第1章 自然地理学とはどんな学問か?

昨年までの講義資料ですが、自然地理学の特徴を説明しています。じっくり読んで、わからないことがあったら質問してください。
1 ・地理学は自然地理学と人文地理学があり、二つ合わせて系統地理学といいます。地理学の体系としては系統地理学以外に、地誌学、地図学、地理学史があります。
・地誌学は特定地域の自然と人間のあり方、その間の問題等について扱います。
・地図学は地理情報システム(GIS)の登場によって地理学の重要な柱となりました。GISは地形図や主題図をコンピューターで扱い、高度な地域の理解やグローバルの中における地域の位置づけを行うことができます。高校で必履修化される「地理総合」における重要な柱にもなっています。
・地理学は環境を構成する様々な要素の関係性を探究する科学であり、原理がわかればすべてがわかるという科学ではありません。地域ごとの経験知を集積する必要があるため、勉強は大変かも知れませんが、この世界で暮らすことの意義や楽しさを与えてくれる学問なのではないか、と考えています。
2 ・皆さんには自然環境の仕組みを理解した上で、皆さん自身の行動を決めてもらいたいと思います。
・それはハザード(災害の誘因となる自然現象)が発生した時に、それがディザスター(災害)になるかどうか、は皆さんが自然の仕組みを理解していたかどうかによって変わってくるでしょう。
・地理学を学んで、皆さんや皆さんの家族の命、財産を守ってほしいと思います。
・日本は良い国です。皆さんは警察、消防、自衛隊、といった組織によって守られています。医療、教育、福祉も皆さんのために働いてくれる組織があります。そのことをしっかり自覚していますか。
・守られているということは、当たり前のことではありません。自助・共助・公助は順番ではありません。あらゆるレベルで皆さんを守るということで、そのためには自助も必要なのです。
・自助・共助・公助のアクションを機能させるためには自然の仕組みを知っておく必要があります。
3 ・東日本大震災における液状化の例を示しましたが、震災以前にも千葉県における液状化の危険度予測図はひっそりと公開されていました。
・“ひっそり”というのは、当時は土地の災害危険度は土地の資産価値を下げるという感覚があったのかも知れません。しかし、現在では資産よりも命や暮らしが大切というマインドが定着してきたように思います。
・液状化の危険度は地理学的な知識があれば判断できます。講談社にブルーバックスという科学新書がありますが、1984年の「災害の地理学」に千葉県の液状化を起こしやすい地域の地図が掲載されています。
・この知識を社会の知識にしたいものです。その思いが2022年からの高校における「地理総合」の必履修化につながっています。
4 ・地理学における重要な経験知が地形図の判読です。
・例えば、東日本大震災では我孫子市で液状化の被害がありました。その場所は古い地形図(旧版地形図といいます)を見ると、かつての沼でした。
・左の明治初期の地形図で、利根川から直角方向に延びる矩形の沼があった場所です。
・液状化を起こした、かつて沼であった場所は、江戸時代に利根川の堤防が破堤したときに、水流がえぐった落堀(おっぽり)と呼ばれる地形に水がたまったものでした。利根川が運んだ砂が地中に堆積していた場所で地震時に液状化が発生しました。
・今では都市化が進み、昔の土地利用はわからなくなっていますが、元の土地が持っていた性質はずっと保たれています。
5 ・地理学の主題は人と自然の関係性ですので、地理学は環境学といっても良い内容を含んでいます。
・環境という用語はマジックワードでいろいろな意味で使われていますが、本来の意味はスライドに書いてあるものです。
・環境の特徴は、5つの“~性”で記述することができます。ここは少し難しいのですが、後で詳しく説明したいと思います。
6 ・教科書については、最近新しいものも出版されているので講義の中で紹介したいと思います。
・ただし、地理学は個々の分野に細分されるものではなく、個々の分野の相互作用、さらに人間との相互作用を理解することが目的です。
