近藤講演PPT(PDF)

 新型コロナ禍で規模を縮小しての開催になってしまいましたが、表記のシンポジウムが開催されました。とにかく、みなさん明るい!それが幸せの秘訣だと思います。基調講演を偉そうにやった後に、パネラーとの対話があり、その総括をしなければならなかったのですが、ちょっと勘違いして自分の感想を話してしまいました。ここで改めて、記載しておきます。
 みなさんの様々な活動を知りましたが、それらの営みを共有できる場として「まるごと印旛沼」はすばらしい存在だと思います。話を伺ってると、皆さんの思いは共通なのではないかという気がしてきます。社会を変えたいということを私はお話ししましたが、そんな思いの底流あるいは潮流といったものが確実にあるように感じます。その変化は“地方の時代”という流れの中にあるような気がします。その流れの中で実践するということが大切なのだと思いますが、その実践をボトムアップで行政に伝え、行政の縦割りを横つながりに変え、そこに市民がつながることにより、印旛沼流域を“ふるさと”に変えて行くことができるのではないか。そんな未来を期待しています。
 なお、時間が無くて話せなかったスター・ウォーズの引用はこういうことです。画像はオビワン、ヨーダ、レンの住処でした。みなプリミティブな暮らしをしている様ですが、科学技術の成果は暮らしの中に取り入れられており、それらの道具を自分たちで修理することもできる。いざという時がきたら惑星間を航行できる宇宙船を自分たちで整備して飛び立つこともできる。これこそ近代文明ではないか。
 振り返って我々現代人は文明の利器の仕組みを理解して、時には自ら修理もして、ベネフィットとリスクの関係を分断させずに使うことができるか。自動車、飛行機、原発、...。できそうもありませんが、この状況はオルテガの文明論によると、近代文明は衰退に向かっているということになる。スタインベックの「怒りの葡萄」の中では、西海岸に自動車で向かう家族が、時にはエンジンのシリンダーまで分解して修理して使っている。それこそ文明と人のよい関係なのではないか。我々の暮らしと文明のあり方を再考してみる必要がある、ということでした。

新型コロナ禍のせいにして外の活動をサボっているため、頭でっかちになり、こんなことばかり考えるようになってしまいました。 春になったら印旛沼流域巡りを再開したいものです。まずは梅、次は桜の写真を撮りに行かねばと想っているところです。