、明治の学者はサイエンティスト以前にフィロソファーであった。専門家というと技術者に失礼なので研究者と言いますが、研究者の世界の細分化が進み、各分野の中で讃えあう村の世界ができてしまい、社会との連携が失われたことが大きい。あちこちの研究村で何とか復興に貢献しようという動きはいくつもあるのですが、村をどうやって飛び出すのか。村が世界だと思っている研究者も多いので、今は信頼を取り戻すため、変化に向けて苦しみの時だと思う。(2011年4月28日)

ダウンシフターズ

災害に関する書籍をアマゾンで買い込んだついでに気になっていた本も購入し、読み終えたところ。坂勝著「減速して生きる−ダウンシフターズ」。年収600万の会社をやめて、オーガニックバーの経営を始め、年収は350万に減っても、可処分所得は同じ、有り余る時間を手に入れ、夢を実現。そう、こういう生き方もある。競争社会で生きることが唯一の選択肢ではない。ダウンシフトして、幸せを手に入れた。そんな著者が大学で講義する機会を得て、学生900人に聞きました。「企業に就職を考えている人?」、「将来が不安な人?」。ほぼ全員が手を上げる。「企業に就職できたら将来が安心だと思う人?」。ほぼ全員が手を上げない。「将来に夢がある人?」。これはちらほら。企業に就職しても不安なのに、企業に就職するしか道がないと考えている。これが不幸増殖装置になっていないだろうか。幸せにはたくさんのオプションがある。たくさんの生き方があることに気が付いて欲しい。ただし、ダウンシフターズへの道は楽な道ではない。戦略も必要であることを認識すべき。坂さんも結構実行力はあるし、サラリーマン時代の経験はちゃんと活かされている。結局、がんばるしかないのですが、二つの世界(例えば2010年7月26日参照)を認めれば若者が幸せになる選択肢は今よりはるかに増える。(2011年4月27日)

夢とは何か

朝日オピニオン欄でユーミンが、今の10代はちょっと危ういと述べています。求める者には開かれるのですが、求めることを知らず、そういうことに考えが及ばない。となると厳しいゾーンに行っちゃうぞ、と。私もユーミンとほぼ同世代のポスト団塊(ユーミンは姉さんです)で、思いは同じ。学生は将来の希望は持っている様ですが、どうもそれは夢ではないように思えます。夢というのは実現させることを前提に努力するもの。いつ実現させるか目標を立て、バックスキャッターして今やるべきことを決める。こうやって実現させる。この部分が今の学生は弱い様に感じる。自分の思いは受け入れられるはずだ、誰かが私のために何かをやってくれるはずだ、なんて思いも感じます。そのため実現への道程を想像することができないのか。学生は格差社会の現実をまだ実感できないのかも知れない。格差社会は悪い面ばかりではない。自分の力を発揮できる社会でもある。そういう社会を近代文明人は選択してきた。これは認めざるを得ない。そういう社会に飛び込むには覚悟と覇気と戦略が必要。そうでなければ、ダウンシフトするしかない。それも生き方の一つ。(2011年4月27日)

なぜかを問う−“見ためし”を機能させる

このことは以前にも書いたと思うが、今ほど“なぜか”が気になる時はない。皆さん、菅さん降ろしに忙しいようですが、震災からの復旧、復興に関わるシステム全体を俯瞰して、機能していないところを指摘し、改善するという行為がどれだけ行われているのだろうか。東京にいて、結果だけを見てリーダーシップを問うているだけではないか。そのリーダーシップについても日本人には勘違いがある。リーダーを選んだら支えるのが真のリーダーシップのあり方。それにしても菅さんを支える専門家集団が見えてこない。これでは誰が総理になっても二の舞になるだけだ。日本ではかつて政策が決定されたら、あとはうまくいったことになったかどうか、という論理作りに労力が注がれた。豊かな時代はそれで為政者は困らなかった(現場は困ったろう)。今は変化の時代。施策を立てて、検証し、うまくいかなかったら施策を修正する、という“見ためし”(順応的管理といってもよい)が機能する仕組みを作らなければならないと思う。それは東京からは出てこないだろう。現場から出してほしいのだが、そこに専門家がどのように関われるのか、これもよくわからない。忸怩たる思いでいる専門家をもっと活かしてほしい。もちろん、ボトムアップの発信も試みてはいます。(2011年4月26日)

東京が止まったら日本が止まる、か?

再選を果たした石原さんのことば(毎日4月10日配信)。これまでの東京と地方の関係を何とか維持したいということだろうか。今回の震災が明らかにしたのは、東京を止めないためにがんばる地方の姿だった。もう地方は東京を支えられない。その限界が見えたのではないか。従来と同じ東京と地方の関係を維持したいということだったら、日本の未来に禍根を残すことだろう。地方の幸せなくして東京の幸せなし。ほんとうはこう言いたかったのではないかな。高度経済成長期は東京をはじめとする大都会が幸せになる時期であった。これからは地方も幸せになる番。心理学に願望水準理論という考え方がある。大きな悲しみを抱えてしまった東北(関東も)であるが、悲しみを乗り越えた先には願望水準理論によって幸せが約束されている(悲しみを乗り越えることがそんな簡単なことではないことは重々承知していますのでご容赦ください)。一方、従来の発展モデルを維持するのであれば東京(大都市の象徴として)では不幸が増すばかり。人々の望みは幸せか、不幸か。(2011年4月11日)

社会と科学の関係の再構築

農村計画学会2011年度春期大会シンポジウム「農村の持続的環境ガバナンスから国土の災害復興ガバナンスへ」に参加してきました。貴重な情報や提言を頂くことができ、大変参考になりました。ここでも、研究者や科学の諸分野の協働の大切さが訴えられていましたが、できればこの学会がイニシアティブをとれれば良い。なぜなら、人の暮らしと直接関わる課題を扱っている学会だから。サイエンス指向の学会は災害復興という課題に対してはあくまでも脇役であることを認識すべきと思う。被災した現地の情報は心が痛むと同時に、未来に役立つ知恵も生み出せそうである。東北は立ち直った暁には強くなることだろう。ただ、震災報告の内容が東北、福島に偏っていたように思う。液状化も農村の基盤に大きな影響を与えている。地震の直接の被害者は関東にも多い。すべての苦しんでいる方々を忘れないようにしなければならない。この震災をどう乗り切るか。もはや哲学、思想なしでは達成はできないだろう。対象との関係からココロに関する部分を捨て去ることにより発展してきたサイエンスだけでは安心は得られない。しかし、原発事故に対応するためにはサイエンスは不可欠である。サイエンスと社会の関係のあり方に対しても、この震災は大きな変更を迫ることになろう。「社会のなかの科学、社会のための科学」。ブダペスト宣言の四項目目は箴言である。(2011年4月9日)

あきらめずに提案を−なぜを明確に

今回の震災は社会のあり方を変える大きな機会でもある。すでに各所で議論が始まっているが、一方で、現実はそんなに甘くない、どうせ無理、といった意見も聞こえる。ここで一言、言っておきたい。否定的な意見も意見であり、尊重すべきである。ただし、“なぜそう考えるのか”を同時に示してください。そこから議論を始めることができます。“あきらめ”も一つの考え方ですが、“あきらめ”を主張するのは、“あきらめ”が最も良い解なのである、という主張であることに気がついてください。だから、“なぜなら”があるはず。そうでなければ、主張など必要ない。飄々と生きるのも一つの生き方。愚痴や文句は酒の席にでも聞きましょう。あきらめずに提案を。(2011年4月6日)

放射性物質拡散予測情報−どう扱うか

気象学会が会員による放射性物質拡散予測の公表を自粛するように求めたり、気象庁が予測結果を公表しなかったことに批判が集まっている。一方、リスクコミュニケーションの分野では情報を伏せたり、出し渋ったりすることはかえって住民に不安を与え、危機をもたらす可能性があるという。さて、どちらの言い分がもっともなのか。ここで気象分野とリスクコミュニケーション分野の考え方のベースにあるものを考えてみる。気象分野の方々は“物理”に基づいて現象を理解しようするセクターであり、その対象は広域の大気現象。現場は災害そのものの現場と言うよりも記者会見の場、マスコミ、メディアに対応する場ではないでしょうか。相手は放射能汚染を危惧する外国だったりもする。一方、リスクコミュニケーション分野の方々の現場は、まさに災害が起きた、被災者がいるその場所です。ここを考えると考え方の背景がよくわかるように思います。そもそも拡散予測の結果は、その解釈に“モデル”に対する深いリテラシーを必要とする。何らかの目安になるかも知れないが、被災した方々のニーズは自分のいるポイントでどうなのか、であり、モデルはそれに応えることはできない。リスクコミュニケーション分野が依って立つ情報は現場の実態、そして苦しみであり、そもそも両者が扱っている対象、災害の種類が異なる。それぞれの考え方の適用対象、適用範囲を我々は理解しなければならない。結局、私の判断はどちらももっとも。違ったものを議論していたのではないか。議論の中から出てきた“観測が大事”。私はこれを支持したい。では、自分に何ができるか。ここが一番悩ましい。(2011年4月5日)

