千葉大学理学部地球科学科同窓会「地球環境と地域環境−衛星データが語るもの、語らないもの」(2006.11.3)
千葉県立船橋高校出前講義「地球環境と人間−地球環境学への道−」(2006.10.28)

野田市なるほど市民科学教室「地球環境と私たちの暮らし」(2006.10.26)

最近、続けて3つの講演をしました。地球環境はまだまだ関心の高い話題であり、中でも地球温暖化は関心の的のようです。しかし、そのとらえ方は人様ざまです。私は温暖化を“悪”と決め付ける単純な見方は好きではありません。寒冷化の方が遙かに人類にとって恐ろしい現象ですから*)。考えるべきことは、温暖化防止によって守ろうとしているものは何なのか、を考えること、温暖化の影に隠れている真の問題に気づくこと、だと思います。その上で、どのような社会を築きたいか、考えましょう。私は“適度に豊かな社会”を目指せばよいと思います。その過程では人の生活基盤(いろいろな意味がありますが、例えば災害に関わる土地条件です)の特徴をよく理解し、それに適応することが重要だと思います。そんなことを、二宮書店の地理月報に書きました。

*)温暖化が氷期への引き金を引くとしたらそれが最も人類にとって恐ろしいことですね。

地理月報No.496の記事にミスが一つあります。6ページ右段上から二行目のグローバリズムはグローカリズムが正解です。意味が全く反対になってしまいました。グローカリズムは90年代初頭に、地球環境問題と個人を繋ぐために環境社会学の分野から提唱された考え方です。地球環境を良くするためには、まず地域が幸せになろう!ということ。地域性を重視し、けっして、一般性やデカルト的二元論で世界を見ない、フィールド科学からの発信だと考えています。


地球温暖化と人間生活

近藤昭彦(千葉大学)

1.はじめに

 世界各地で温暖化が進行していることは気温の長期変動傾向から確認されつつあり、その影響についても様々な分野で発見が始まっている。Walther et al.(2002)は様々な生態系における近年の変化を纏めているが、確かに変化は生じているようである。地球温暖化の影響は顕在化しつつあり、その人間社会への影響評価についてより深刻に語られるようになった。

 例えば、海面上昇の影響、洪水頻発の可能性、水資源への影響、食糧生産への影響、健康影響、植生・動物分布への影響、等々我々を不安にさせることばかりである。

 人間にとって事態はどんどん悪くなっているのだろうか。地球温暖化が避けられないとすると、我々はどうしたら良いのだろうか。

2.地球史の中の温暖化

 まず、生物によって刻まれた地球の歴史から温暖化を考察してみたい。

 古生代(約5億7000万〜約2億5000万年前)に入り、生物の繁栄が始まった。この時期に陸上に生物が進出したが、古生代末の寒冷化により、多くの生物は絶滅する。

 中生代(約2億5000万年前〜約6500万年前)は温暖な時代であり、恐竜が繁栄した。恐竜はしばらく王者として地上を君臨するが、中生代末の寒冷化により、絶滅し、次の温暖な時期に引き継がれる。

 新生代に入り、再び温暖になると我々哺乳類の時代がやってくる。しかし、約300万年前にパナマ地峡が閉じると、海洋による熱輸送が変化し、寒冷化が始まる。チベット高原の生成が始まる100万年前頃からは寒暖の振幅が激しくなり、氷河時代に突入する。

 氷期−間氷期サイクルは図1(IPCC)に示したような気温の規則正しいサイクルを持つ。短く温暖な間氷期の後は、寒暖を繰り返しながら徐々に寒冷化が進行し、氷期の最寒冷期を迎えた後、急激に昇温する。再び短く温暖な間氷期の後、また緩やかな寒冷化が始まる。この規則正しいサイクルは少なくとも4回は認められている。

 このサイクルの中で現在は間氷期の最温暖期を少し過ぎたあたりに位置付けられる。1万年〜6千年前は現間氷期の最温暖期で、サハラ砂漠は緑に覆われ、日本では縄文文化が栄えていた。縄文時代は豊かであったため、戦争の遺跡がないという。しかし、その後の寒冷化により、古代文明は好戦的な文明に取って代わられている。

