『災害看護学の構築に向けて』-人と自然の関係学としての地理学の貢献
DNGLに参加することになり、初めて「災害看護」という分野があることを知った。それまでは事故や災害の発生時に対応する「救急看護」のイメージしかなかったが、長期間にわたる災害サイクルの中における看護のあり方を考える分野の存在を知り、自分の専門である「地理学」との関連性を考えることができるようになった。
地理学は人と自然の関係学であり、環境学そのものであるともいえる。地理学の柱である系統地理学はその中に、自然地理学と人文地理学を含み、環境、すなわち我々を取り巻いて相互作用する範囲における諸事象の自然的側面と人間的側面の両方を扱う。災害(ディザスター)は素因のあるところに誘因(ハザード)が作用することにより発生するが、素因には自然と人間の両側面が存在する。例えば、川は本来その河道を変遷させながら平野を形成するが、近代化により堤防が構築されると人は川のすぐ脇まで暮らしの領域を広げた。川は時折本来の性質を取り戻すことがあるが、そこに人が居ることで災害になる。気候変動による超過降雨や大地震の発生が確実に想定される状況で我々はどうすれば良いだろうか。
まず自然の仕組みを知り、人と自然の分断を修復することが大切である。川のそばで暮らす人が川のことを知ること、斜面のそばで暮らす人が地形変化について知ることが減災につながる。近代社会は人と自然の分断による災いを科学技術の力で防いできたといっても過言ではない。
都市化の進展とともに予想される災害の規模が大きくなっている。例えば、利根川の計画高水流量は明治33年の3,750m3/s(八斗島における基準流量)であったが、その後の堤防やダムの建設にも関わらず、現在は八ッ場ダムの建設を前提とした値が16,000m3/sとなり、当初の4倍以上になっている。我々の暮らしを守るためのコストは膨らむばかりである。このコストを負担し続けることは可能だろうか。
昨今の災害では“想定外”という言葉をよく聞くようになった。想定外とは、想定していないが、技術的な対応、行政による対応が可能である場合と、現実的な対応が不可能な場合がある。前者の場合は的確なシステムを構築することが当面の課題であるが、後者の場合はどうすれば良いのだろうか。答えは一つではないが、アカデミックセクターにいる我々は、人と自然の良好な関係性を保つ方法について考える材料を提供し、一緒に考えていく必要がある。
今後の防災・減災については様々な考え方があるが、その違いの根底にあるのは“生き方”であろう。安全とは何を守るための安全か、また安心とは何か。参画と協働を旨とし、トランスディシプリナリティーの立場から、価値、哲学や倫理までも包摂した議論に基づき、人の諒解を形成していく必要がある。ここに長期的な観点における災害看護の役割があると感じている。