いま科学者の役割は何か−専門性を活用するには

今回の震災では科学者の役割が問われ始めている。もちろん科学者自身が一番悩み苦しんでいることであるが、社会からは様々な批判が聞こえてくる。地震直後から様々な発信情報を収集していたが、かなり多くの科学者からの発信があったことは確かである。しかし、それらの情報が全体の中で共有されることがなかった。こういった状況から判断すると最大の問題は、@日本という国が科学者の専門性を活かす仕組みを持っていないこと、A科学者も細分化された専門の枠を超えて協働する手段を持っていないこと、B国民も発信された科学技術情報を受け止め、考える科学リテラシーが十分身についていないこと、などが考えられる。日本は豊かな時代を経験し、経済力を背景とした草の根の科学技術に支えられて、素人でも運営できる国になっていたが、今回の震災はその状況を打ち砕いてしまった。今は復興に全力を注ぐべきだが、その後、科学者が国民と一緒になって何を行うべきかは、自ずから明らかになって来るであろう。それは科学の総合化への努力(細分化はニュートン・デカルト型科学の進歩のプロセスにおいて避けられない行為ではあったが)、成果を草の根へ発信する力、政策と連携する力、などなど。もちろん、これらは昔から言われていることである。しかし、今回の地震ときわめて類似している9世紀の貞観津波が十分配慮されなかった一件にもあるように、昔から言われていることを真摯に受け止める態度が日本にはなかったといえる。(2011年4月4日)

省エネ社会への移行

あの地震から3週間が過ぎたが、ずっと自転車通勤を続けている。研究室の明かりもなるべくつけず、エレベーターも乗らない(居室は文科省仕様の8階なので、一般マンションの13階です)。ちょっとストイックになりすぎているかも知れない。一回自転車で来ると電車賃で500円の節約になる(バスを使ってしまうとべらぼうになる)。一月続けると一万円の節約。これは大きい。ただし、疲労はたまる。筋力はついてきたような気はするが、疲れて酒と食事の量が増えてきた。酒は経済効果を考えて自粛の対象から外していますが、ここはストイックとはいえない。約12kmを50分ほどで走りますが、台地のアップダウンが結構きつい。今日は少し遠回りですが湾岸に出てから国道14号沿いを走ってきました。それでも坂がないので一時間で着く。時間は電車よりは速く、車の二倍かかることになりますが、悪くない。雨の日だけ車にすればだいぶ節約になる。ガソリンも高くなりましたが、それでも一往復分のガソリン代は電車の片道分。かみさんは太陽光発電を導入しようかと言い出した。こうやって、だんだん省エネ社会に移行していくのだろうか。時代の流れに適応していくことが大事。ここでチェンジができないと“文明社会の野蛮人”になってしまう。地震は未曾有の災害という危機を引き起こしたが、危機は機会にもなりえる。この際、電力セクターでは発電と送電を分離してエコな電力が効率的に使えるシステムを日本は目指してほしい。(2011年4月2日)

震災に対する意見

農村計画学会で震災に対する意見とコメントの募集をやっていたので、駄文を送ってしまいました。実践の少ない私ですが、私には私の“世界”があり、それがほかの“世界”とどう違うか、常に確認し続ける必要があります。そのためにも発信しなければなりませんので、恥ずかしながら書いてみました。

 東北関東大震災はまだ“事中”であり、立派なことを行っても空虚なだけである。中越の山古志村でさえ復興に三年かかった。とにかく復興まで注視し続けることが安全な場所にいる者の最低限の責務だと思う。
 今回の震災で明確になった点は大都市と農山漁村、中央と地方の関係である。首都圏の電力は福島に多くを依存していた。福島原発だけではなく、JR東日本信濃川発電所、東電柏崎刈羽原発...首都圏の電力は分水界の向こうからやってくる。これからも地方は中央を養うのか。復興がかなった後はこれまでの地方と中央の関係は大きく変わることだろう。
 今夏の課題は農業である。原発事故の影響だけでなく、沖積低地の液状化や基盤設備の損傷が広い範囲で報告されている。まず被災した方々に充分な食糧を届けなければならない。そこで、東北内陸部の小規模農家、中山間地で農産物の増産に励み、沿岸部を支援できないだろうか。地域内支援および地方対地方の支援を充実させることで、強い地方を作り、地方の安心を担保できるのではないか。
 旧ソ連邦が崩壊したときに食糧危機が起きなかったのは“ダーチャ(菜園付き別荘)”があったからだという話を聞いたことがある。海の民は海の民である。津波に脅かされる沿岸の方々は高所移転が困難であるならば近隣の山間部にダーチャを持つことで将来必ず再来する津波に備えることはできないだろうか。
 地方と中央の関係が変われば都市も限界都市化する恐れがある。そこで、都市の周辺の農村を保全し、交流することで人の安全・安心を担保できるだろう。都市近郊の里山の重要性はここにもある。
 生態学者の故栗原康は生態系を緊張のシステム、共栄のシステム、共貧のシステムに分類している。人間社会に敷衍すると、石油に依存する共栄のシステムは破綻しかかっている。残された選択肢は共貧のシステムと緊張のシステムだが、農山漁村における“共貧のシステム”(市場経済のもとでの“貧”であり、“不幸”ではない)と、世界に顔を向けた高度管理型都市の“緊張のシステム”を相利共生(片利共生ではなく)させることはできないだろうか。重要な点は両者を自由に行き来できる精神的習慣を現代人が持つことである。その実現において農村計画学会の役割は重要になろう。

これを送った後、管首相のエコタウン構想−「高台に家、漁港へ通勤」−を知りました。高所移転が核ですが、実は1933年の昭和三陸津波の後に「津波災害予防に関する注意書」という文書が文部省震災予防評議会によって出されている。その中で住宅にすべき場所と指定された高所は今回の震災で被災を免れた例も多い(武村雅之先生からの情報)。また、高所移転が成功した事例も明らかになりつつある(牛山素行先生からの情報)。それでも人が低地に戻ってしまうのは背景に市場経済の仕組みがあるのではないか。効率が悪く、コストが高ければ他の産地に負けてしまうという原理。だから私の意見では高所移転には消極的な表現をしてしまった。競争より協働を旨とする市場はできないだろうか。三陸の海産物が欲しい、という意識を作ることも大切。市場経済のあり方までを考える議論でなければ三陸の方々の幸せにはつながらないかも知れない。(2011年4月1日)

科学技術に対する反省

2011年4月1日はこれまでになく緊張を持って迎える年度初めとなった。震災に関する提言や意見については注視するようにしているが、従来までの科学技術に対する反省が始まっているように感じる。まずは科学の細分化に対する反省、そして成長を前提とした科学技術政策に対する反省。そんなことは20世紀の終盤から主張されていたが、新自由主義の流れの中で表に現れることがなかったに過ぎない。大学人として時代の流れを見極め、やるべきことをやらねばならない。科学と技術は一体であり、科学の目的は真理の探究だけではけっしてなく、人類の福祉の向上にある。問題を共有するのではなく、問題の解決を共有する必要がある。そのためにはどのような態度が必要か、科学者は考えなければならない。変革の兆しが見えるとともに、世界が見えないために従来の路線から飛び出すことができない科学者もいるようだ。しかし、大震災を経験しつつある現在、科学技術の役割を社会が判断する力を持つことになるのではないか。(2011年4月1日)

計画停電中止は“よかった”と思うこと

計画停電は業務に支障が出てしまう方々には大変なことと拝察いたします。実施が直前までわからないのは不便ではありますが、一般の方々にとってはそんなに気にすることでもないでしょう。“やる”と言ったのに“やらなかった”、と怒る方もおられるようですが、そういう方々は防災力も弱い方々。警報が出てもハザードはやってこなかった。その時、“けしからん”と思う方は、最後に避難指示に従えば良かったと後悔する方々。何度警報が空振りになっても、ハザードがこなくて良かった、と思える方は最後に、自分や家族の命が守れて良かった、と思う方々。問題があると思ったら文句や非難ではなく、提案。そして次のイベントに備えることにしましょう。(2011年3月30日)