 最近では、10世紀頃が温暖な時期(中世温暖期)であり、ヨーロッパでは農業の発達に伴い封建制が確立し、日本では平安文化が花開いた。しかし、15〜17世紀頃の小氷期と呼ばれる寒冷な時期はヨーロッパでは黒死病の流行、魔女狩りが横行し、人口が急減している(中世温暖期、小氷期の存在については疑問とする見方もある)。

 日本でも浅間山の噴火、引き続く天明の大飢饉があった。江戸時代の約260年間は日本の人口は3千万人程度で増えていないが、気候が寒冷であったことも一因と考えられている。

 このように、地球史の上では温暖な時期は生物にとって良い時代であり、寒冷な時期に悪いことが起こっている。氷期−間氷期サイクルが今後も続くとすると、現在の地球は次の氷期に向かっているはずである。しかし、今、人間活動によると思われる地球温暖化が進行しつつある。地球はスーパー間氷期に向かうのか。これは人間の将来にとってどういう意味を持つのであろうか。

3.地球温暖化の影響

 地球温暖化については様々な悪影響が取りざたされている。我々がこれまでに経験してきた公害問題は実態を理解すること、すなわち因果関係を明らかにすることによって対策を講じることができた。しかし、地球温暖化は因果関係と影響が不明確なまま、未来のために対策を講じなければならなくなった人類初の問題である。したがって、流布されている様々な悪影響は、最悪のシナリオなのであり、そうならないように我々の生活を変えていこう、と解釈すべきである。

 そこで、まず様々な影響項目の実態について広い視点から考えてみたい。

1)海面上昇・海岸浸食

 海水温の上昇、雪氷の融解により、海面は上昇しているという。その影響により珊瑚礁の島々は水没し、人々の暮らしが奪われるかも知れない。

 Google Earthはインターネットさえあれば気軽に世界探訪ができる優れたツールである。これを使ってモルジブや南太平洋の島々を見てみよう(図2:Google Earthより))。平坦な島一杯に広がった住宅や都市施設を見ることができただろうか。造礁珊瑚の地形形成能力は失われているに違いない。もちろんこれらの施設も守るべき資産であることには違いないが、皆さんはどう感じるだろうか。

 海面上昇は海岸浸食も引き起こす。バングラディシュの海岸が良く例として引用されるが、海岸線は堆積と浸食の平衡状態として存在している。ガンジス川は国際河川であるが、上流のインドにおけるダムの存在が流送土砂量を減らし、浸食と堆積のバランスを壊しているとすると、また違った側面が見えてくる。日本でも九十九里平野をはじめ、人工構造物により浸食と堆積のバランスを崩した海岸線は枚挙にいとまがない。

 もちろん、海氷の融解が海岸浸食を引き起こし、生活を脅かされているイヌイットのような事例もある。影響は単純ではないのである。

2)洪水・高潮

 温暖化が異常気象を引き起こし、洪水や高潮災害が増えるという予測がある。旱魃は広範囲に被害が広がるが、洪水や高潮は特定の地域、特定の場所で発生する。

 沖積低地に人口や資産が集中しているのはモンスーンアジアの共通の特徴である。沖積低地は扇状地、後背湿地、自然堤防、三角州、浜堤、といった地形配列を持ち、それぞれ洪水や高潮時の防災機能が異なる。都市化されてしまった沖積低地はもとの地形を窺い知ることは困難であるが、台風や集中豪雨の時には土地は本来の性質を顕わにする。このような地における災害は避け得るものなのであろうか。何世代にもわたってその土地で暮らし、洪水と闘ってきた方々はその土地が故郷である。しかし、新しい都市住民は自らの判断でその土地に住んでいる。避けようと思えば避けることも不可能ではなく、最近の河川法や水防法の改正は個人の判断を促しているとも言える。地理学は生活に役立つ土地の性質を教えてくれる教科なのだが。

