洪水地形 簡単な説明を加えました。
1 | ・地形判読の演習に関する事例を準備しました。 ・すべての事例で画像の準備ができていませんが、いくつかを選択して演習をやってみたいと思います。 |
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2 | ・地形判読には普遍的な方法はありません。あるとしても、それはベースにあるもので、その上にある個別性がわからなければ、地形の意味するところを理解することは難しいかも知れません。 ・個別性の理解には地理学、地質学、土木工学、等の知識が必要です。 ・とはいえ、修行が一番です。いろいろな事例に触れて、少しずつ修行に励むこと。そうすれば、あるとき地形が読めるようになるでしょう。 ・あるいは、特定の地域が対象であれば、修行も少しは楽かも知れません。 |
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3 | ・このコンテンツは鈴木隆介先生の「建設技術者のための地形図読図入門」の中で、感動したもののひとつです。 ・川は姿を変える。それを読み解くと、人と流域の関わりが理解できる。 |
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4 | ・明治44年の2万5千分の1地形図を用意しました(教科書の地形図は5万分の1です)。ここをクリックしてください。 ・川は上流から扇状地、氾濫原(典型的な微地形は後背湿地、自然堤防、旧河道)を形成し、最後は三角州に至ります(典型的な場合)。扇状地では川は礫を運び、河道は網状流となります。 ・その下流の氾濫原では川は砂や泥を運び、蛇行します。 |
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5 | ・昭和6年の2万5千分の1地形図を用意しました(教科書の地形図は5万分の1です)。ここをクリックしてください。 ・網状流の末端が下流に移動しました。それは上流で土砂生産量が増えたことを意味します。 ・ここで上福岡の旧河道地形の水田の図式を見てみよう。この頃の図式では水田は、乾田、水田、沼田が区別されています。沼田は極めて軟弱な地盤であることが推定できます。 |
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6 | ・昭和60年の2万5千分の1地形図を用意しました(教科書の地形図は5万分の1です)。ここをクリックしてください。 ・何が変わったでしょうか。 |
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7 | ・先のページに、2万5千分の1地形図へのリンクがあります。右クリックで画像をダウンロードできますので、見やすいビューワーを使って判読してください。 ・なお、旧版地形図の謄本は国土地理院から購入できます。ここをクリックしてください。 |
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8 | ・地形図、GoogleEarth等の画像や土地条件図、洪水地形分布図等の主題図を参照しながら沖積低地の微地形と、その場所の性質を推定してみましょう。 | |
9 | ・斐伊川は島根県にあります。まずGoogleMap等のツールで現状を見てみよう。 ・現在では放水路ができていることがわかります。 |
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10 | ・実は斐伊川は古事記に登場する八岐大蛇だったのです。 ・出典は「杉谷・平井・松本著、『風景の中の自然地理』、古今書院」。地理学入門に最適です。 |
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11 | ・風土記の時代より、中国山地は花崗岩のマサい含まれる砂鉄を使った“たたら製鉄”が営まれてきました。 ・土砂は鉄穴(かんな)流しと呼ばれる比重選鉱で採取されました。 ・山の木は燃料として使われました。 ・山や川は荒れ、もののけたちが... |
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12 | ・地形図を判読して見ましょう。 ・背景は明治35年5万分の1地形図「今市」 ・明治35年と昭和30年の地形図を比較してください。最近の状況はGoogleMap等で見ることができます。 ・下流に守るべき命と財産がある場合、どのようにして安全・安心を確保したら良いでしょうか。答えはひとつではありません。 ・ここではどのような対策が見えますか。 |
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13 | ・国土調査の地形分類図には沖積低地の微地形が描かれています。 ・土地条件図、洪水地形分布図、国土調査による主題図を判読して見よう。スライドは国土調査。 ・斐伊川が何度も氾濫し、自然堤防を形成しながら、宍道湖を埋め立てていった過程が微地形には記録されています。 |