文明社会の野蛮人−再来

オルテガ、小林信一の「文明社会の野蛮人」という言葉はここでも何回も取り上げてきた。地震から2週間が過ぎた今日、テレビでちょっと気になる場面に出会った。福島の原発の状況は確かに不安ではあるのだが、どのように判断したらよいのかわからないという某有名キャスターやゲストのタレントたち。自分は文系で、理科はわからない。放射能についてわからない言葉や数字を使われても困るという主張。原発の状況やベクレルやシーベルトという単位の意味、その数字の重要性についてはテレビ、新聞等でもう何回も解説されてきた。それでも、わからないというのは科学技術と自分との関係性に対する無理解、すなわち、文明社会の野蛮人ということではないか。考えなくてもわかる情報が自分に直ちに提供されなければならない、技術は完璧であるはずだ、という態度は自分は文明の受益者なのだが、文明の持続性についてはなんの責任もない、と言っているのと同じ。これでは文明は衰退するのだが、では近代文明に代わる生き方を選択できるか、というとそれもできない、なんてことだったら日本は危ういと思う。(2011年3月27日)

震災は第2ステージへ

これまでは緊張の中で日常を過ごしてきたが、ふとこの先を思うと不安になる。また、人の中でも被災した人と、そうでない人が混在している。被災しなかった人でも社会経済の関わりの中で影響を受け始める。こんな段階に入っていくのではないか。この段階では何をどうしたらよいのだろうか。おそらくきれい事ではすむまい。自分を納得させるには実践しかない。だから、ボランティアは“人のためならず”。自分のためでもある。とにかく、思い、思われ、この関係性を維持することが大切なのだろう。とはいえ、これもきれい事。でも、みんなが考えることに意味があるのだろう。現場の専門家がきちんと機能できるように、バックアップできることはやっていきたい。(2011年3月22日)

日本の現在、そして未来の“わがこと化”

6日間自転車通勤をしたら身体に疲れがどっとたまってしまった。もちろん、被災された方々の疲労と比べたら取るに足らないことではあるが、体力は大切だと実感する。今日は雨でしたので連休は家にこもることになった。幸いネットはつながっており、情報交換はできる。地震から一週間以上経ち、そろそろ災害に対する感じ方が変わってくる頃だと思う。被災地の方々には申し訳ないが、私の住居周辺は大きな被害もなく、テレビで放映されている映像も劇場感覚で眺めている方もいるかも知れない。しかし、だんだんと実感を伴って自身の内面に染みこんでくる時期ではないか。震災も第2ステージに入っていくことになる。ふんどし、いや、ベルト、何でもいいですけれど気持ちを引き締める段階に入った。まずは、日本の現在をどうするか、つぎに日本の将来をどこにもっていくか、みんなが“わがこと化”して考えなければならない。(2011年3月21日)

災害情報の共有

自分に何ができるか。実は何もできないのだが、自転車通勤を続けること、災害情報をなるべく集めてWEBで公開することを自分に課して週末を迎えました。自転車通勤は3日目あたりが一番つらかったのですが、だんだん身体がなれてきたような気もします。ガソリンを使うことに後ろめたさを感じますので、しばらく続けてみようと思う。給油渋滞も相変わらずですが、中には車が必須の方もおられるでしょう。安易に批判することはできません。研究者仲間のメールのやりとりで災害情報を集めていますが、報道とは異なる側面も見えてくる。被災は東北だけではない。また、沿岸だけでもなく、だんだん被害の実態が明らかになってくるでしょう。まずは一方的に公開していくだけなのですが、これらの情報を受け止めながら研究者としての立場も明らかにしていかなければならないと思う。この段階でもサイエンスを強調するのか、社会に対する役割をどう考えるのか。環境学というのは社会からの期待に応える学問だと思う。となると、まずは提案を出して、議論することが大切なのではないだろうか。安藤忠雄風にいうと、勝手に提案する、ということ。 (2011年3月19日)

五日目−批判ではなく提案を

今日も自転車を使って出勤。午後から停電が予定されているので、何となく仕事も集中力を欠くが、被災地域の地形分類図をWEBに置いておこうと考え作業を進める。結局、停電にはならず、夕方家路につく。自転車のライトがないので暗くなる前に走っておかねばならないので。近所の自転車ショップでライトを購入。これで安心して夜間走行ができる。自宅に戻る10m手前であたりが突然真っ暗に。その後、蝋燭の明かりの下で家族(犬を含む)と夕食。無責任な言い方かも知れないが、これもいいもんだ。程なく明かりが戻る。我々はなんと贅沢なものに囲まれて暮らしているのだろう。風呂につかりながらしみじみ思う。電気やガスがどのような仕組みで届いているのか。誰のどんな努力によって築き上げられたものなのか。維持・管理の苦労はいかほどだろうか。ニュースでは東電や政府の対応を批判する向きをあるが、批判ではなく提案をしてほしい。提案のためには文明を維持しているシステムを知らなければならない。その上の批判であるならば聞く価値があろうというもの。(2011年3月15日)

四日目−近代文明の弱点

おそらく道は渋滞するだろう。自転車で職場に向かうことにする。その前に、近所のスーパーに食糧の買い出しに行く。すごい人だかりだが、食パン等を購入することができた。商品は十分あったが、缶詰、電池は売り切れ。道中では給油渋滞を見る。“安心”は目一杯所有しないと担保できないということ。これは現実であるので、人の心理を否定するのではなく、理解することから始めなければならない。原発も心配。しかし、近代社会は原発なしには成り立たない。危ないもの、汚いものを眼前から隠すことによって成り立っているのが近代社会。これからは自分と文明の関係性を直視しなければならない時代がくる。これから文明論に関する議論が盛んになってくるだろう。計画停電については政府、東電の対応を批判するコメントも見られる。停電が実施されなかったら、それは良かったと思わねばならない。まさに防災と同じ。災害がやってくる、やってくるといわれ、来ないじゃないかと文句を言って備えを怠るのと同じ。災害がやってこなかったら、それは幸せということ。電力供給に携わる方々にはそれなりのご苦労があるはず。自分がお世話になっているシステムの全貌がわからなくなっているということでもあるが、これが近代文明の持つ大きな弱点である。文句ではなく、技術者や担当者に対する理解、承認が必要なのではないか。我々は文明社会の野蛮人となって、文明を衰退させるか、それとも複雑なシステムを理解し、うまくつきあっていくか。複雑だということを認識するだけでも良い。今回の災害は文明の理解を我々に強いることとなった。我々は真摯にこのことを受け止めなければならない。(2011年3月14日)

三日目−東北の農に期待したい

今日は日曜なので、自宅待機。メールが使えるので業務上の連絡は可能。被災者には申し訳ない気もするが、畑の土作りとニンジンの種蒔き。被災者の数はどんどん増えていくが、被害が甚大な地域は沿岸部。東北の農業はまだまだ健在だろう。復興は正直言って数年はかかる。これから夏に向けて東北の“農”は中山間地まで地域をあげて野菜の増産に励み、被災者への支援に役立てられないだろうか。政治がきちんと応援してほしい。これができれば食の安全・安心について地域発の大きな潮流を作ることができるのではないか。日本はこれから大きく変わる。ダウンサイジング、ダウンシフトは避けられないだろう。ただし、それは自由主義経済の中での話で、新しい社会のあり方、生き方が明確なコンセンサスとなって現れてくれば、それは幸せのシステムになり得る。日本は世界の最先端を目指すことが可能だ。東北という地域から発信できる。(2011年3月13日)

二日目

車で出勤し、とにかく研究室の中の動線を確保。床に落ちた資料等が一部水侵。ラジオを聴いているが、やはりテレビの映像にはかなわない。コスモ石油はまだ煙を上げている。各部屋の状況は凄まじいが、機器には大きな損傷がないことを確認して、ひとまず安心。昼食を買いに出たら、サンクスの棚に弁当、おにぎり、パンは見あたらない。西千葉駅に向かったら、ペリエは休業。駅のコンビニでカップめんと饅頭を購入。水道と電気は正常なので、調理して昼食。夕方は早めに帰宅。道はそれほどの混雑はなく、自宅に到着。地震の被害がだんだん明らかになると同時に、その被害が想像を超えて甚大であることも明らかに。(2011年3月12日)