3)健康影響

 20年ほど前、アフリカで調査をしていたとき、マラリア予防薬を定期的に服用していた(その薬は副作用のためその後使用禁止になった)。現地の方々はまるで風邪のようにマラリアにかかっていたが、大使館の方から日本で発症すれば完治させることはできると伺った記憶がある。

 日本でも温暖化に伴い、マラリアやデング熱を媒介する蚊の北上が認められているようである。しかし、怖い蚊がやってきたからといって為す術もなくおろおろするだけということは今の日本ではないであろう。過度に恐れるのでなく、必要な予防策をきちんと施すことが重要である。我々はすでに感染症被害の可能性を知っているのである。

4)その他

 その他にも雪氷圏、水資源、食糧生産、植生・動物分布等に様々な影響が予測されているが、紙面の都合上割愛させていただく。

 人間生活に対する影響で最も深刻なものは果樹や作物の適地が移動してしまう、スキー場の経営が成り立たなくなる、等々の生業の変化であろう。しかし、近代化の100年間を振り返ると、社会構造の変化の中で生業を変えざるを得なかったコミュニティーはたくさん存在する。山村はその良い例であろう(藤田、1981)。地球温暖化の生業への影響を考える前に、そのような社会の存在をまず考えたみたらいかがだろうか。

4.化石燃料の将来

 地球温暖化の有力な原因が化石燃料の燃焼であるとすると、化石燃料の資源量が温暖化の将来を左右することになる。

 石油資源の将来については様々な考え方があるが、石油消耗に関する有力な説を紹介する。世界の油田発見数のピークは1960年頃であり、以後、発見数は減少している。生産のピークも2000年頃であり、今後、石油の生産量は下がるという説である。現在の石油生産の大半を支えているのは中東の巨大油田であり、既に老朽化している。テーチス海を巡る地球史の観点から中東以外に巨大油田は存在し得ないので、石油資源はいずれ消耗する(石井、2005)。

 この説が正しいとすると、今後、石油の消費量が減少に転じるとともに、大気への二酸化炭素放出量も減っていくことになる。となると、地球は再び、氷期への道を歩み始めるのかも知れない。温暖化自体が海洋の熱塩循環を停止させ、氷期に向かうという説もある。

 現代農業は石油によって支えられている。エネルギーが無くなれば食糧生産も困難になる。一方で地球人口はしばらくは増加を続けるだろうが、寒冷化は農業生産量をさらに減少させる。私が院生だった80年代初頭、書棚には氷期に関する本があふれていた。冷戦の最中、核の冬という不安もあったが、高緯度に住むヨーロッパ人にとって寒冷化で食糧生産が減退することが一番の恐怖だったに違いない。

5.どう生きたいのか

 まるで地球温暖化が人類のために良いことの様に書いてきたが、ここは誤解しないで欲しい。まずは冷静に包括的に地球温暖化の影響とされるものの実態を捉えようということである。重要なことは地球温暖化をきっかけとして何を考えるかである。

 資源は有限であり、いずれ無くなる。浪費社会が持続可能であるはずがない。地球の未来に対して我々は何ができるか。これを考えることが地球温暖化問題の本質なのではないか。

 しかし、個人と地球の間には大きなギャップが存在する。個人が生活する場は地域である。そこで、まず地域が良くなることを考える。地域が良くなっていけば、地域の集合体である世界も良くなっていく。これがグローカリズムの考え方だと思う(飯島、2005)。

 では、地域が良くなるためにはどうすればよいのか。最近、知的基盤社会と良くいわれるが、その意味の一つは各個人の生活が誰の、どのような努力、投資によって担保されているかを知ることではないだろうか。例えば、沖積低地の暮らしはダム、堤防等の施設によって守られており、維持には莫大な税金が投入されている。自分と社会の関連性を意識することが地域のあり方に関わっていく。オルテガのいう文明野蛮人になってはならない。