・学問の細分化は20世紀を通じた流れでしたが、様々な環境問題、社会問題がますます顕在化してきた現在、分野間の統合、社会との関係性の構築は地理学の喫緊課題です。
・それはSDGsや気候変動に関するパリ協定の実現とも深く関わっています。
7 ・地理学のメインストリーム「系統地理学」の体系(の一部)です。細分化された分野はまだまだたくさんあります。それらの分野がつながっていることが、系統地理学の特賞です。
・系統地理学では人と自然の関係性を扱っている。だから、環境学といってもよいということが理解できるでしょう。地誌学と組み合わせると、世界の様々な特徴ある地域がどのように世界を構成しているのかが見えてきます。
・こんなに勉強できないよ、と思うかも知れません。経験者として、それは単にマインドのあり方だと思います。すべてを勉強してから実践するのではなく、実践しながらあなたの世界を拡大していけば良いのです。
8 ・環境とは5つの“~性”で特徴づけることができると思います。それが地域ごとの特徴、地域性を創りだします。
・地域性を理解することが、グローバルを理解する最初のステップだと思います。
・グローバルが均質な一つの世界であるという世界観では、地域の問題を理解することが難しいのではないでしょうか。
・世界は一つか、たくさんの特徴ある世界で構成されているのか。あなたが考えてください。
9 ・この一枚の画像も、様々な要素と関係性が背後にあります。それは場所によっても違います。
・この感覚をじっくり考えてください。
・地域を白地図の上で捉えるような感覚から脱却してほしいと思います。
10 ・土地は地史学的な時間を経て形成されている。
・それが土地の性質を決め、災害時には顕わになります。
・2万年前を想像することはできますか。図の真ん中です。どんな土地が広がっていて、どんな気候で、どんな生物がいたのか。もちろん、人間もいたはずです。
・2万年前なんて地球の歴史からすると一瞬。変わりつつある地球のうえで、一瞬輝くのが人です。
11 ・この三つの画像は、高度経済成長期、バブル経済の直前、その後の失われたうん十年の様子をランドサット撮影したものです。
・都市化の様子は時代を反映しています。
・それに伴い、人と自然の関係も変わっています。この先、どうなっていくのでしょうか。どうすれば良いのでしょうか。
・あなたが未来を創るプレイヤーの一人なのです。
12 ・視点(どこから見るか)によって見えるものは変わってきます。
・しかし、見えているものの複雑性は変わりません。グローバルな大気循環と、千葉県の画像の中で繰り広げられる事象はどっちが複雑化。どっちも複雑。
・以外と、グローバルな大気循環の方が単純かも知れませんよ。
13 ・これは地理学の世界観です。世界は相互作用するたくさんの地域で構成されています。社会学や民族学といった分野も同様な世界観を持っているでしょう。
・地域間の関係性は“物理”だけではありません。政治、経済、人種、宗教、...様々な関係性(リンクともいいます)によって複雑な様相を呈しています。
・新型コロナ禍の下で、今、世界は混沌としています。この関係性がどうなっているのか。探究する心を忘れないでください。
14 ・熱帯林の破壊、それはいけないことでしょうか。生物多様性が損なわれる、炭素が放出される、...。
・パームオイルは優れた工業原料です。あなたも今朝、マーガリンでトーストを食べたかも知れません。
・パームオイルは地域の人の夢を叶える手段かも知れません。
・さあ、私たちはどう行動したら良いでしょうか。地理学がヒントを与えてくれるかも知れません。
15 ・資本主義に基づくグローバル市場経済では、安く生産できる場所で生産し、需要地で販売すれば儲かります。
・左の図では90年代半ばから中国とインド(どちらも植物油脂の大量消費国)のヤシ油輸入量が増えています。
・それはその頃から植物性油脂の関税化、すなわち自由貿易を目指して少しずつ関税を下げていくことにしたからです。
・このことにより、誰が幸せになったのか。じっくり考える必要があります。
・それは大豆も同じ。なぜブラジルでタイズ収穫面積が増えたのか。それが何をもたらしたのか。誰が幸せになったのか。