その時

最初は微動で、地震だな、と思ったとたんに大きな揺れが来て、本棚の書籍が落ち始めた。エアコンが壊れているため電気ストーブを使っていましたが、早く切らなければと思うばかりで、うまく移動できない。デスクの向こう側にあるストーブまで揺れ動くデスクや、落ちる書籍の中、ようやく到達、電源を切る。その位置でしばらく動けなかったが、6連のスチール書架が倒壊するのではという思いは頭にあった。その頑丈な書架は曲がってしまった。その一瞬は気がつかなかったが、天井の石膏ボードが落下していた。当たっていたら、まぁ痛かったでしょう。揺れがおさまってから、学生部屋へ。そこの大棚は以前から気になっていたのだが、案の定転倒。スチール本棚も倒れて、机に押しかぶさっており、学生がいるか不明。入り口から奥には進めず、別の扉からはいり、誰かいるか、と声を出す。幸い学生はおらず、安心。天井の石膏ボードや機器がはずれており、無惨な状況。計算機室に入ると、ここも同様な惨状。とりあえず揺れはおさまったので1階に降りると、下の階は被害ではそれほどでもない模様。学生も退去したので安心して8階に戻る。共同利用研究員室は博士課程の学生が使っているが、なにやら音。エアコンから水漏れがあり、水浸。机の上に脚立を乗せ、川崎さんが上がってバルブを締める。研究資料などが水に濡れ深刻かも知れない。計算機室からも水漏れが始まり、ここもバルブを締めてなんとか水漏れを止める。一段落したところで、周りの状況に気がつく。海岸方向に火の手が上がっている。そのうち、大きな爆発音とともに、大きな火柱が上がる。JFEかと思ったら、コスモ石油であった。煙は複数箇所で上がっており、深刻な事態になっていると感じたが、この時はまだ何が起きているかはわからなかった。夕方7時に大学を出たのだが、たった12km弱に4時間かかり、帰宅は11時となってしまった。この間、テレビで事態を認識。Wi-FiルータはDOCOMOの回線を使っているのだが、接続できた。やはりネットは災害時に役に立つかも。自宅は食器が割れた程度で被害は軽微。その夜は被災者には申し訳ないが、就寝。(2011年3月11日)

心とはいいかげんなもの

最近、壁にぶち当たったり、将来の不安を抱いて悩み苦しむ若者が増えてきたように思う。私が何かできるわけではないのですが、ひとつ言えることは、心はいいかげんなもの。ちょっとしたことで心のあり方は変わる。どんなに苦しいことも後になって振り返れば些細なことだった、ということがほとんど。苦しいときは気持ちの持ち方を変える何かを身につけていると 役に立つ。今日は天気が良い。風景を見て美しいと思ってみる。そうすると、風景が自分に語りかけてくれる。ひととき、心が和らぐ。視点をぐっと引いてみるのも良い。私は書斎に関東のランドサット画像を掛けているが、地上でうごめく無数の人を想像すると、悩みも些細なものに思えてくる。もうひとつは、高きを望まないこと。優秀なんて言葉に惑わされないこと。地位や名誉なんて些細なこと。これには反論もきそうですが、競争して高みを目指すのは欧米思想が底流にある。自分を磨く中で意識せずとも周りから見たら高みにいる、なんてのが東洋的なやり方。ひとつの人生にこだわらないことも時には必要。でも、おまえに言われたくないという若者もいるでしょう。そういうときは、人の歴史を見るようにする。人は時代を背負って生きている。その時代を思い、人を理解すると、自分を冷静に見つめることもできるのではないかな。(2011年3月10日)

メアさんの“世界”と現実の世界

米国務省の日本部長であるメア氏の沖縄侮辱発言が問題になっています。私は人の“世界”の狭さをつくづく感じます。メアさんにとっては自宅と勤務する国務省の間が“世界”のすべてだったのでしょう。日本部長であっても日本はあくまで仕事の対象で、関係性を持ち、相互作用する対象ではなかったということなのだと思います。人それぞれが持つ“世界”と現実世界が十分峻別されていないことが様々な不幸を生んでいる。いろいろな“世界”を理解して、尊重することから平和が始まる。世界はひとつではないのです。様々な“世界”の集合体として世界がある。(2011年3月9日)

千葉大学の課題−都市と農村の関係−

「ふじのくに防災フェロー養成講座」のキックオフミーティングに参加していました。静岡大学防災総合センターの科学技術振興調整費(仕分けによって来年から名前が変わるそうな)による教育プロジェクト。 私も客員ですので様子を見に行ってきました。学長の挨拶によると、静岡大学は横の連携がなかったが、今回が初めての事業とのこと。必ず発生する東海地震に備えて、“問題の解決が共有できている”。私もがんばりたいと思いますが、なによりリーダーの牛山さんの実践力がすばらしいので、うまくいくはずです。さて、翻って我が千葉大学は横の連携が弱いと常々感じています。静岡は防災という共通の課題のもとで一丸となれると思いますが、千葉大学は何を課題としたらよいか。それは都市と農村の関係ではないか。東京大都市圏に接しながら全国三位の農業県。低成長、人口減少、高齢化社会を迎えて、都市と農村(もちろん、漁村、山村も含めて)の関係を見直すことこそ、望ましい未来を構築するための重要な課題であると思う。さて、この課題のもとで団結できるだろうか。(2011年3月7日)

頭の中のデータベース

ネットカンニング事件に関連したアンケートで、ネットにある知識は覚えなくても良いという回答が約30%あるという。これは大いなる勘違い。知識は理解することによって、他の知識との関係性が見えてくる。理解するためには事実だけではだめで、真実を見る力が必要。これは頭の中にデータベースがあることによって始めて達成できる。この30%が今後も増えていくとすると、世の中はますます“わかりやすい”単純な論理に支配されるようになり、多くの不幸を生むことになるのではないか。真実は事実の背後に隠れており、複雑な関係性によって構成されている。世の中のご意見番というのは頭の中にデータベースがあって、理解によりデータ間の関係性を見つけることができるからこそ、個別の問題に的確な判断が下せるのですよ。(2011年3月5日)

ネットカンニングと大学入試の根幹

ネットカンニング事件は大学入試の根幹を揺るがすもの、なんて報道があるが、そうだろうか。やっちゃった彼は単なるバカ。ルール違反が発覚した段階で、アウト。それだけ。定員より志願者が多い大学では現行のやり方しかないでしょう。信頼関係を前提にしない社会はいずれ歪みが出てくるのではないか。人の評価はそんな短時間でできるものではない。入試には運もあることは認めざるを得ない。根幹を揺るがすような問題があるとしたら、入試よりも大学における教育。入るのは難しいが、出るのは簡単、という現状が大問題。頭に刷り込まれた、とにかく入れればよいのだ、という意識が問題。これは大学だけの問題ではない。歴史の中で考えなければいけない社会全体の問題である。社会がもっと大学に“正しい”期待を寄せ、大学が“正しく”責任を持って応えるという相互作用が必要で、これが社会全体を良い方向に導くのではないだろうか。波及効果は大きい。大学の存在意義が明確になり、勘違いによる不幸を生まなくなるかも知れない。その一つが研究と教育の乖離。これがポスドク問題の一因にもなっている。教育職としての専門性が大学人には必須。個人のための大学ではなく、社会のための大学になるためには時代の要請を的確に認識し、応えていく必要がある。新しい社会のあり方を大学から発信できる可能性は大いにある。(2011年3月5日)

しょうがない

2月に発表登録を締め切った学会の登録費用を請求しました。その学会が立替払いを推奨しており(事務手続きが煩雑になるため)、クレジットカードで支払い、登録料はすでに引き落とされていますので立替払いの請求をしたわけです。それも使途を指定されていない委任経理金で。しかし、契約室からは、大会は5月ですので新年度になってから請求するように、とのことで書類はいったん差し戻しになりました。なぜか。これは登録料であって、すでに引き落とされているにもかかわらず。これが事務方の論理ですが、ここでその論理の正当性を巡って下々同士で議論しても誰の得にもなりません。はい、そうですかと引き下がって新年度に改めて請求するわけです。相手と自分は相補関係。些細なことは“しょうがない”。この、“しょうがない”が私は好きです。もちろん、主張する機会がきたら、問題点を指摘することにやぶさかではありません。 (2011年3月2日)

自分が傷つくこと

怒る場合には自分が傷つくことを恐れてはいけない、なんて書きましたが、それは正しい主張の場合、巨悪に立ち向かう場合のこと。現実には傷つく必要のない傷もある。若者は自分がどう傷つくか、ということがわからないこともあるでしょう。小さな正義を盾に主張すると、人はだんだん緊張の中で生きていかなくてはならなくなる。長続きしませんよ。人は間違えるもの、ということを前提にすれば寛容になれる。寛容になると様々な関係性や事情が見えてくる。ここが見えないと信用をなくすこともある。小さな正義にこだわったために大きな幸せを逃してしまう、なんてこともある。様々なお陰があることに気づくこと。人は関係性の中で生きている。お陰を忘れると関係性がマイナスに作用することもある。私の人生も十分長くなりました。小さな正義にこだわってチャンスを逃すことがあることを知っています。競争より協調。関係性を見極める。そうやって自分のポジションを見つけていくものだと思う。(2011年3月2日)

ミスと悪意

両者の間に明確な境界はない。受け取る側の問題であることも多い。相手のミスに対しては粛々と対応すればよい。それが本当に悪意であるならば、自分が傷つくことを恐れずに堂々と対決すればよい(ただし、これが難しいのだが)。ほとんどの場合の最良解は“がまん”。相手と自分は相補的な関係であることも多いでしょう。まず視点をぐっと引いてみる。俯瞰的な視点から両者の関係を眺め、そこにある関係性を見つけようとする。そうするといろいろな事情がわかってくる。時間軸でも眺めてみて、どうすればよいかを考えると結局最良解は“がまん”ということになることも多い。見極めが大事。怒ってはいけません。特に若者は。(2011年3月1日)