 地域が幸せになるためには、まず地域の個性を尊重しなければならない。異なる個性を持つ地域の集合が世界であるから、世界を幸せにする一般法則などは存在しない。まず多様性を認めること、次に地域間の関連性を明らかにし、時間と空間の中に位置付けていくことによって世界が理解でき、我々がどう生きるべきかがわかってくるだろう。これは地理学の考え方そのものである。

 地球温暖化が進行しつつある現在、我々は適応ということも考慮しなければならない。ヨーロッパ調で窓の小さな私の書斎はこの夏エアコンが壊れ、パソコンの熱により連夜30度を超えた。やはり、日本の家は夏を旨として造るべきであった。

 変わりつつ環境に適応するためには、数10年以上のスケールで計画立案しなければならない。風の道、適度な緑地を配した温暖化に強い都市、情勢の変化に柔軟に対応できる社会構造、そして省エネルギー社会の構築、等々考えるべきことは山ほどある。環境はあらゆる要素の影響が積分されて発現する。我々は未来をどう生きたいのかを包括的な視点から考え、決めなければならない。

 地球温暖化は長期スケールで人間の将来を考えるきっかけを与えてくれた。しかし、災害がそうであるように人はすぐ忘れてしまう。地理学は先導者としての役割を担わされた学問であるはずである。

主な引用文献

Walther et al.(2002):Ecological responses to recent climatic change, NATURE, 416(28), 389-395.
石井吉徳(2005):高く乏しい石油時代がくる.理戦、81、10-29.
飯島伸子編(2001):アジアと世界−地域社会からの視点.講座環境社会学第5巻、有斐閣、269p.
藤田佳久(1981):日本の山村、地人書房、211p.


ガンジス河のファラッカ堰

バングラディシュの海岸線は地球温暖化による海面上昇により侵食され、人々の生活の場が失われる。大変なことです。しかし、海岸侵食の原因は海面海面上昇だけでしょうか。一般に海岸線は侵食と堆積のバランスによって位置を保っています。一定不変のように見える海岸線も不断の砂粒の堆積と侵食によって動的平衡状態にあるといえます。ここで、堆積が減ってしまったらどうなるでしょうか。そうです。海岸侵食が発生します。日本では大河津分水完成後の新潟港の侵食(新潟県)、屏風ヶ浦と太東岬の護岸による漂砂の減少による九十九里平野の侵食と堆積(千葉県)、天橋立の侵食(京都府)、等々、枚挙にいとまがありませんね。

Google Earthでガンジス河のインド−バングラディシュ国境(黄色のライン)の上流17kmを見てください。そこに堰(ダムと同じ、堤体の低いもの)があり、ガンジス河の水を大量に取水している様子を見ることができます。ガンジス河下流では流量、流送土砂も減るでしょう。となると、海岸線は?

生業を変えなくてはならない!?

人間生活に対する影響で最も深刻なものは生業の変化と書きました。確かに、生業はなかなか変えられるものではありませんが、変えざるを得なかった例として山村と書きました。これは藤田(1981)の高知県檮原村(現檮原町)の明治以降の生業の変化のダイヤグラムを念頭に置いており、杉谷・平井・松本(2005)でも引用されています。

実際には生業を変えざるを得ない状況というのは、実につらいことだと思います。我が千葉県においても、京葉工業地帯造成のための東京湾の埋め立て、建材利用のための山砂の採取、成田空港建設、等々の事業において地域住民は想像を絶するつらい経験をすることになりました。都市の発展の背後には、多くの人が気がつかない地方の苦労がありますね。

地球温暖化を情緒的に捉える前に、対策によって何を守らなければならないか、について考えて見たらどうだろうか。西欧近代文明によって構築された都市を守ろうとしているのか、それとも新しい社会構築に向かって我々は進んでいるのだろうか。どんな未来を我々は築くべきなのだろうか。地球温暖化は良いきっかけを与えてくれました。

杉谷隆・平井幸弘・松本淳(2005):風景の中の自然地理−改訂版−、古今書院、140p.