・まず考えて、どうしてもわからなかったら質問してください。
16 ・2008年は歴史に残るいろいろなことがあった年でした。投機マネーの動きにより、石油価格が上昇しましたが、それがケニアの食糧不足とどう関係しているのか。
・世界における様々な事象の理解を試みるためには、様々な要素間の関係性(リンク)を地図の上で考える必要があります。
・この関係性を突き詰めていくと、自分とは関係ない遠い世界のことだと思っていたことが、自分とも関係していることがわかることがあります。
・これが地理学を学ぶことの目標でもあります。国際人として一歩踏み出したといえるでしょう。
17 ・実は2007年にこんな記事があったので、メモしておきました。
・あなたはどう思いますか。とっても良いことだと思いますか。考えてください。
・このことの背景には資本主義に基づくグローバル市場経済があります。それは良いことなのでしょうか。農の営みの価値は貨幣に容易に変換できるものなのでしょうか。
・じっくり考えてほしいと思いますが、そのためには地域における人と自然の関係性を探究する地理学が役に立つでしょう。。
18 ・緑の革命とは第二次世界大戦後、スライドのに書かれたことが達成され、穀物の収量が増加したことをいいます。
・しかし、伝統的な農の営みは大きな影響を受けました。
・このことの意味を総合的、俯瞰的な視点、視野、視座から考える必要があります。
・視座とは、どんな立場で考えるか、ということです。皆さんは都市生活者だと思います。農村的社会から見るとどうなるか、異なる地域ごとに考えるとどうなるか。
・じっくり考えて、わからなかったら質問、何かわかったら主張してください。
・(補足)ここで市場経済と書きましたが、資本主義と書いた方が良かったと思っています。資本主義の目的は貨幣の増殖であり、そのために持続的な市場の拡大が必要となり、永遠の成長を夢見ます。この場合の市場経済はグローバル市場経済となりますが、小さな市場はコミュニティーを豊かにし、外のコミュニティーとの関係性を醸成することに役立ちます。
19 ・環境とは人(生態系)と自然が相互作用する範囲ですが、その実態がわかってくるにつれシステムの見方が重要であることがわかってきました。
・例えば、気候変動が重要な人類共通の課題になった現在、“気候”は従来の静的な定義では対応することができず、気候システムとして捉える必要性が高まってきました。
・システムを構成する要素間の関係が少し変わると、システム全体の挙動が変わってきます。こんな複雑な対象に私たちはどのように対応したら良いのでしょうか。
20 ・身近にある環境、すなわち皆さんが相互作用する対象もシステムです。
・スライドで例示した里山も様々な要素が相互作用するシステムとして捉えることができます。
・皆さんの身の回りでシステムとして捉える必要があるものを見つけてください。
21 ・この講義では自然地理学を構成する諸分野の中で、気候学、地形学、水文学を重視します。
・ただし、これらの諸分野は独立ではなく、相互に関連し合っているという点に注目してください。
・例えば、気候や地形は植生の分布を決めながら、永い時間では植生が気候を変えることもあります。
・この世の中は関係性で成り立っているのです。
22 ・アジアの年平均気温と年降水量の分布を一例として示します。
・ある地点に注目すると、年平均気温と年降水量の組み合わせは場所によって異なることがわかります。
・もちろん、季節変化も異なりますので、組み合わせは様々です。
・この違いが地域性を生み、人の暮らしや考え方に影響を及ぼします。
・このことを理解することこそ、国際的な感覚、といえます。
23 ・日本における年平均気温と年降水量の組み合わせも地域によって様々です。
・洪水期(川の流れが豊かな季節)はいつでしょう。千葉県に住む私たちは初夏や秋の雨季だと思います。
・でも、日本海側では春の融雪期こそ、川がとうとうと流れる洪水期です。
・人が育った地域の地理は、その人の感性を育むといえるでしょう。
24 ・東京大都市圏に私たちは住んでます(あるいは通学しています)。