もうひとつの就活

今年は就活が大変な社会問題として取りざたされていましたが、この問題は新卒だけではない。いわゆるポスドク、短期契約の研究職に就く若者の職の継続性の問題がある。ポストがないから、競争なのだからしょうがない、といったいった意見ももっともではある。しかし、人事、特に若手の人事のあり方を再考すべき時期が来たのではないだろうか。人事というのは組織の幸せだけでなく、採用される人の幸せも達成しなければならない。若手人事において我々の世代は人を駒のように扱ってこなかったか。大いに反省する必要があろう。つまらん権威を捨て、優秀病を克服し、30年先を見た人事を行わなければならない。国際的に活躍する、世界トップレベルの、...権力者は格好いい言葉ばかり並べるが、格好いいということは自分のために言っているということ。結果として組織を壊しているのではないか。その兆候は少しずつ顕わになってくるに違いない。では、どうすればよいか。まず、科学の基礎と応用の双方を意識し、両者の間を行き来できる精神を持つ必要がある。基礎の重要性ばかり主張する方は、自分が世間知らずの幸せな研究者、大学人であることを意識すべき。社会とのつながりを持たねばならぬ。一方、社会の側はすべての職種が誇りを持って仕事ができる、そんな精神を持つ社会に移行していかなければならない。そうすれば、若手が活躍できる場も広がり、専門性が社会で活かされる。これが成熟社会というものだと思う。 (2011年2月28日)

楽農報告

ジャガイモの植え付けをやりました。今回は男爵。2週間前に堆肥と石灰を混ぜて耕しておいた土地に幅1mくらいの畝を作り、鍬で溝を2本掘り、種芋を30cm間隔で置いていく。足りなくなったらでかい芋を二つに切る。本当はしばらく乾燥させなければいけないのですが、楽農ですから。次に芋の間に堆肥と化成肥料を混ぜたものを置いていく。最後に土をかぶせて終了。さて、6月頃が楽しみ。(2011年2月27日)

本気を出したか

年度の境目で残務整理と新年度への準備でバタバタしています。新年度の準備とはコンピューターシステムの更新。新しい機種やソフトウエアの導入に取りかかり、老いた頭をこき使いながら少しずつ問題をクリアしています。完成したら最高水準の計算機環境になるはず。学生にはそれを使いこなしてほしいのだが。今日は研究室の納会。卒業、修了する学生は「本気」で自らの研究課題に取り組み、これからの人生の糧を得てくれただろうか。「本気度」を高めろ、とよく言っているのですが、若者の中には「本気を出す」ということがどんなことだかわからないものもおるのではないか。そんな気がします。自分のスタンダードでがんばって自分で満足する、というのは真の「本気」ではない。「本気」であるためには自分をその課題に関わる集団の中できちんと位置づけなければならない。まず、そのような問題の解決を共有する集団がある、そして自分もその一員であることを意識する必要があり、次にその集団の中で自分の責任を自覚し、役割を果たす。これが意識され、実行されてはじめて本気で取り組んだといえる。なにより、成果を出すのは時間がかかる。一朝一夕には達成できないことも常に意識しなければならない。社会に出れば否応なく気づかされるこのこと。これがわかっていれば、就活の苦労も少しは和らぐのではないかな。また、社会の中で苦しんでいる人がなぜそうなのか、これもわかるはず。(2011年2月23日)

里山はなぜ守らなければならないか

これはいずれきちんと理論化しておかなければならない課題。卒論発表の後、ある先生から“里山がなくても人は生きられるのではないか”と言われました。その通りです。生きていくことはできる。でも、それは都市的社会で高度管理型社会。緊張のシステムで運営されるシステムとなるであろう。そんなシステムを維持するコストの問題をクリアし、緊張の中で生きることを容認できれば、それはそれで良いという人がいても認めざるを得ない。しかし、里山がもたらす生態系サービスは低コスト社会実現のキー、また生態系サービスには心に関わるものもある。対象との間で心に関わるものを排除して成り立ってきたのが(狭義の)科学であるから、科学者が心について言及しないことはよくわかる。しかし、低成長、高齢化、人口減少を迎え新しい社会のあり方を考えなければならない時に、“心”を排除することは私はできない。来るべき未来では“低コスト社会”と“安心社会”、この二つを実現しなければならない。低コストに関わる技術はすでにあるし、安心に関わる機能も確実にある。ここの定量的な評価を行わなければ都市住民は里山を守ることに納得しないのだろうか。定量化の手法は方法論としてはある。これをやらんといかんかな。(2011年2月18日)

理論と行為の間には深淵がある

卒論発表会一日目が終わりました。うちの学生は環境、それも問題を意識した研究をしているので、地球科学の中ではちょっと変わったテーマ設定をしています。そのためか無理解に基づく質問も出てくる。もちろん、学生が自分の課題を充分“わがこと化”できていないので質問にうまく対応できないということもあります。一年間の経験ですので、これはしょうがないかも知れない。そんな質疑応答を聞いていて思い出したのはキルケゴールの言。「理論と行為の間には深淵がある」(岩田晴夫、「ヨーロッパ思想入門」、岩波ジュニア新書)。いろいろな言い方が可能だと思う。普遍性と実践の間には深淵がある。理学部で目指している“真理の探究”と“問題の解決”の間には深淵がある。大学教授といえども専門から離れれば素人。行為、実践がなければ他分野の研究、特に環境研究の本質はわからないことも多い。大学教授であったら主張の裏付けを持った上で論理的な質問をしていただきたいものだと思う。たまたま新聞で見た「科学なし/だけ問題」ですが(下の書き込み)、極めて重要で大学人も議論を深めなければならんのう、と思う。(2011年2月17日)

専門家をはずし、科学談義を

朝日朝刊の記者の尾関さんの「科学カフェ 素人にも発信の場がほしい」より。科学「なし」には解決できないが、科学「だけ」では答えが出ないことがある。この時代、そんな「科学なし/だけ問題」が増えた(平川さん、「科学は誰のものか」、NHK出版生活新書)。そこで「あえて専門家をはずし、素人で科学談義を」、とくる。「素人が素人の発想を大事にしながら思考と論理を磨く。それが、科学者との対話を実らせる第一歩になるかもしれない」。尾関さんはいつも記事で科学に対する辛口のエールを送って頂いているのですが、それでも科学者の役割を高く評価しているようだ。科学者が目指す真理の探求と社会が求める問題解決の間には大きな谷がある。もし問題の解決を目指すとすると、科学の役割はどんどん相対化していく。協働のみが問題の理解とあわよくば解決を可能にする。これは社会学では以前から言われていること。科学者は問題の解決の場に出しゃばらない方が良い。みんな同じ「問題の解決を共有」する仲間。同じ立場で解くべき問題について議論すればよい。科学者は「問題を共有する」だけなので問題の現場からは疎まれていることも多い。ここに気がつかなければ科学と社会の間の溝は埋まらない。(2011年2月17日)

大相撲春場所中止に思う その2

朝日朝刊、私の視点欄で西中さんが「大相撲の八百長 存廃問うのは行き過ぎ?」と題してご意見を述べられておりましたが、その通りだと私も思います。特に共感するのは、世相にふれた部分で、『やや大げさに言えば、何か落ち度があれば突然、「正義の味方」が続々と登場し、寄ってたかって「悪者」を追求するという昨今の世相の現れのような感じすらしないこともない』と述べている点。こういう世相はみんなが感じている。ノイジーマジョリティーの特質として過大に認識されているにすぎないのではないか。他人を責める人は心が弱い人あるいは狭い人。成熟した社会人あるいは良い意味での文明人の行為ではない。とはいえ競争、評価の現実を眼前にした現代人が本能的に行う自己防衛の機能なのかもしれない。最近どこかで聞いたのですが、「強くなるためには自分が傷つくことを恐れてはいけない」。多くの人は傷つかないため、あるいは優秀と言われたいために他人を叩く。こんな未熟社会はそろそろ卒業したい。「にんげんだもの」という相田みつをの書があります。人間ですから、喜怒哀楽失敗、いろいろある。これからの社会は寛容がキーワードではないか。寛容であるためには成熟した精神を持たなければならない。他人のことを叩いてばかりいる人は相田みつをの「その時自分ならばどうする」の書を眺めて考えてほしい。さて、どうするか。(2011年2月16日)