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14 | ・2004年の新潟福島豪雨では2級河川刈谷田川が氾濫しました。 ・1982年の長崎大水害以来、人が洪水で溺れて亡くなる事態が生じました。 ・また、寝たきり高齢者等の災害弱者の存在が注目された災害でした。 ・2004年は秋には中越地震が発生します。そして冬は大雪でした。災害は忘れないうちにやってくることもあります。 |
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15 | ・明治45年の刈谷田川は見附から中之島に向かって蛇行しながら流れていることがわかります。 ・GoogleMap等を使って、最近の河道と比較してみよう。 |
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16 | ・同じページを作っちゃいました。 ・地図画像へのリンクを作っておきます。 (明治45年) (昭和22年) (昭和62年) ・河道や平野の変遷を確認してください。 |
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17 | ・後背湿地や旧河道の場所は土地利用で判別できますか。 ・旧河道 ・後背湿地の土地利用はどのように変わったか。この地域は多雪地帯であり、2006年に巡検にいったときには、コンクリート基礎を高くした家屋をたくさん確認しました。浸水に強いかも知れません。 |
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18 | ・国土調査の地形分類図です。平野は三角州に分類されています。平安時代頃までは内湾だったようです。 ・自然堤防や旧河道の分布も土地利用変化とあわせて注目してください。 |
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19 | ・短い時間間隔の土地利用変化はリモートセンシング画像が役に立ちます。 ・1990年と2000年の比較ですが、1990年は春季の画像で田面が暗く写っています。水田は後背湿地に位置します。 ・2000年の画像では、水田だった場所が開発されています。もちろん、水害対策を施していないとは限りません。 ・しかし、どのような想定によって水害対策を施したかは重要だと思います。2019年の長野では計画水深を超えたため、新幹線車両基地が水没しました。 |
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20 | ・空中写真は身近な情報源として活用してください。 | |
21 | ・空中写真閲覧サービスでは過去の空中写真をフリーでダウンロードできます。そこから土地利用・土地被覆の変遷を見ることができます。 ・この写真から旧河道がわかります。見つけてください。 |
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22 | ・河道改修の歴史がわかると重要なことがわかります。 ・液状化研究の若松先生が中越地震の後に調べた液状化発生地点です。分布はランダムでしょうか。 ・若松先生の論文はJ-STAGEでダウンロードできます。論文名で検索してもヒットします。 |
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23 | ・旧版地形図と重ねると、液状化は概ね旧河道で発生していることがわかります。 ・刈谷田川が運んだ砂が旧河道に堆積しており、地下水で飽和しているところに地震が来たら、...液状化の条件を満たしますね。 |
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24 | ・古い空中写真で見ても、旧河道の位置が何とかわかります。 | |
25 | ・東日本大震災のときに、利根川沿いの特定の地域に液状化が集中しました。 ・その場所は、江戸時代の破堤によって形成された押堀が、昭和の中頃まで池として利用されていた場所でした。 ・旧版地形図を判読することにより、土地の性質を読み取ることができます。 ・今昔マップで明治時代の土地利用と現在の様子を比較してみましょう。 |
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26 | ・利根川下流域は家康の利根川東遷事業以来、400年にわたって水害に苦しめられてきた地域です。 | |
27 | ・旧版地形図や様々な主題図を用いて、土地の性質を読み取ることができます。 ・今昔マップで明治と現在の龍ケ崎周辺を見てみましょう。 |
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28 | ・ここは今昔マップで見ることにします。 | |
29 | ・今昔マップで見ましょう。 ・利根川と小貝川の合流点付近です。洪水時に利根川の水位が高くなると、小貝川からの排水ができなくなり、龍ケ崎周辺で良く氾濫しました。これを背水といいますが、最近はバックウォーター現象と呼び、なんだか新しい現象のようなイメージを与えていますが、昔から各地で破堤の原因になりました。 |
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