日本老年看護学会第28回学術集会(オンデマンド講演) 2023年6月
地域で安心して暮らすための災害の知識

2023年6月16~18日にパシフィコ横浜で開催された日本老年看護学会のオンデマンドプログラムに参加しました。大会にご招待頂いた酒井郁子先生には心より感謝いたします。定年前後で心身のバランスが変調をきたし、どうもうまくいっていないなと感じる状況のなか、十分な貢献ができず申し訳ございませんでした。ここに備忘録として講演資料を残すとともに、若干の追記をしたいと思います。

講演資料(PDF)

 講演者は環境、すなわち人と自然の関係性に関する研究を行ってきた。専門分野を問われたら地理学となる。災害(ディザスター)は人と自然の関係性に問題があるところで生じる。よって、災害も地理学の重要な対象であるが、地理学における災害はハザード(災害の誘因となる自然現象)の物理の解明だけでなく、ハザードの襲来から再来までの災害サイクルすべてのフェーズにおける人と自然の関係性を扱う。それはハザードが来ても災害にしない知識となる。知識には経験知と学術知があるが、文明社会の中で科学技術の恩恵と教育を受け、現代社会を生き抜いてきた老年世代は両方の知を兼ね備えているはずである。現実には学問が理系と文系に分断され、ハザードに対する学術知を学ぶ機会は十分ではなかったかも知れない。また、都市型社会の中で安全・安心を行政に付託する精神的習慣が醸成されることによって経験知の獲得の機会が損なわれたかも知れない。
 人間がその力を頼りに自然の領域に深く入り込んだ現代社会であるが、気候変動によるハザードの激甚化が懸念される時代となった。同時に低成長時代を迎え、行政の安全・安心を担保する力も弱まっている。こんな時代に老年期に入った人々(自分もそのひとり)はどうすれば良いか。それは、自然とともにある暮らし、百姓の暮らし、“ひと”とともにある暮らし、をこころがけることだと思う。現代社会には情報はあふれている。自然の仕組みを学び、百姓、すなわち百の技能を持ち(自分でできることは自分でやる)、コミュニティーのなかで暮らすことを心がければ安全・安心な暮らしを担保できるのではないだろうか。成熟した老年世代は知識を経験に置き換える能力を身につけているといえる。講演では様々な事例を紹介しようと思う。それを自身の経験として取り込んで頂きたい。それは人生を味わい深いものにすることにも役立つ。
 古事記のヤマタノオロチ伝説はご存じだろう。ヤマタノオロチとは出雲の斐伊川で発生する土石流の比喩である。老夫婦は毎年同じ頃、すなわち台風や梅雨の時期にオロチがやってくることを知っていた。これは経験知といえる。スサノウはハザードに対応できる技術者であったのかも知れない。経験知と学術知でハザードに対応し、娘、実は田畑や家屋敷を救うことができた。その後、永い年月を経て人間は科学技術の力でハザードをいなすことができるようになった。しかし、気候変動により激甚化したハザードに対して科学技術の限界も見えてきた。
 人間社会は災害を何度も経験しているが、ハザードは再来するということである。それでもふるさとで生きることを選択した人々がいる。ハザードへの対策は防御施設の強化や“危険な場所には住まない”ということではなく、自然とともに暮らし続けることができる社会の構築であり、それはひとの精神的習慣の変更でもある。外部に資源を依存する高度管理社会である都市で暮らすか、それとも自然とともに百の技能を活用して循環型社会のもとで暮らすのか、あるいは両者を共存させるのか、老年世代こその問題提起でもある。


お伝えしたいこと

 災害の現場には事後ですが、何回か視察にいったことがあります。現場に行くことの重要性は“ひと”に巡り会うことができることです。そこで災害のリアルに接することができるわけです。現場に行くことなしに語る災害にでてくるのは“人”です。人は数と属性で表され、科学の言葉で語ることができます。こういうときに“危険な場所には住んじゃいけませんよね”となりがちであるように感じます。

 被災者の顔が見え、名前を知り、暮らしがわかると人は“ひと”になります。大和言葉のひとは、目の前にいて語り、悲しみ、怒り、そして希望を抱く“ひと”です。ひとが災害に遭ったあと、思うことはふるさとを取り戻したいということではないだろうか。

 科学的にはリスクがあることになっても、それを知り、備えて、諒解して暮らすことが、ひとが望むことではないだろうか。そのために必要な科学(学術)は理系の知識だけでなく、文系の知識、経験を包含し、ひとに対峙することができる科学でなければならないと思います。

 看護学はそんな科学、オルタナティブ・サイエンスの主役になれる科学だと思います。もちろん、問題の解決の達成をあらゆるステークホルダー間で共有できれば、みんなが演者であり、主役になれるのですが。そんな社会をめざしたいと思います。