大相撲春場所中止に思う

大相撲の八百長問題で春場所が中止になってしまいましたが、はて、これでよいのだろうか。八百長は小物がやったこと。そんな輩が強くなれるわけがない。捨て置けばよい。上位陣は胸を張って不正などなかったことを主張し、経営陣は責任を一身に背負い、実施に踏み切ってほしかった。今回は経営陣の調査のやり方がよくないのではないか。力士を信頼していないということの宣言になってしまった。これでは力士側の協力も得られないのも致し方あるまい。力士といっても現代を生きている若者。どうやら根本的な問題は大相撲のしきたりと現代の若者の思想が合わなくなっているということ。伝統を守り、縮小するか、改革を行い、新たな方向を目指すか、それとも伝統を守りながら持続することができるか。いよいよ大相撲は正念場を迎えたようだ。しかし、ここは踏ん張ってほしい。八百長の一因には上位と下位の待遇の差があったようであるが(あって当たり前ですが)、世の中も金から心への回帰が始まっている。時代の先を見越した改革であってほしいし、それが昔からの大相撲のあり方を深めることであったらなおよい。翻って教育者の立場で考えると、まず学生(力士)を信じるということをスタンスにおかなければならないだろう。その上でしっぺ返しを食らってしまったら、しょうがない。忍の一文字でしばらくはやっていかなくてはならない。でも自分に信があれば、必ずやうまくいくときがやってくる。敵は派手ですが、地味な見方もたくさんいる。それでもだめだったら、飄々と生きていく。これしかないですね。相撲が好き、研究が好き、教えることが好き、であってそれができれば良いじゃないですか。(2011年2月8日)

若者の就活問題

日本学術会議では会長談話としてこんな声明を出したとのことです(2月2日付)。書いてあることはごもっともなのですが、何となく人ごとのような書き方のように感じます。それは「就活問題」に対応する実践が見えてこないから。偉い人が各方面にお願いして“いい人”になって自己満足しているような問題ではないのではないか。この問題は企業、学生、大学の個々の問題ではなく、社会のあり方、人の生き方に関わる、そして日本が直面するきわめて深刻な問題であり、皆が“わがこと化”して考え、実践を始めなければならない重要課題であるように思います。私もこんなことを書いているだけでなく、実践を始めねば。(2011年2月3日)

「思う」から「考える」へ

昨日の夕方は卒論、修論の提出締め切りでした。皆さん、なんとか無事に提出でき、これで審査に入ることができます(修士の提出は12月ですが、コースの内規で1月末になっています。審査は終わっており、17日は文字通りの発表会になります)。卒論は1年間、修論は2年間かけてここまでたどり着いたわけですが、きちんと学んでくれただろうか。卒論、修論は研究論文ですから、そこに書かれていることは著者が「考えたこと」であり、「思った」ことではない。思ったことは誰が何と言おうと自分が思ったことで良いのですが(自分が信頼されるかどうかが問題)、論文は「考えたこと」でなければならず、“私は〜と考えた”、なぜなら“〜だから”と続かなければならない。論理的に正しければ認めるのが研究のルール。この論理性を学ぶのが卒論、修論の目的の一つである。巷には根拠が不明の情緒的な憶測が溢れている。時として、人の、あるいは社会の行く末を決めるドライビングフォースにもなってしまう。これではあかん。きちんと論理をもって考える習慣を学んでおかねば、不幸を生んでしまう。自分で判断する力を醸成するために、「思う」から「考える」へチェンジしてほしい。(2010年2月1日)

自然との共生

火山の噴火、大雪、鳥インフル...ちょっと前は地震、旱魃、洪水、土石流、そして口蹄疫。世の中大変なことになっていますが、これらはみな自然。もちろん、人間がディザスター(災害)の素因をつくっている場合もありますが、自然現象。世の中では、自然と共生するのだ、という掛け声は聞こえてくるが、現実はどうか。自然に何が起ころうと人間のシステムを止めることはまかりならん、として右往左往しているのが現状。いつかハザード(災害をもたらすこともある自然現象)が発生すること自体は自明。ハザードが発生した時は人間システムを一時停止してもいいのではないか。ディザスターは防げる。それが自然と共生するひとつの方法。しかし、競争を旨とする自由主義的社会がそれを阻んでいる。休んでいる間に他の地域の方々に追い越されちゃいますから。自然との共生を謳うということは、社会のあり方の変革を実は含んでいる。現実と理想の狭間で世の中は(悪い方の意味の)ダブルスタンダードになってしまっている。自然との共生を実現できる互助社会はグローバル社会ではあまりにも迂遠。やはり、地域から作り上げていくしかないのではないかな。(2010年1月31日)

LEFT ALONE−Marlene/1986

ギターでMal WaldronのLeft Aloneを練習しておりまして、YouTubeで映像はあるかと探しましたらマリーンのボーカルを見つけました。実に深い魂(ソウル)を感じ、思わず涙。マリーンは昔から知っていますが、こんなにも味わい深い歌唱力を持っていたとは気が付きませんでした。まだまだ探求が足りなかった。恥ずかしい。

Where's the love that's made to fill my heart
Where's the one from whom I'll never part
first they hurt me, then desert me
I'm left alone, all alone
Where's the house I can call my own
there's no place from Where I'll never roam
town or sity, it's a pity
I'm left alone, all alone
Seek and find they always say
but up to now, it's not that way
Maybe fate has let him pass me by
or perhaps we'll meet before I die
hearts will open but until then
I'm left alone, all alone

恥ずかしいといえば、先ほど恥ずかしげもなく若者を叱咤激励する文章を書いたところですが、こういう曲を聴いておセンチになっている時は、人はいつも頑張っているわけにもいかんのだな、とも思う。これは男女の詩ですが、社会のことにも敷衍してもいいでしょう。やはり、二つの社会(たとえば、2010年8月9日参照)が必要なのだが、両者を行き来するためには世の中を理解し、自分の考え方を確立しておく必要があり、結局勉強なんだな。ただし、ディシプリンの勉強ではなく、広い意味の勉強。マリーンについて調べることも自分を深める勉強だと思う。(2010年1月30日)

自分で判断する力

朝日に「仕事力」というコラムがあるのですが、安藤忠雄さんの連載が始まりました。この方は私も好きで良く発言を引用させて頂いておりますが、今回のタイトルは「失敗を乗り越える力を持て」。まず、「若者はぬるま湯から抜け出せ」と題して、親である団塊世代の過保護を乗り越え、「失敗を乗り越える力を持て」と提言しています。次に、過保護がもたらす判断力の欠如を憂え、「日常で判断力を磨け」と述べています。私も全く同感で、若者が小さな壁を避け、力を磨かないでいると大きな壁にぶち当たってしまう状況を何度も見てきました。自分で判断をすることの大切さに気が付かないままに、“やるべきこと”を“わがこと化”できず、自分の考え方を持つことが出来なくなった状況も見ています。安藤さんも指摘していますが、親世代による一流企業に入れば安泰という刷り込みが自分で判断できない若者を増やしている。ここが重要だと思うのですが、親の時代とは変わった現在、親の思いこんでいる社会とは別の社会のあり方を示さなければいけないと思うのです。若者の幸福観はまだまだ親譲り。大企業志向の幸福観では競争に突入せざるを得ない。新しい幸福観は若者の中から出てくるだろうか。我々の世代で指針を示さなければいかんのではないかとも思います。幸せな大学人にそんなことを言う資格があるのか、という声も聞こえてきそうですが、大学人にとって大学を替わるということは転勤ではなく、転職。振り返ってみれば職員として三つの大学を経験し、異動も四回ありましたのでそれなりの判断をしたことはあると思います。自分で判断する力を持て、とこれからも主張していきますが、実は勉強することの意義はここにある。判断するためには頭の中にデータベースが必要。データベースのメンテナンスは日頃から心がけておかないと。(2010年1月30日)

すでにある時代の潮流をブレークスルーさせるには

朝日朝刊、オピニオン欄、うちの大学の広井さんによる「成長期終え創造の時代へ」から。広井さんは人類の歴史を俯瞰すると「拡大・成長」と「定常化」の時代があるという。現在は「第三の定常期」への移行期にある。前者の時代には世界が一つの方向に向かう中で、「時間」軸が優位になるが、後者の時代には各地域の風土的多様性や固有の価値が再発見されていくだろう(これは「空間」軸の重視と、多様な“世界”の承認ということだろう)。そしてこれらは資本主義の変容ないしポスト資本主義というテーマに繋がると、述べている。まさにその通りで120%賛同したい。実は同様な考え方は思想、哲学、社会学、地理学、などの分野では潮流としてすでにある。現在はすでに実践、見ためしの時代に入っているように思う。いつの時代も新しい考え方は突然生まれるのではなく、潮流としてあったものがブレークすることによって社会を動かしていく。課題はどのようにしてブレークスルーに導くかという点にある。問題は現在の主流を占めている古い時代の思想の慣性。そして、個々人の世界の範囲。やはり、時間軸、空間軸を意識し、その軸の範囲を広げていきながら、そこにある多様性を尊重できる学問を我々大学人は推進していかなければならんと思う。まずは実践、次にその成果に基づいた主張でしょうな。(2010年1月27日)