・どこまでも続く都市域は和たちたちにとって当たり前の景観ですが、都市域が形成されたのはそんな古い時代のことではありません。
・都市域が形成されることにより、地域の地表面温度、気温が変わることをこの衛星画像は示しています。
・私たちが暮らすということは地域の環境を変えているということでもあります。
25 ・ほんの100年ほど前の千葉周辺は今とは大分土地利用や景観は異なっています。
・現在の国道14号線が当時の海岸線で、沖まで干潟が広がっていました。稲毛の浅間神社は海沿いに位置する海の神様です。
・台地の上では、白で表される畑は分布が限られており、針葉樹が広がっています。それは各所に残っているクロマツの林だと思われます。台地の上は水が得にくかったので、乾燥に強いマツが植えられました。
・低地は水田として利用されています。水田はどんな性質の土地に立地し、ハザードに対して注意すべき点について考えてみましょう。
26 ・地理学は関係性探究型科学といえるでしょう。物理や数学は普遍性(一般性)探究型科学です。
・皆さんが暮らす場所の性質を知り、ハザードを予見することが地理学の目的のひとつです。
・あなたとあなたの家族の命、資産を守るために地理学の知識を活用してください。
27 ・花崗岩山地はどんな性質を持っているでしょうか。
・それは人の安全・安心とどのような関係にあるでしょうか。
・人は自然とどのようにつきあっていく必要があるのでしょうか。
28 ・水文学(すいもんがく)という学問は英語ではHydrologyといい、諸外国ではメインストリームの科学です。
・日本は水が豊富な国ですので、あまり重視されてこなかったのかも知れません。
・しかし、水は人にとって必須の物質であり、自然の中を循環する水は時に災害を引き起こします。
・水文学は日本においても重要な学問になりました。
29 ・華北平原は数十回訪問しています。日本から3時間のフライトで行けますが、そこは半乾燥地域です。
・水不足の問題が顕在化していますが、平原の中の水循環は水文学の知識が語ってくれます。
・華北平原の西側は太行山地、その東麓は扇状地が広がっており、地下水が利用できます。
・しかし、東部は渤海湾に面した三角州で、地下水の観点からは流出域です。地下水が蒸発すると塩分を地表面に残し、塩分集積を引き起こし、作物生産に問題を生じます。
・地域を白地図の上で捉えても何も見えませんが、白地図の上に様々な地域の属性を重ねると、そこにおける自然の営み、人の営み、人と自然の相互作用が見えてきます。問題の本質も理解でき、解決に進むこともできるかも知れません。
30 ・自然の営みは科学が進歩したのですべてわかっているのでしょうか。
・そんなことはないと思います。科学がめざす普遍性は、必要最小限の知識です。その上にある地域ごとの特徴を理解しなければ、地域の問題を理解し、解決することはできません。
・難しい?
・それは実はそんなに難しいことではありません。少しずつ地域の経験を積み上げていけばだんだんわかるようになります。
・原理がわかればすべて理解できるというのは、実験室や理論の世界の話です。地域ごとに理解することが求められる時代になりました。
31 ・グローカルという言葉は、問題の現場に深く入り込んで理解を試みる野外科学の現場から発祥したものです。
・世界は相互作用するたくさんの地域から構成されている。目の前にある問題を解決できれば、いずれ地域の集合である世界が良くなるということです。
・世界を一気に良くする普遍的な方法を求めるのは20世紀の精神的態度です。21世紀では、まず目の前にある問題に取り組みましょう。
・その経験を世界の中で共有すれば、それが大きな力になります。それがSDGsの17番目、パートナーシップです。
32 ・皆さんは今、とても良い社会の中で暮らしています。その暮らしが、誰の、どんな努力によって達成されたか知っていますか。その快適な暮らしの陰には、苦しんでいる人や社会、生態系があるだろうか。深く考えてください。
・誰一人取り残さない、というSDGsの目標の意味について考えてほしいと思います。
・質問は近藤まで。