メディアと世界観

帰宅したら家族が今までと違うテレビ番組を見ている。ケーブルテレビに接続したと。チャンネル数が劇的に増えて、様々なエンターテイメントやら、ニュースやらが楽しめる。CNNやBBCも視聴できると、なんだかお茶の間が世界に繋がっているように感じる。英語番組を見ているとよくわからないので、英語に対するモチベーションが上がるのは良い刺激ですが、世界が一望できて、やたら忙しく動いているという感覚は人の世界観に影響を与えるのではないか。人の意識のグローバル化を推進し、隠れたものは人の意識からは遠ざかっていく。なんていうと、ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルもあるではないかといわれそう。世界の様々な地域を知ることもできる。メディアとうまくつきあいながら世界を俯瞰し、見えないものまで見ることができる力の醸成が大切になってくるように感じる。これも大学も役目になるだろう。(2010年1月26日)

「なぜ」と問う

朝日朝刊から。哲学者、佐々木中氏へのインタビュー記事。私も事業仕分けの頃から特に気になってしょうがなかったのですが、政治や行政の様々な局面で「なぜ」がないがしろにされている。福祉、経済、環境、様々な分野における発言や政策の背後にある「なぜ」を突っ込んで議論することが少なくなっているように思う。例えば、スーパー堤防事業の背後には「都市文明」のあり方に対する思想がある。政策変更は思想の変更でもあるが、この点の議論が伝わってこない。おそらく「気が付いていない」と言った方が現状を正しく表しているのかも知れない。だとしたら、日本の危機である。「なぜ」と問うことによって、考え方の根拠が明らかになるとともに、事柄の背後にある様々な関係性が見えてくる。この関係性を認識することによってはじめて「折り合い」がつく。政治も落ちるところまで落ちてしまっているようですので、ここはじっくり自らの発言の背後にある思想、日本をどうしたいのか、という考え方を明らかにすると同時に、自らの「世界」(個人が意識する範囲、個人の考え方が形成されるベースになる)の範囲について振り返ってみる必要があろう。(2011年1月26日)

折り合い

またやってしもた。酒を飲んで「千葉大は馬鹿ばかりや」。「そんなこというたらあかん」。いや、その通りや。でも、心の折り合いは何年たってもつかへん。それが普通や。イレッサ訴訟では企業側は和解勧告を拒否するそうだ。司法判断を仰ぐとのこと。それもしょうがないやろな。誰にも正当な言い分がある。不幸な出来事が歴史の中で充分解釈されて、どうすればよかったか、がわかるようになってはじめて折り合いが付く。もちろん失われた時間は取り戻せないが。まずは出来事がいろいろな方々との間で共有される必要がある。経験が誰とも共有できないと、折り合いはなかなか付けられない。これは弱さなのか、それとも人間らしさなのか。(2011年1月25日)

回り道

とうとう53歳になってしもた。ここ数年迷ってばかりで、この年齢もプレッシャーではある。そんな中、ビッグコミックオリジナルでいい文章に出会いました。「回り道、出来る様になるんは50歳過ぎてからや思いますわ。それまでは何が起きたって回り道は出来まへん。だから、必死に生きている時の道は一本道や。二本も三本もあるもんやない」。『風の大地』第491話エンディングから。確かにそうや。若いうちは一本道やで。けど、50過ぎて同じ道しか知らんというのも世の中狭すぎや。若いもんが一途なのはよろし。応援しながらわてらシニアは回り道をするのもよろし。それが新しい道にもなるやも知れんなあ。どうせ若者との間には大きな溝があるのや。ひっそりと道をつくっておくのもわてらの役割かもしれん。(2011年1月23日)

体験がつくる世界観

英国BBCで広島と長崎で二度も被爆した山口さんをジョークのネタにしたことが話題になっています。実に失礼な話なのですが、まぁ、しょうがない。人の意識する世界とは、その人が体験した世界に過ぎない。体験していないことは“わがこと化”することはなかなか難しい。イラクで亡くなった兵士の親は、ジョークと感じただろうか。テレビの中の他人の不幸はスイッチを切ればリセットされてしまう。世の中は劇場型社会になった。様々な議論が世の中にあるが、異なる世界がお互いに見えず、折り合いがつけられないだけと感じるものも多い。先日、朝日でTPPをめぐる東大と京大の先生の意見が載った。私はTPPは慎重派だが(最近、反対派から慎重派にぶれましたが)、東大の先生は推進派で、京大は慎重派。東大の先生は都会の中で暮らす都会人に違いない。農業に関する発言では農業=産業と捉えていることからもわかる。一方、京都はまわりを山に囲まれ、ちょっと郊外に行くと豊かな自然や里が残っている。何より、悠久の歴史を実感することができる。空間と時間で世界を捉える感性が醸成されている。東京は普遍性によって成り立っている文明世界。時間・空間による違いは受け入れない。外の世界との関係性は意識しない。だから野菜も商品で、その由来は気にしない。キレイで安ければ良い。京都はちょいと違う。二人の先生方の日常で体験する世界を想像すると、お二人の意見の違いはよく理解できる。世界を俯瞰的に眺める習慣、すなわち時間軸、空間枠の中で、様々な関係性を意識することこそが日本の行く末を指し示してくれるのではないか。(2010年1月22日)

後戻りのできない不幸への道

帰宅してテレビを見ていたら、かみさんが何か気が付かないか、とのたまう。そういえばテレビがチデジカされている。正直言っていわれるまで気が付きませんでした。キレイな映像も一瞬で慣れてしまい、それが当たり前になってしまう(私が鈍いだけという説もあり)。アナログでも変わりなかったなぁ、と思うが、この後アナログに戻ったらどうなるか。願望水準理論によって不幸度が高まってしまうか。ひょっとしてチデジカも後戻りのできない不幸への道だったりして。考えすぎ。(2010年1月21日)

「環境哲学」確立への期待

「あらたにす」の安井先生のコラムから。「環境哲学」という言葉はまだ一般的ではないというが、そうだろうか。昨年読んだ「風景の中の環境哲学」(桑子敏雄著)は2005年に出版されており、1996年には「環境の哲学」が出版されている。とはいえ、「環境哲学」は萌芽期にあり、まだまだ考え方が深められていく分野なのだろう。何より環境“問題”を論じるときの基本的姿勢をこの分野が理論化してくれる期待がある。これがないと、異なる分野・セクター間の環境問題に関する議論は収束しない。未来をどうしたいのかという立場を明確に示そうとするのが環境哲学ではないだろうか。似た分野に環境倫理学があるが、その最も基本的な概念が、世代間調停だという。私はこれに空間的な視点も加えたい。社会学でいうところの「受益者・受苦者」問題。加害者と被害者が空間的に離れている問題。地盤沈下や、飛行機や電車の騒音問題がこれにあたる。時間と空間、これを併せて環境哲学の基本概念を構成できないだろうか。となると、環境哲学は地理学をベースにして、それを思想・哲学で包んだものになる。(2011年1月19日)

水俣条約 日本の矛盾

水銀規制、意気込むけれど輸出国。朝日夕刊から。水銀汚染対策として、水銀の工業利用や大気への輸出を規制する条約の交渉委員会が24日から千葉県で始まるが、日本としては「水俣条約」と名付けたいそうだ。しかし、水俣後、リサイクルの進んだ日本は水銀の輸出国でもあり、途上国の闇市場に出回り、汚染につながっている恐れがあるという。この条約がまとまれば環境立国として一歩前進ということになるだろう。ただし、取り出された水銀の保管の問題が出てくる。長期保管の方法、保管場所の選定。放射性廃棄物と同じ。享受した便利には代償が生じる。文明人はまずこのことを強く意識せねばならない。その上で、未来の社会をどうするか、考えなければならない。まだまだ気づいていない“代償”はあるに違いない。まず“見える化”が大事であり、研究者の役割の一つでもあろう。(2011年1月15日)

牛めしを食べながら思うダブルスタンダード社会

今日の昼は松屋の“牛めし”を食べました。みそ汁付きで240円。正直言って安い。以前より80円も安く、消費者にとってはありがたい。しかし、店にとっては大変なことでしょう。同業他社が値下げするのでしょうがない。限られた客を奪い合うわけですので、こりゃまたしょうがない。どこかが潰れたら競争力を高めることができる。だから、どこかが潰れるまで競争、いや闘争を続けるしかないのか。西千葉の吉野家はとうの昔に撤退している。なんだかおかしいと皆さん思っているのですが、これが自由主義社会の掟ですからまたまたしょうがない。しかし、いろいろな分野で競争の結末は見えている。たとえば、パソコンのOSがマイクロソフトの寡占状態になって良い製品が生み出されるようになったかというと、ちょっと違う。牛丼屋も淘汰が進めば、生き残った業者はこれまでの損失を補填するために値上げせざるをえまい。牛丼は庶民の食べ物ではなくなってしまうかも知れない。どうしたら良いのか。全国一律、どこでも同じものが食べられるという形態から消費者が脱却するしかないのではないか。少々高くても地域における価値を認めて代金を支払うことができる食べ物。でも、忙しい都市生活者にとっては早くて安い飯が食えればそれはそれでよい。牛丼は都市の食べ物。実は農村的社会には安くはないけれど美味しい食べ物や、それを味わえるゆとりがすでにあるのではないか。都市生活者には見えないだけ。ちょっと視点を引いて、ダブルスタンダード社会。(2010年8月9日参照)のあり方をあらためて俯瞰してみる必要があるなと思う。(2011年1月14日)

「知情意の総合力」育め、とは

東の窓の外で新聞がひらひら舞っている。見えなくなったと思ったら今度は南の窓に見え隠れしている。そこは庭の中なので拾いに出たら、すっと引き寄せられる様に私の手元に飛んできた。舞っていたのは今日の日経。まるで意志があるかのように振る舞う新聞。きっと死んだ親父が読めと促しているに違いない。何か重要な記事があるかと紙面を開くと、そこには慶應義塾前塾長の安西さんの記事。今日、成人を迎える若者は1990年か、1991年生まれ。彼らの生きてきた時代は我々とは全く異なる時代。若者に自分の体験を追体験させたがるのは大人が陥りやすい陥弄。彼らを応援することが大人の責務。そこで、「知情意の総合力」と来る。どこでも、自分の言葉で語り(知)、相手の心の痛みを感じ取り(情)、自分の判断力により行動する(意)力を育むことを大人の責務とする。その通りだとは思うが、大人が「知情意」を身につけているかといえば、否である。これからは世代間の理解と協働こそが必要な時代。大人が悪いわけではなく、そうなった歴史的背景がある。それを理解することが協働へ繋がる。また、様々な地域(人の世界)があることを認識することで個々の“意”の背後にある思想が理解できれば、協働につながる。「知情意」とは結局、時間・空間の中で関係性を意識することによって育まれるもの、といえるのではないだろうか。(2011年1月10日)

巨大システムの落とし穴

今年も早一週間が過ぎた。すでにいろいろなことが起きているが、今週は5日に発生した東京消防庁の119番トラブルが気になる。だんだん原因がわかってきたところですが、要は東京都の中の各自治体の予算不足で消防通報システムの東京消防庁への統合を進めた結果、パンクしたらしい。統合していなかった稲城市は問題なかったとのこと。システムが巨大で複雑になった結果、かえって脆弱性が増したといえる。消防庁のシステムも数年後には更新の予定であったという。繋がらんと困る、と憤る住民の姿も報道されていたが、自分たちの安全を担保するシステムについて何も知らないのであれば、それは「文明社会の野蛮人」。地域の安全を守るにはどんなシステムが効果的なのか。ユーザーたる住民サイドも考える必要がある。地域ごとの分散システムがいいのか、巨大システムによる一括管理がいいのか。消防は地域主体であるが、救急は昨今の医療の状況ですと、広域をカバーする必要があるかも知れない。非常に難しい課題であるが、理解を試み、考えることこそが文明人に求められている姿勢ではないか。(2011年1月8日)

講義はサービスか

土曜日の集中講義をお願いしている先生と話していてこんなことを伺いました。講義のはじめに、今後の予定は後で話しますと述べて、講義の最後に今後の予定を述べました。ある学生は途中で退席したのですが、翌週から出席しなくなりました。講義期間の終盤になって心配した非常勤の先生が、学生の担任に相談したところ、学生と面談を設定したとのこと。その結果わかったことは、何も掲示がなかったから講義に出なかったと。途中退席して話を聞かなかったのは学生の責任ですが、非常勤の先生は掲示をすべきだったのか。もちろん、そんなことはありません。なにしろ講義日程は決まっていますので、学生は決められた時間にはやってきて受講すべきでした。当たり前やないか、とほとんどの方は思うでしょうが、学生がたとえば学生相談室にいってしまったらどうなるか。教員が一方的に悪者になってしまう。だから、学年担任の先生もわざわざ学生と面談をしたわけです。学生相談室の信頼性が揺らいでいることは大学側の問題ですが、講義の主導権は基本的には教員にある。一方的に教員がサービスを提供して、そのサービスの良否を学生が判断するのではないのですが、勘違いは確かに増えている。講義の主導権は教員にあり、講義は教員と学生が協力しあいながら運営していくもの。わからなかったら質問をする。教員は答える。その繰り返しで理解が深まっていく。反論も聞こえてきそうですが、一方的なサービスを受けることに慣れてしまった学生を企業は採用したいと思うか、考えてみればすぐわかること。(2011年1月8日)

お金と幸せ

朝日朝刊の一面に九州産業大学キャリア支援センターが作ったという札束(複製)の写真が掲載されていました。正社員の生涯賃金である2億9000万円とフリーターのそれの9120万円分を積んだ札束の山ですが、これを見て正社員とフリーターのどちらを選ぶかを学生に問うている。山の大きさが幸福度を表していないことは明らかだと思うが、“お金が幸せを作るのだ”という九産大の主張だろうか。それももっともであり、九産大の主張を否定はできまい。とりあえず手っ取り早い幸せへの近道が正社員であるという主張は“わかりやすい”から(正社員といっても大手企業の正社員という意識が背後にあると思うが)。ほんとうにそうだろうか。大きな問題は多様な生き方を選べなくなっている、というか、見えなくなっているところにある。大学教員は細分化されたディシプリンの中で生きているので、たまたま就職担当になってもどうしたら良いかわからず、わかりやすい言説に流されているのが現状ではないだろうか。幸福度を最適化する生き方は正社員以外にも必ずある。これは確信できる。多様な生き方はアンテナを張って、情報を収集し、体験してみなければなかなかわからない。でも、これができれば正社員競争を勝ち抜くことだってできるのではないか。一番の問題は幸せを求める人の視野が狭くなっていることにあるのかもしれない。(2011年1月5日)

県立船橋高校1976年卒業生同窓会

人付き合いは苦手な質で、同窓会にもあまり出てこなかったのですが、今後は積極的に参加することにしました。というのも、様々な “もの、こと、ひと” との関係性、関連性を大切にせよ、と主張しているのに仲間との関係性を大切にしない自分に論理矛盾を感じてしまったから。今年は性格を変えようと思う。35年ぶりの再会もあり、というか、ほとんどですが、懐かしい面々に会うことができ、少しずつ心の中の時計が巻き戻されていく感じです。今、書斎で思い返していますが、まだ時計の巻き戻しは続いています。この関係性は大事にしていかなければあかんなと思いつつ。(2011年1月3日)

便利な道具の仕組みを知ること

大学進学が決まった娘がパソコンが必要だという。そこで、初売りで買うことにした。ついでに無線ルーターを購入。ところが、設定がうまくいかない。数時間試行錯誤を繰り返し、結局、どうしてうまくいったかはよくわからないのですが、何とか繋がりました。とはいえ、無線ルーターの仕組み、考え方を勉強することができました。もし、設定がすんなりうまくいってしまったら、人は「文明社会の野蛮人」になってしまうのではないか。最近、パソコンの設定やら、機械を使いこなすことがめんどくさくなっており、私も野蛮人化しつつあることを反省。文明の利器を使いこなすにはある程度の専門知識は必要。自分が利便性を享受している文明の仕組みを理解することが、その文明を持続させる重要な要素なのだと思う。同様に、自然の仕組みを理解することも、環境の持続性、すなわち人と自然の関係性の無事、を担保するために必要なこと。環境野蛮人になってもあかん。とにかく、便利になりすぎてはいかんのです。(2011年1月2日)

「人材育てていない」6割

いきなり元日の朝日の記事。日本の大学が「世界に通用する人材を育てることができていると思うか」、「企業や社会が求める人材を育てることができていると思うか」で、「できていない」がそれぞれ63%、64%という結果だったとのこと。私は理学系の研究科に所属しているが、その世界を見ている限りこのアンケートの結果はその通りだと思う。ただし、この議論の前段階では「大学は何のためにあるか」というコンセンサスが必要だと思う。現状では「社会のための大学」と「個人のための大学」という意識が混在し、峻別されていない。国民的議論によってこの部分の理解を深めることがまず必要。その上でそれぞれの大学が役割を自覚してきちんと対応していくことが必要。そもそも問題は大学人の研究志向の強さにある。研究は深まったが、社会との乖離が大きくなったというのが現状。それでいいという考え方も認めつつ、大学と社会の溝をどう埋めるか、これを今年の重大課題の一つとして考えていきたい。(2011年1月1日)


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